「Possible」

 

 

 テロ犯罪が闊歩し――

 

 広大なネットワークが世界中を結び――

 

 あらゆるものがデジタル化し――

 

 人々は機械の身体に手を伸ばしても――

 

 まだ、国/思想/人種/宗教の概念+争いがなくならない近未来の日本。

 

 米国に次ぐ経済大国+テロ犯罪件数を誇る日本では治安組織=警察+自衛隊の人員はテロ鎮圧/政府機関の警備に駆り出され、大都市ではテロ以外の犯罪が横行していた。

 

 殺人/強盗/強姦の犯罪件数は二〇一〇年代に入ってから軒並み右肩上がりで、治安組織の人員減少がそれに拍車をかけていた。

 

 今では民間警備会社が大都市の治安維持の大半を政府から委託され、大小合わせれば数百にも及ぶ警備会社が存在する。

 

 いまや安全は金で買う時代。金が無ければ犯罪にあっても泣き寝入りがオチ。

 

 数が少ない/質の安定性にも欠け/動きの遅い警察を頼るより、金を払ってでも迅速な対応/解決を市民は求めた。

 

 その中でも、手ごろなお値段でどんな小さな問題でも引き受けてくれるのが探偵事務所。

 

 安い依頼料に反比例=高品質の人材が多く、低所得者のみならず、大企業/資産家がお得意様の探偵事務所も多数存在する。

 

 首都東京/新宿。探偵事務所の数=都内最多/日々しのぎを削り合い/日に何件もの依頼をこなし/賃金+名声を得る探偵達の動乱の街。

 

 「おはよう、ピヨちゃん」

 

 動乱の街の低層建築マンションが多く乱立する区画/その内の一棟の五階。

 

 そこに居を構えるヤエガキ探偵事務所に一人の少女が訪れ、誰もいない室内に欠伸混じりの挨拶。

 

 「やぁ、ソラ。欠伸なんか漏らしてどうしたんだい? 夜更かしはお肌の大敵、ソラも一応女の子なんだから気をつけたほうが良いよ」

 

 誰もいない部屋に少年の快活な声が響き、机の上に置かれていた卵のような携帯電話の上に立体映像が浮かび上がった。

 

 「一応ってどういう意味よ。これでもお肌のお手入れは欠かさないんだから」

 

 膨れ面になった少女=ウグイスザワソラ/十五歳/ヤエガキ探偵事務所でアルバイト中の訳あり少女はひよこのコンシェルキャラが浮かび上がる携帯をひょいっと持ち上げ、凄んだ。

 

 現在、ヤエガキ探偵事務所は代表が不在状態であり、この携帯電話のAI=ピヨちゃんが代理を務め、依頼を引き受けている。

 

 「いやぁ、ソラも女の子らしい面があったんだ。って、やめて!! 無言でベランダから落とそうとしないで!!」

 

 このピヨちゃんはAIのくせに適当/自己中/非常識/人を見下すと実に人間味ある嫌な性格をしている。

 

 一年前、民間警備会社向けにごく少数のみ出回ったAI携帯がピヨちゃんの正体だ。

 

 ソラはそんなAI携帯に騙され、危うく新宿のど真ん中で無一文になりかけた身で、恨みもあるが複雑な事情によりピヨちゃんの下でアルバイトをしている。

 

 「ね、やめてって。ぼくを此処から投げたっていいことないよ?」

 

 「私がすっきりする」

 

 「それは一時的なものでしょ!? それにぼくがいなくなったら困るのは君自身だろ!?」

 

 ソラは二の次を告げず唸った。ソラは現在十五歳の義務教育を終えたばかりの身。

 

 夢を抱き、故郷=北海道を跳び出て新宿に来たまでは良かったが未成年という立場が無慈悲な現実をソラに突きつけた。

 

 保護者の承諾を得ていない未成年は爆弾と同じでそれを抱え込んでくれる人の良いアルバイト先は見つかる筈もなく、雑貨屋で働く夢は夢のまま。

 

 ピヨちゃんはそんな爆弾を事情があったにせよ自ら抱え込んでくれた。

 

 ピヨちゃんがいなくなれば収入源を失い、ソラは生きていけない。

 

 込み上げる恨みを飲み込み、ソラは携帯を机の上に置き、キッチンにむかった。気分を落ち着かせるためにホットミルクを作り、ソファーに座ってテレビをつけた。

 

 朝のニュースの時間帯。芸能ニュース/経済ニュース/事件事故のニュース。そしてテロに関するニュース。 

 

 昨日も渋谷で発生した爆破テロを自衛隊が鎮圧し、多くのテロリストを逮捕したとニュースキャスターが淡々と伝えていた。

 

 まだ若いソラにもテロの脅威ははっきりと理解出来た。しかし、理由は分からなかった。

 

 何故、暴力に訴えるのか。他に方法はないのか。暴力によって目標を達成して意味があるのか。

 

 テロに対する疑問と嫌悪が増す一方で、テロに立ち向かう自衛隊員や警察官には尊敬の念を抱いていた。

 

