俺をそこに案内してくれたのは小さな、黒い猫だった。
 秋・・・夏も終わり、紅葉が始まるにはまだ少し早い時期に、俺は都心から少し離れた場所にある、寂れて、昭和臭い商店街を訪れていた。
電車で二時間、降り立ったホームに人気は少なく、改札も見慣れた自動改札ではなく、駅員が切符を切っている。
聞いていた話と違う・・・最初に抱いた感想はそれだった。
此処を訪れたのは、古い知人に薦められたからだ。
その時の売り文句が・・・
『お前好みの商店街があるんだ。レトロな雰囲気に活気ある街並み。迷路の様な路地裏。一回行く事を薦めるぜ!』
確かにレトロで雰囲気自体は物凄く良い。
だが、並ぶ店の半分以上がシャッターを降ろし、通行人も地元の人であろう年配の人達だけだ。
これの何処が活気溢れた街なんだ!?
ゴーストタウンギリギリ手前の過疎った街じゃないか!
「くそっ、あの野郎・・・帰ったら〆てやる」
ため息と共に悪態を漏らし、踵を返して来た道を戻ろうとした・・・時だった。
『にゃ〜』
猫の鳴き声が聞こえた。鳴き声は直ぐ後ろから。
振り返ってみると俺の足元に、黒い小さな猫がちょこんと座り、俺を見上げていた。
首には鈴のついた首輪。野良ではないみたいだ。
『にゃ〜』
目があった小さな猫はもう一度鳴く。まん丸の綺麗な瞳にふさふさの綺麗な黒い毛。
・・・かっ、かわいい。
声には出さなかったが思わずうっとりとした顔をしてしまう。
この時ばかりは人が少なくて良かったと思う。
崩れた表情を慌てて直し、その場にしゃがみ、猫の頭をそっと撫でた。
まん丸の目を閉じ、気持ち良さそうなゴロゴロと鳴く姿は本当に愛らしい。
「散歩の途中か? 飼い主とはぐれたか?」
猫相手に話をする俺はかなりの変人だろうなと心の中で苦笑いしつつ猫をじっと見つめる。
すると猫は立ち上がり、俺に背を向けて歩き出す。三メートル程先まで歩いて行った所で突然止まり、俺の方を見てまた鳴いた。
「俺を誘っているのか?」
『にゃ〜』
問いに答える様に猫はまた鳴いた。
思わず声を出して笑う。この猫は人の言葉が理解できるのだろうか?
少しだけこの猫に興味が湧いた。
「よし、じゃあ俺をとっておきの場所に案内してくれよ」
『にゃ〜』
わかった、と言わんばかりに鳴くと猫はゆっくりと歩き出した。俺は着かず離れずの距離を保ちつつ、猫を追った。

五分程歩いた。商店街の真ん中辺りに居た俺は端の方まで来ていた。この辺りも殆どシャッターが閉まっていて活気が無い。
突然、猫が足を止める。
『にゃ〜』
猫が止まったのは店と店の間。ひと一人が通れるくらいの狭い路地の前。
猫は躊躇う事無くその隙間を進んでいく。
一瞬どうしようか迷ったが折角此処まで来たんだと自分に言い聞かせ、意を決して猫の後を追う。
狭い路地特有のジメジメした空気。壁沿いにあるパイプからは生活排水が流れ、地面は雨上がりのグラウンドの様にべちゃべちゃだ。
お気に入りの靴じゃなくて良かった。
と、くだらない安心感に浸りながら猫を追う。
この先に何があるんだ?
期待半分、不安半分と言う複雑な心境で、猫が通った道を進んだ。
三十メートル程、進んだだろうか。猫が立ち止って振り返り、また鳴いた。
猫の近くまで来て俺も立ち止まると、それの存在に気付いた。
木造建築の古い建物。
こじんまりと建つその家屋はこの商店街同様寂れていた。
「此処は?」
首を傾げ、家屋を見ているとある物が目に入った。
家屋の前に置かれた木で出来た椅子とその椅子の上に置かれた看板。
『黒猫喫茶』
看板には物凄い達筆な文字でそう書かれていた。
「此処は、お前ん家か?」
『にゃ〜』
猫は一度鳴くと家屋の扉の脇にある、小さな穴から家の中に入っていった。
少々怪しい気もするがそれ以上に好奇心が俺を駆り立てる。
ゴクリと生唾を飲み込み、俺はガラス戸を開けた。
ガラガラガラと心地良い音を立てながらガラス戸は開く。
「いらっしゃい」
家屋の中に入った俺に誰かが優しい声で出迎えてくれた。
まさか、あの猫か?
