10月31日。
日本ではなんてことない、10月の最終日で明日から11月になるだけの日。
天城村では迫る白い季節を前に各家庭で冬仕度が始まり、吹く風も冷たく、道行く人の足も速い。
チトセの家でも押し入れから冬用の布団が出され、夏服を衣装ケースにしまいこみ、居間にはコタツも登場し、飼い猫が既に中で丸くなっている。
今年は例年より気温の低下が早く、寒さには強いチトセも長袖にカーディガンを羽織り、長い髪をまとめて、せっせと布団を干していた。
 
「お母さん、出すのはこれで全部?」
 
「そうね。後は夏布団をしまうだけよ」
午前中に干してあった夏布団は寒さの中、太陽のぬくもりを目一杯浴び、冬眠の準備を終えている。
チトセは母親と二人で家族分の夏布団をしまいこみ、次いで夏服の入った衣装ケースも押し入れにしまった。
時刻は三時過ぎ。
一休憩するのは丁度いい時間だが、チトセにはまだやるべきことがあった。
髪を纏めていた髪紐を解くと少し汗で湿った髪がストンと落ち、気持ちが引き締まる。
 
「それじゃあ、行ってきます」
 
「はいはい、楽しんでらっしゃい」
意味あり気な母親の笑顔を背にチトセは小学校にむかった。
 
 
10月31日――西洋の文化を惜しげもなく受け入れてきた日本はこの日に行われるハロウィンも二十一世紀になってから一般にも認知されるようになり、昨今では大小様々なハロウィン企画が各地で開催されている。
天城村では農業組合が中心となって収穫祭イベントとして企画を練っていたが残念なことに今年は開催するに至らず来年こそはと意気込んでいる。
特に意気込んでいたのはケンシンで今年開催出来ないとなると別の企画を立ち上げた。
トリックオアトリート。
仮装とした子供達が家を訪問し、悪戯されるか、お菓子をくれるか――大層理不尽に思える要求をするハロウィンの伝統的な行事の一つでケンシンはそれを行うことにしたのだ。
教育委員会や小学校の教師達に頭を下げ、教師と保護者の同伴という条件付きで企画は無事に通された。
初回の参加者は保護者を合わせて三十名弱。
三つの班に分かれ、参加者の家を回り、お決まりのセリフを行って回る。
チトセはケンシンの依頼で参加することになり、仮装もすることになっていた。
小学校に到着すると既に半分以上の子供達が集まっており、思い思いの仮装をし、笑い合っている。
 
「こんにちは」
子供たちの様子を遠目に微笑ましく眺めていた保護者達に声を掛けると笑顔で応えてくれた。
 
「忙しいのに、今日はありがとね」
 
「いえ、ケンシンさんだけに任せておくと何が起こるのか分からないので」
確かに、と笑いが起こった。
チトセは子供たちにも軽く挨拶をすると、衣装が用意されている更衣室にむかった。
 
「よう」
 
「……」
更衣室の前には、チトセ同様、ケンシンから手伝いを頼まれ、既に仮装姿のカムイが待機していた。
カムイの仮装はかの有名なドラキュラ伯爵。
燕尾服の上に外套を羽織り、付け牙をした姿はとても様になっていのるが、それを口にするはなんだか悔しくてチトセは口を噤んだ。
 
「惚れるなよ?」
気障なポーズを決め、カムイは得意げな表情。
 
「冗談は恰好だけにしてよ、もう」
ため息を漏らし、チトセは更衣室に入った。
長椅子にチトセ用の衣装が用意されていて、一番印象的なのはやはり黒いトンガリ帽子だ。
チトセが扮するは魔女。
衣装の準備は任せろとケンシンは自信気に言っていたが、なるほど確かに良く出来た衣装だった。
だが待てよと、チトセは違和感を覚える。
魔女と言えば黒いローブで露出度は皆無というのが印象だが、ケンシンが用意した衣装は気の所為か布の面積が小さい。
いや、気の所為じゃない、どうみてもこれはミニスカートだとチトセの表情がみるみる険しくなっていく。
 
「チトセ〜、準備できたか?」
コンコンとノックの後にケンシンの呑気な声が扉越しに聞こえた。
タイミングが悪いと言うべきか、チトセは大股で近づくと勢いよく扉を開け、そこにいたケンシンを睨みつけた。
 
「おう、どうした?」
ニッと笑うケンシンの表情は間違いなく確信犯が浮かべるそれであった。
 
「どうして魔女の仮装なのにミニスカなんですか!!」
 
「最近の魔女はミニスカらしいぞ」
と、ケンシンの手にはなにやら薄い本が握られ、表紙には露出度の高い服の魔女がでかでかと描かれていた。
高校時代の友人が同人誌を大量に持っていた為、それがなんなのかは理解できたが、どうしてケンシンがそれを持っているかはこの際、突っ込まないでおく。
 