 毎日のようにテロに関する特番が組まれ、テロの凶悪さ/治安組織の行為の正当性をアピールし、人権団体/左翼団体を牽制。 

 

 被害者家族の証言­/悲痛な姿=国民感情を陽動する為の材料/防衛費拡大の必要性を訴える。

 

 そんな裏事情があるとは露知らず、真面目な表情でインタビューを受ける自衛隊員にソラは感謝の言葉を心の中で呟いた。

 

 「この人、昨日の渋谷爆破テロで出動したんだって。凄いなぁ、憧れちゃう」

 

 「ふん、ソラは呑気で良いな。彼は広告担当に決まっているじゃないか」

 

 ピヨちゃんの意味不明な言葉にソラは首を傾げ、聞いた。

 

 「広告担当? どういうこと?」

 

 「いいかい、ソラ。もしいま、テレビでインタビューを受けている自衛隊員が物凄い不細工でも、同じように凄いと思えるかい?」

 

 ソラはちらとテレビを見た。映し出された自衛隊員は精悍な顔つきの好青年。彼がテロリストと戦う姿を想像するだけで、自衛隊はカッコイイと素直に思える。だがもし、彼の容姿があまり良くなかったらどうだろうか、ピヨちゃんはそう問うているのだ。

 

 「昔から言われているだろう、イケメンに限る、イケメンだから許される。人は外見が全て!! 外見が良ければ何をやっても許される。このインタビューだって、イケメンを選んでやらせているに決まっているさ」

 

 「そんなことないよ。この自衛隊員は何度か勲章も貰っているもん」

 

 ソラ=憤慨/ピヨちゃん=呆れたため息。

 

 「それが本当の功績によって贈られたものだか怪しいね。ぼくは認めない。それに大きなテロ事件を解決しているのは自衛隊だけじゃないんだよ」

 

 ピヨちゃんの不可解な言動にソラは眉を寄せた。

 

 テロリスト相手に最前線で戦っているのは自衛隊であり、警察の機動隊/対テロ部隊は区画封鎖や救助活動が主だ。

 

 自衛隊こそが対テロの切っ先であるのは全国民周知の事実である筈だが、ピヨちゃんは違うと言う。

 

 「自衛隊が活躍しているのは事実だけど、実は公にされていない影の組織が存在するんだ」

 

 「影の組織……!?」

 

 思わず生唾を飲み込んだ。ピヨちゃんが言おうとしていることは国家機密に関することだろう。それをどうしてピヨちゃんが知っているのか疑問はあったし、それを知って消されないか――恐怖もあったがそれより好奇心が刺激された。

 

 東京に来て生きることに必死で娯楽らしい娯楽を楽しめなかったソラにとって、ピヨちゃんがもたらした情報は久しぶりの娯楽といえた。

 

 ソラが食い付いたことに気を良くしたピヨちゃんはわざとらしく咳払いをし、声の調子を整え、たっぷり焦らしてから、話し始めた。

 

 「組織の名前はSMB。少数精鋭の治安組織で新型のパワードスーツや武器兵器を所有する日本最強の部隊さ。掴んだ情報によると部隊には殲滅特化兵と呼ばれる兵科が存在し、シュガー、ブラック、ミルクのコードネームを持つ三人の兵士が所属しているみたいだ。この組織が鎮圧したテロ事件はどれも有名な事件ばかりで、大阪南北分断テロや去年の名古屋バイオテロ、九州難民暴動テロなんかも裏でSMBが活躍したらしいよ」

 

 「それが本当なら凄いけど、何処からその情報を知ったの?」

 

 ソラの疑問は尤もだったが、ピヨちゃんはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張った。

 

 「SMBの持つAI搭載のスーパーコンピュータ、マザーサーバーにハッキングして情報を盗み取ったのさ」

 

 「ハッキング……良く捕まらなかったね?」

 

 「僕を誰だと思っているのかな、ソラ君。ヤエガキ探偵事務所の代表ケータイ、ヤエガキ・スペイシー・ピヨちゃんであるぞ!! 頭が高い! 控えおろう!!」

 

 木霊するピヨちゃんの笑い声にソラはジト目をむける。

 

 ソラがピヨちゃんの下でバイトをし出してまだ数カ月だが、わかったことが幾つかある。

 

 ピヨちゃんが豪快に笑う時は何か後ろめたいことがある時/笑うことでその場を切り抜けようとする魂胆が丸見えだった。

 

 顔を近づけ、訝しげな表情/疑いの眼差しで睨むこと一分。ピヨちゃんが根負けした。

 

 「ごめん、嘘ついた」

 

 真顔で堂々と言うのもだからソラは拍子抜けし、表情が和らぐ。

 

 「本当は依頼されたんだ。SMBの副長さんから」

 

 「依頼? 副長さん? どうして?」

 