実はあの路地は不思議の国への入口で此処はお茶会を催す建物? でも待てよ?
確か猫じゃなくて兎だよな?
「どうかしたかい?」
くだらない妄想を展開していた俺にその誰かが心配そうに声を掛けた。
我に返った俺は声のした方を見る。
そこには初老の優しそうな男性が立っていた。白いワイシャツにくたびれたジーンズ。黒いエプロンが妙に似合っているこの男性は一体誰だ?
いや、普通に考えればこの場に置いて異端なのは俺だ。目の前のご老人はこの喫茶店の店長だろう。
「あの、此処は喫茶店で良いんでしょうか?」
「あぁ、そうですよ。表の看板に書いてありましたでしょ? 『黒猫喫茶』と」
どうやら喫茶店で間違いないらしい。しかし、店の中には俺と店長らしき人以外には誰も居なかった。
正確には例の猫がカウンターの上に居るから人間二人と猫一匹。
「所でお客さん。見ない顔ですが、観光客かい?」
「えぇ、まぁ」
素っ気ない返事をしてしまったが店長らしき人は笑顔になり、言葉を続ける。
「おぉ、それはそれは。こんな何も無い所に良く来て下さった。私はこの店の店長をやっている黒田茂三と申します。バイトの子や定連さんからはシゲさんと呼ばれております」
バイト・・・雇う余裕あるのか?どうみても赤字経営にしか見えないが、流石に口にするのは失礼だと思い黙っておいた。
「立ち話もなんです。さぁ、カウンターにどうぞ」
誘われるままにカウンターへとやってきた俺は俺を此処に案内してくれた猫に目をやる。
「・・・・お前も苦労しているんだな」
『にゃ〜?』
猫は首を傾げ、大きな欠伸をする。
なんでいちいち可愛いんだこいつは。
「ネロが気に入りましたかな?この店の看板娘です。良かったら可愛がってやってくだされ」
どうやらこの猫はネロと言うらしい。洒落た名前だ。俺はネロ、と猫の名前を呼ぶとネロはにゃ〜と返事をし、俺を見つめる。
頭を撫でるとまた気持ち良さそうな顔をした。
「何か、お飲みになりますか?」
「えっと、じゃあ珈琲を」
普段珈琲なんて完徹する時くらいしか飲まないが喫茶店と言えば珈琲と言う考えが俺の中にはある。
シゲさんは畏まりましたとお辞儀をし、珈琲を作り始める。棚から焙煎した珈琲豆とコーヒーミルを取りだし、一人前の珈琲豆をコーヒーミルに入れ、挽き始める。
珈琲を挽く独特の音と香りが店内に立ち込める。
インスタントコーヒーや缶コーヒーでは味わう事の出来ない香りを楽しみつつ、店内を見渡す。
席の数はそれ程多くない。店内の雰囲気は洋と言うより和に近かった。
色褪せた障子、木製のテーブルの上に置かれた行燈等々。
喫茶店と言うより居酒屋じゃないか、と思う様な内装。だけど嫌いじゃない。
所々に置かれた和風なインテリアも良い味出している。
「お待たせしました」
店内を眺めている間に珈琲が出来たみたいだ。カウンターの上に音も無くそっと置かれたコーヒーカップからは湯気と良い香りが漂っていた。
「頂きます」
一言言ってからコーヒーカップを持ち、まずは香りを嗅ぐ。
インスタントとは比べ物にならない香り。思わず唸る。
そして一口飲む。
「・・・」
息を呑んだ。豆から挽いた珈琲がこんなに上手いなんて。風味も味も比べ物にならない。ブラックはあまり好きじゃなったが全然嫌な苦さじゃなかった。
「如何、ですかな?」
「・・・美味しいです。こんなに美味しい珈琲、初めて飲みました」
「ほほっ、お口に合った様で何よりです」
嬉しそうに笑うシゲさん。
『にゃ〜』
その隣でネロが鳴く。だからかわいいって言ってんだろこの野郎。

それからくだらない世間話で小一時間ほど盛り上がった。
この喫茶店は五年前、定年と共に空き家だったこの家を買い取り始めたらしかった。どうしてこんな場所に?と聞くとシゲさんは、この家が気に入ってしまったからとハニカミながら言った。