「それは仮装じゃなくてコスプレです!!」
 
「変わらんよ。ほらほら時間もないし、準備出来てないのはお前だけだぜ」
チトセはケンシンに背中を押され、更衣室に戻されると背後で扉がゆっくりとしまった。
校庭で待ってるぜと声を最後にケンシンとカムイの気配は遠ざかっていった。
もはやため息すら漏れなくなった口をへの字に曲げ、腰に手を当てる。
衣装と銃数秒にらめっこし、ついに観念したチトセはミニスカ魔女に大変身。
白と黒のストライプのニーソと黒いスカートが作り出す絶対領域は聖域の如く輝きを放つ。
 
「……」
姿鏡に映った自分と見つめ合い、試しにくるりと回ったり、ポーズを決めたりする。
 
「悪くない、わね」
まんざらでもない様子のチトセは若干気分を持ち直し、更衣室を出て校庭にむかう。
既に参加者は全員が集まり、登場したチトセを見るや否や、子供たちは歓声を上げ、大人達は楽しそうに微笑む。
視線を一斉に浴び、恥ずかしくなったチトセは咳払いをし、ケンシンに目配せをする。
 
「はい、それでは準備が整ったのでケンシンプレゼンツ!! ハロウィン企画を始めたいと思います!!」
声高々に宣言すると拍手が起こり、子供たちはテンションは最高潮に達する。
 
「事前に配ったプリントの班で各家庭を回って、お菓子を貰ってきて、また此処に戻ってくる。保護者の方々は道中の引率をしっかりとお願いします」
画して、天城村での小さなハロウィンパーティーが始まった。
チトセが担当するのは商店街の方にむかう班で二人の保護者と一緒に八人の子供を引率する。
学校を少し下った交差点で班は別れ、チトセの班はそのまま商店街に入る。
まだまだ人通りは多く、既にハロウィン企画のことを知っている村人たちは仮装をしてはしゃぐ子供たちを微笑みながら眺め、そしてチトセの格好で度肝を抜かれる。
それは仮装というよりコスプレで、高校生や中学生の男子はその聖域に串刺しになっている。
チトセは努めて平静を保ち、順に家を回っては子供たちと一緒に声を出した。
 
「トリックオアトリート!!」
子供たちの元気な声が重なり、その微笑ましい光景にチトセの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
急ごしらえな企画ではあったものの、ケンシンの行動力の高さと教師や住民の協力もあって、問題なく、進行していった。
チトセは改めてケンシンの子供に対する好意と村に対する熱意を感じ取っていた。
ハチャメチャな部分もあるがそれも魅力の一つだと、チトセは思った。
一時間ほどで家を回り切り、再び商店街を通って、小学校に戻る。
その時もやはりチトセに視線が集中し、必死に平静を保った。
小学校に戻ると他の班も戻っていたが、ケンシンの姿はなかった。
チトセ達が戻ったところで、教師の一人がケンシンが会議室で軽いパーティーの準備をしている旨が伝えられ、一同、会議室に移動する。
カムイが扉を開けると、彼の口から珍しく素っ頓狂な声が漏れた。
なんだなんだと子供たちが押し合うように会議室に流れ込むと、悲鳴にも似た歓声が上がった。
チトセはカムイの背後から中を覗くと彼と同じように素っ頓狂な声が自然と漏れた。
狼男がいた。
それがケンシンなのは理解出来ていたが、その姿はあまりにもリアル過ぎた。
仮装やコスプレの次元を越え、ハリウッドの特殊メイクばりの完成度を誇る狼男ことケンシンは子供たちの反応に満足そうにほくそ笑み、カムイとチトセにドヤ顔で親指を立てていた。
子供たちと一緒に家を回らなかったのはこの為かとチトセは頭を抱え、カムイも少々引き気味だ。
後から入ってきた保護者達もケンシンの姿を見とめると苦笑いを浮かべた。
 
「この中で誰よりもケンシンさんが子供だな」
 
「あれで家庭持ちだなんてね」
 
「そういえば、その衣装、ケンシンさん作らしいよ」
チトセはてっきり、通販かなにかで購入したとばかり思っていたが、まさかの手作りに度肝を抜かれる。
チマチマと裁縫するケンシンの姿を想像し、吹き出しそうになるのを堪える。
 
「奥さんは苦労してそうね」
 
「男は子供心を残している方がいいもんさ」
ニッと笑うカムイの笑顔は何処となくケンシンの笑顔に雰囲気が似ている。
それもそうねと、笑ってチトセは頷いた。
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