 「最近のテロリストはハイテク化も進んでサイバーテロも行うようになってきているんだ。大企業も何社かデータを破壊されたり、ネット口座から多額の資金を盗まれたりしたらしい。それでSMBのマザーサーバーも対サイバー攻撃強化プロテクトを組み込んで、実験的に外部からハッキングを依頼されたんだ」

 

 「事情はわかったけど、その依頼がどうしてこの事務所に?」

 

 ピヨちゃん自身が言った言葉=SMBは影の組織。

 

 一般人に存在は公表されない訳だから一般人が経営するヤエガキ探偵事務所に依頼が来ることはおかしい。

 

 「実はSMBの副長さんとヤエガキ先生は警備会社時代の同期なんだ」

 

 「初耳だよ」

 

 「まぁ、話してないからね」

 

 警備会社に勤めていた者が、独立し探偵業を始めることは珍しいことではない。

 

 探偵業において最も重要なのは人脈。

 

 如何に優秀な人間が探偵になっても、その優秀さが外部に伝わらなければ依頼は来ない。

 

 警備会社は仕事柄、警察/企業/多くの人と関わる。よほど内気でない限り、警察関係者とパイプを作ることも容易だ。

 

 「ヤエガキ探偵事務所が出来たのは八年前。警備会社勤務で培った人脈を活用してたった数年で新宿でも指折りの探偵事務所になった。SMBの副長さんとは警備会社を辞めた後も交流があって、依頼の件で直々に事務所まで来たから驚いたよ」

 

 「それで、マザーサーバーにハッキングした訳ね。それで、本当の結果は?」

 

 「……五つあるプロテクトの内、二つまでは破ったんだけど、三つ目でハッキングが発覚したよ。思い出しただけで悔しい」

 

 ピヨちゃんにしては珍しく本気で落ち込んでいるようだった。

 

 「長くなったけど、SMBを知ったきっかけはそういうこと」

 

 「なるほど。それで、私に話して大丈夫だったの?」

 

 「…………」

 

 ソラの問いかけにピヨちゃんは無言で明後日の方角をむいている。

 

 「…ピヨちゃん?」

 

 「あぁ、ソラ、今日も良い天気だね。こんな日は海に行って小笠原諸島まで泳ぎたい気分だね」

 

 「ピヨちゃあああああああああん!?」

 

 ソラの絶叫が事務所に木霊した。

 

 

 

 

 同日同時刻、都内の某所。

 

 「暑い!!」

 

 炎天下の空の下、火のついていない煙草をくわえた少女が不機嫌そうに叫んだ。

 

 「そんな格好しているからでしょ」

 

 その隣では半袖のジャケットと黒いワンピースを着た女性が立ち膝姿勢で巨大なライフルを抱えている。

 

 煙草をくわえた少女は黒と赤の斑模様のロングコート/黒いタンクトップ/迷彩柄のパンツ/黒いブーツと全身黒づくめ。真夏にそんな格好していれば暑いのは当然といえる。

 

 「うっせ。これは私のポリシーだ。例え砂漠のど真ん中でもこの格好で出動するさ」

 

 「暑さで脳みそ溶けているんじゃないの、シュガー」

 

 「あんたこそ無糖珈琲の飲み過ぎで腹ん中まで真っ黒だぜ、ブラック」

 

 お互い毒を吐き合うシュガーとブラックと呼ばれた二人の女性。

 

 シュガーの長い前髪の間から覗く鋭い紅い瞳がブラックを睨みつけ、ブラックの前髪に隠されていない紅い左目がシュガーを睨んだ。

 

 「喧嘩はそこまでだ」

 

 無言で睨み合う二人の前に金髪の男性が現れ、仲裁に入る。

 

 「先に喧嘩売ってきたのはブラックだぜ、ミルク」

 

 「それを買ったのは貴女よ」

 

 減らず口を尚も叩き続ける二人にミルクと呼ばれた男性はため息を漏らし、後頭部を掻いた。

 

 「仲が良いのは構わないが今は任務中だ。お喋りは帰還してからでも遅くないだろ」

 

 任務――その単語にシュガー+ブラックの表情に兵士の鋭さが浮かび上がった。

 

 SMB――三人が所属する非公式の対テロ部隊。

 

 現在は十時間前に出されたテロ予告警戒の為に出動し、待機中である。

 

 視界の先で縦横無尽に行き交う人々。数年前に大規模なテロ事件が起こった街も今はその痛みを乗り越え、或いは忘れて、活気を取り戻している。

 

 再びこの街でテロが発生すれば、前以上の混乱に見舞われるとシュガーは感じていた。

 

 忌まわしき記憶が蘇り、機械の両脚が疼く。

 

 テロリストに対する怒り/憎しみ/殺意が湧き起こり、強い破壊衝動に襲われながらも今はそっと耐える。

 

 悪戯による偽のテロ予告事件が頻発する中で、今回のテロ予告はSMBのマザーサーバーと解析班がほぼ100%の確率で本物のテロ予告と断言されたものだ。

 

 テロリストは必ず現れる。シュガーは迫る戦いの気配に高揚感を覚えながら、その時を待った。

 

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