ネロはもともとこの家に住み着いていた野良猫で、シゲさんに懐き、今ではこの喫茶店の看板娘にまで昇格していた。
自分の事も話した。都内で一人暮らししながら接客業をしていると。唯一の楽しみは休日、こうやって気ままに一人旅をする事。
この商店街には友人に活気ある商店街がある、と薦められて来たと説明すると、
「夕方以降に外に出てみると良いですよ。ご友人の言った通りのモノが観られますから」
そう説明してくれた。
夕方・・・現在時刻は三時十分前。夕方まで流石にまだ時間がある。
それまでどうしようか悩んでいるとシゲさんがある提案をしてくれた。
「もし良かったら夕方まで此処に居て下され。もうすぐ賑やかになりますよ」
もうすぐ? と言うのに少々違和感を覚える。
話の中で定連客が毎日通ってくれている言っていたけど、その時間にはまだ早い。
う〜んと唸っていると、突然入口の扉が勢い良く開いた。
反射的に扉の方を向くとそこには制服姿の小さな少女が立っていた。
「シゲさん! 買ってきたよ!!」
「毎日御苦労様、千夏ちゃん」
千夏と呼ばれた少女は右手にパンパンに膨らんだ買物袋。左手に学生鞄を持ち、満面の笑みで店内に入ってきた。
「およ? お客さん? 珍しいね、いらっしゃい」
俺の存在に気付いた千夏さん? は笑顔のままぺこりと頭を下げ、カウンターに買物袋を置いた。
「お客さん、見ない顔ですね? 観光客?」
「観光客ですよ」
突然現れ、いきなり親しげに話しかけてくる千夏さん? 相手にどう対応すればいいか分からす無愛想に返してしまう。
しかし、彼女は気にした様子は無く、
「へぇ、そうなんですか。あっ、私、新堂千夏って言います。身長の所為で中学生に間違われるんだけどこれでも高校生ですよ?」
「へぇ・・・小学生かと思った」
冗談っぽく言うとシゲさんが大笑いし、千夏ちゃんは顔を真っ赤にして俺を睨んだ。
「ひっ、ひどい!! いくらなんでもそれは・・・確かにまだ胸も小さいですけど・・・って何言わせるんですか!?」
いやいや、君が勝手に言ったんだけど・・・。
静かだった店内が彼女の登場により、賑やかを通り越して、一気に騒がしくなった。
シゲさんが言っていたのはこの事だったらしい。
賑やかになった店内で、ネロがカウンターの上でマイペースに欠伸を漏らしていたのを俺はちゃっかり見ていた。

「全く、観光客とは言え、久しぶりの新しいお客さんがこんな変態さんだなんて・・・」
シゲさんと同じ黒いエプロンを制服の上から来た千夏ちゃんが俺の隣に座り、残念そうに呟いた。
待て待て待て、異議あり!!
「小学生って言ったのは謝る。しかし、その後の事は君が勝手に言ったんじゃないか」
「貴方が言わせた様なもんです。シゲさ〜ん、私にもコーヒーちょうだ〜い」
仕事しろ。彼女は此処でアルバイトしている内の二人で毎日学校帰りに食材を調達し、やってくるらしい。
先ほどのやり取りにあった様に身長がかなり小さい。小学生と言われても違和感がないくらいに顔もまだまだ幼い。
「なにジロジロ見てるんですか?」
視線に気づき、珈琲を冷ましながら千夏ちゃんが睨んでくる。
客に対してその態度はどうなんだ? とツッコミたくなったが高校生相手に大人気ないと思い、グッと飲み込む。
「いや、可愛らしいなと思って」
かわりに嫌みたらしい冗談を口にした。
『何言っているの貴方? ロリコンですか?』
そんな返事が返ってくるだろうなと想像しつつ、反応を伺っていると、返ってきたのは想像と真逆の反応だった。
千夏ちゃんは顔を耳まで真っ赤にし、かなり動揺しているのかコーヒーカップを持つ手が震え、珈琲が零れる。
「かっ、かかかかかかか、可愛い!? わ、わわ私が!!?」
初めてそんな事を言われたと言わんばかりの初な反応にリアクションに困る俺。まさかそんな反応されるなんて思わなかったよ、この子はかなり初なのか?
「わわっ、私なんか全然可愛くないし!!むしろアッキーの方が数倍、いえ、百倍は・・・」
誰だよそれ。そんな心のツッコミが聞こえる筈も無く、彼女は両手で頬を覆い、ブツブツと呪文の様に呟き続ける。
「はははっ、すまないね、この子は褒められるのがどうも苦手でしてね」
今まで静観していたシゲさんが優しい声で一言そう言った。
いやいや、シゲさん。これは苦手とかそういうレベルじゃないです。発作のレベルですよこれ。そう思いながら改めて彼女の顔を見た。
胸の位置まであった長い髪は後ろでひとつに纏められている。顔立ちは幼さがまだ残るが十分に可愛いと言えるくらい。華奢な身体は発育途中なのが伺える。
俺にはこういうのが好きとかそう言った趣味は無いので単純に健全な女子高生としか映らないが、もし自分が高校生だったら普通に可愛いと思うんだろうなぁ。
「そうよ、タコちゃんが一番! 異論は認めない!!」
だから誰だ。どうやらとんでもない方向に進んでいた話を自己完結させた様で顔に赤みは無く今さっきまで取り乱し様が嘘の様に平然と珈琲を一口飲んだ。
「はははっ」
乾いた笑い声を漏らし、俺も少し冷めた自分の珈琲を一口飲んだ。
「シゲさん。今日は佐々城さん来るんですか?」
「佐々城君は別のバイトが入っていて今日は来られないみたいだ」
話の内容からしておそらくもう一人のアルバイトの人だろう。佐々城という人の名前を口にした千夏ちゃんの目。一瞬だけど輝いて見え、来られないとシゲさんが口にした途端、表情が少し曇った。
恋する乙女か。いいねぇ、青春だねぇ。
親父臭い事を考えつつ、自分が二十二と言う事実を少しばかり空しく感じた。
生まれてこの型、色恋沙汰を経験した事なんて一度も無いし、誰かに恋心を抱いた事も、無い。
今更だが、男臭い青春だったと思う。男友達と馬鹿やったり部活に明け暮れたり。
だが、そんな友人達も大学生や社会人になって女が出来て、俺は惚気話を聞く役割がすっかり板に着いていた。
・・・おかしいな、何でこの珈琲、塩の味がするんだ?砂糖と間違えて塩でも入れちまったか?
哀れかな、経験無しの、今の俺。
シゲさん達に気付かれない様にホロリと落ちた涙を拭い、塩味の珈琲を一気に飲み干し、カップをカウンターの上に置いた。
時計に目をやると三時半。商店街に活気が出る夕方にはまだ時間がある。
「あっ、そうだ! お客さん!! 良かったら私の新作料理食べていかない?」
何を突然言い出すんだこの子は。新作料理とか嫌な香りがプンプンするんだけど。
「お題はタダで良いよ。まだ試作ですから。試作品出してお金取るわけにはいきませんから」
まず試作品を客に出すな。完成品をださんかい。
しかも何かもう食べる事前提になっているらしく千夏ちゃんはカウンター内に入り、料理の準備を進めている。
俺は思わずシゲさんを見る。
「宜しければ付き合って頂けませんか? 彼女、なんだかんだいって新しいお客様が来て喜んでいるんですよ。普段は常連さんしかこないもんでして」
困った笑顔でシゲさんは頭を下げた。
「・・・分かりました。折角です、お付き合いします」
「ありがとうございます。お口に合わなかったら私がお出ししますので」
「あぁ、お構いなく」
シゲさんも苦労してるんだなぁ、と思いつつ、千夏ちゃんの後ろ姿を見る。既に調理を始めていて、手には包丁、まな板の上には玉ねぎ。
大丈夫か? と心配しながら見ていたがそれはどうやら取り越し苦労だった様だ。
千夏ちゃんは手際よく、玉ねぎの両端を切り落とし、皮を剥き、手際良く、玉ねぎをスライスしていく。
流石、喫茶店でバイトしているだけはあるな。あっという間に玉ねぎのスライスが完成し、千夏ちゃんはこちらを振り向く。
目でどうだ? と問いかけてくる。
「期待できる料理が出来そうだ」
「ふふ、それを上回るモノを作って上げますよ」
彼女は自信満々にそう言い、次は人参を手に取った・・・・・が。
「いたたたた!! 目が!! 目がぁぁ!!」
前言撤回。果てしなく不安になってきた。
シゲさんの同様らしく、苦笑いを浮かべ、優しい瞳で千夏ちゃんを見つめていた。
う〜ん、これは不安と言うより、やんちゃな孫娘を見守るお爺ちゃんってとこか? 常連さんの娘って話みたいだけど、こうやって見ていると何処にでもいそうな孫と祖父にしかみえない。
微笑ましいな、と思いながらいつの間にか隣の椅子に座っていたネロに気付き、視線を移す。
「お前もそう思うか?」
『にゃ〜』
ネロも俺とおんなじ事を考えているみたいだった。俺とネロが見守る中、千夏ちゃんの料理は続いた。
食材の下準備が終わり、続いて登場したのはフライパン。火の上に乗せ、サラダ油を引き、十分に温まった所で切った野菜を入れていく。
野菜の焼ける良い音と、食欲をそそる良い臭いが俺の所まで届いてくる。
少し炒めた所で挽肉を入れ、更に炒める。
ふむ、分かったぞ、彼女が作ろうとしているのは喫茶店では定番のアレだな。
でも新作料理って言ったよな?何処が新作なんだ?
まぁ、完成してからのお楽しみか。
挽肉まで火が通った所でそこにご飯を投入。具材がご飯に均等に混ざる様に、木ベラで混ぜていく。
 十分に混ざった所で次は味付け。冷蔵庫からケチャップ・・・・・・じゃない?あれは、鰻のタレ??
 何故か鰻のタレを取り出した千夏ちゃんはそれを躊躇う事無く、炒めたご飯に掛けた。
 鮮やかな赤に染まる筈だったご飯と具材は茶色に染まっていく。タレの良い匂いが食欲をそそる・・・訳無い!
 おかしくないか? 彼女が作っていたのは間違いなくオムライスだった筈だ。オムライスと言えばケチャップが定番。そもそもそれ以外無くないか?
喫茶店の洋食の定番。それがオムライスだ。
 それなのにまさかの和洋のコラボレーション!
 あ〜、胃薬持って来ていたかな? ・・・げっ、無い。
 どうしようも無い不安が俺を襲う。主に胃が。
 頼むから食べられる物を出してくれ、と祈りつつ、千夏ちゃんの鼻歌が悪魔の讃美歌にしか思えない状況をただひたすら耐えた。

 「完っ成! お客さんお待たせ! 出来たよ、千夏特製鰻オムライオス!!」
 鰻入ってなくね? 風だよね? ってかタレなだけだよね?
 外見はとても美味しそうなオムライス。香りの鰻のタレ。掛かっているのも鰻のタレ。
鰻は一切れも入っていない。
 「さぁ、召し上がってください。自信作です!」
 「いっ、頂きます」
 覚悟を決めろ、俺。目の前に置かれたスプーンを持ち、半熟のオムレツをそっと割る。
 わぁ、見事な茶色。
 これが普通のオムライスだったらどれだけ美味しかった事か。シゲさんが気を利かせて置いてくれた水の入ったグラスを片手に、十字を切りながら茶色いオムライスを口の中に運んだ。
 ゆっくりと咀嚼する・・・・・・うん? あれ? これは・・・?
 「以外だ。美味い・・・」
 「以外ってどういう事ですか!?」
 言葉の意味そのままですけど。
 まず誰が鰻のタレを使ったオムライスを想像する?これは先人に対する冒涜だろ。美味いのが少々納得いかないが。
 「こんなに創作性に溢れた料理は他にありませんよ、ねぇ、シゲさん!?」
 シゲさん滅茶苦茶返答に困ってる。
 「ひとつ聞きますが、これ自分で食べた事あります?」
 「ないですよー」
 即答ですかそうですか。ため息しか出ないよ全く。

 千夏ちゃんが作った特製オムライスを平らげ、食後の珈琲を飲みながらネロとじゃれ付いている彼女を遠目に見る。
 「申し訳ありません。後程、しっかりとした料理をお出ししますので」
 シゲさんはそう言いながら何度も頭を下げる。
 「いえ、お構いなく。悔しいですが正直美味しかったですから」
 こればっかりは嘘でも冗談でも無い。
 甘辛いご飯にふんわり仕上がったオムレツ。野菜の歯ごたえや甘みも出ていて、得点にするなら七十点くらい。
 多分普通のオムライスだったら九十点くらいはいっていたな。つまり普通のオムライスが食いたかった訳だ。
 「シゲさんも苦労しますね?」
 「はははっ、それも楽しみの内ですよ」
 どうやら俺が思った事は強ち間違いでは無かった様だ。雇主とアルバイトでは無く、祖父と孫。そんな関係らしい。
 「さて、そろそろ準備をしますので少し席を外します」
 「準備?」
 「えぇ、そろそろ常連さん達が来店し始める時間ですので」
 時刻は四時半。早い所ではそろそろ仕事も終わる時間かもしれない。
 ネロと戯れていた千夏ちゃんもいつの間にかカウンターに入り、シゲさんと並んで食器や食材の準備に取り掛かる。
 手持無沙汰になった俺はネロと戯れる事にした。
 頭を撫でると相変わらず気持ち良さそうな顔をする。
 今まで犬派だったがネロと会って猫も悪くないと思い始めた。今まで動物を飼った事はないが、いずれは飼ってみようと、思った。

 五時前。常連客の一人目がやってきた。青いつなぎを着た男。首にはタオル。手には作業道具が入った鞄。
 「いらっしゃいませぇ」
 千夏ちゃんが笑顔で常連客を迎える。
 「こんばんは、千夏ちゃん。いつものお願い」
 「は〜い。シゲさん。阿部さん、いつものアレお願いします」
 いつのもアレで伝わる辺りが常連故なのだろう。阿部と呼ばれた男は一番奥の席に座った。
 常連客ともなると大体座る席とかも決まっていたりする。此処は誰かの指定席だったりしないよな?
 「そこは大丈夫です。カウンターは奥の三つ以外空いていますから」
 千夏ちゃんに聞くとそういう答えが返ってきた。ちなみに一番手前の席はネロの指定席らしい。お前は看板娘だよな?
 それから続々と常連客が店を訪れた。
 スーツ姿のサラリーマンから部活帰りの学生、大学生。年齢も様々でシゲさんと同じ年齢くらいのご年配の方がカウンターに座り、シゲさんと談笑を始める。
 「千夏ちゃ〜ん、コーラおかわりぃ」
 「は〜い、少々お待ちを〜」
 「おい、千夏、オムライスはまだか?」
 「あんたは最後よ!!」
 学生服の少年ががっくり肩を落とした。おそらく同級生か知り合いなのだろう、でなきゃ暴言も良い所だ。
 シゲさんはカウンターで注文された料理を作り、千夏ちゃんがそれを客席まで運ぶ。同時に会計も手際よくやっていく。
 「俺もそろそろお暇するかな」
 『にゃ?』
 「またな、ネロ。すぐにとはいかないが、必ずまた来るよ」
 最後にネロの頭を撫で、席を立つ。
 「千夏ちゃん、お勘定お願いできるかな?」
 「は〜い、あっ、帰っちゃうんですか?」
 ちょっとだけ悲しそうな表情をする千夏ちゃん。
 「また来るよ。ネロにも約束した、な?ネロ」
 『にゃ〜』
 レジの置かれた机に飛び乗り、ネロは鳴いた。
その姿があまりにも可愛らしくて、俺達は声を出して笑った。
勘定を済まし、シゲさんに一言挨拶して、店の外に出た。空はすっかり暗くなり、早秋の少し冷たい風が吹く。
来た時には気付かなかったが、店の前と路地にはしっかりと街灯が付いてた。
来た道を戻り、商店街の通りに出た俺はシゲさんが言った言葉の意味を理解した。
昼間、ゴーストタウンの様だったのが夢か幻の様に、通りは人で溢れかえっていた。
シャッターに降りていた店は普通に営業していて、店の前で店主が大きな声で客寄せをしている。
店の種類もかなり豊富だ。八百屋、魚屋や精肉店、総菜屋。
活気溢れるその光景に感動を覚えた。レトロな雰囲気を出しつつも、活気に満ち、人と人が触れ合う商店街。
俺が観たかった光景がそこに広がっていた。
『にゃ〜』
猫の鳴き声がした。足元も見るとそこにはネロが居た。
「・・・ありがとう、ネロ。お前が俺を『此処』に案内してくれた」
俺にとってはこの黒くて小さな猫が『不思議の国』への案内人だった訳だ。
「また来るよ。その時はまたあそこに案内してくれるよな?」
『にゃ〜』
了解、ネロはそう言っている様に思えた。
ネロは俺に背を向け、例の路地を通って自分の店に戻っていった。
さて、俺も今日の寝床を探さないとな。
暖かいモノを感じつつ、夜の商店街をひとり歩いていった。

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