何処まで行っても緑に溢れた街道を一人の青年がゾンビの様な足取りで歩いていた。
茶色のジャケット、大きな鞄、どんな困難な道も乗り越えられそうな頑丈なブーツ。
腰には幾つかの小さなポーチと、一丁の拳銃。
大きな鞄に、野宿用の毛布や着替えは入っているのだが、食料は一切無く青年は二日前から、水以外口にしていなかった。
足を前に出すだけでも今の彼にとっては苦痛で、足を引き摺りながら歩くのがやっと。
「ねぇ、秋人。お腹減った」
青年しか居ない筈の街道に、どちらかと言うと女性よりの中性的な、無駄に明るい声が響いた。
良く見ると、青年の頭の上には全身白い羽毛の雀が一羽、彼の頭の上が巣であるかの様にどっしりとした佇まいで、そこに居た。
「木の実でも食ってろ、りぅ」
青年―――秋人は苛立った声で謎の声に返事をし、右足を前に出した。
―――ズルズルズル。
足を引き摺る間抜けな音と秋人のため息だけが、虚しく街道に響く。
「ねぇ、秋人」
再び、謎の声。
「なんだ?」
「何時になったらご飯になるの?」
「・・・今すぐお前を食ってやろうか、りぅ?」
秋人はおもむろに頭の上の白い雀を鷲掴みにすると顔の前に持ってきて、恫喝した。秋人の目は半分理性を失い掛けていて、目がマジだ。
拘束された白い雀は最後の抵抗とばかりに小さな嘴で秋人の手を突く。
「ちょっと正気に戻りなさいよ、秋人! 私を食べたって半分は骨よ!!」
喋る白い雀―――りぅは涙声になりながら必死に訴えた。
「あぁ、美味そうな焼き鳥・・・唐揚げ」
秋人の口からは涎が垂れる。
「どっちもいやああぁぁ!! って、ちょっと待って秋人!! 気配!! 獣の気配!!」
りぅの耳が野生の獣の気配を捕らえた。
口を大きく開けようとしていた秋人の動きがピタリと止まり、眼に一瞬で生気が宿った。
りぅをポイ捨てする軽い動作で投げ捨てると腰の拳銃を抜いた。
「飯じゃああああああ!!」
今までのゾンビの如く動きが嘘の様に秋人は猛然と走り出した。
地面に激突する直前で体勢を立て直したりぅは慌てて秋人の後を追い、
「秋人!! 逆!! 方向逆!!」
秋人の見切り発進を必死に止める為に大声で叫んだ。
「何!? こっちか!?」
機敏な動きで方向転換した秋人はりぅが示した方向に向かって走り出した。
街道から外れ、草原を越えた森の中。一頭の狸が狩人の目に留まってしまった。
殺気丸出しの双眸と、食欲に支配され、涎を垂らす口元。
本能的に危機に察した狸は一目散に駆け出す。後を追う狩人・秋人、それを追い掛けるりぅ。
「待てやああああ!!」
鬼の形相、悪魔の叫び、龍の咆哮の如く銃声が響く。
「秋人!! 無駄撃ちしないの!!」
りぅの叫びも飢餓により極限状態に陥った秋人には届かず、狸に当たらない銃弾があっちやこっちに飛来し、地面を抉り、幹を砕き、空を切る。
十五発入りの弾倉を一つ撃ち切り、ポーチから別の弾倉を取り出し、グリップ内部に叩き込み、初弾を薬室に送り込むと同時に引金を引いた。
撃鉄が雷管を叩き、薬莢内の火薬を爆発させ、弾頭を亜音速で銃身から発射する。
発射された弾頭は逃げる狸に一直線に飛来し、遂に背中に命中した。
鉄の塊は肉を抉り、内臓を破壊して貫通し、地面を抉った。
狸は前のめりに倒れ、身体を何度か痙攣させ、動かなくなった。
狩人・秋人の勝利で戦いは終わった。
勝者である秋人は二日ぶりに有りつける食料に目をギラギラさせ、ポーチからナイフを取り出した。
「ふっ、ふふふ、二日ぶりの飯だ。待ってろ、りぅ。直ぐに飯を作ってやるからな」
狂気すら感じられる秋人の後ろ姿に、りぅは何時か本当に食べられるかもしれないと、本気で不安に思っていた。
「あぁ、美味しかった」
満足げに呟くりぅは秋人の頭の上で既に眠気眼だ。
二日ぶりの食事に有り付けた秋人も漸く落ち着きを取り戻した様で、残った狸の肉を干し肉にする作業を黙々と行っている。
作業を終え、コンロを鞄の中にしまい、立ち上がる。
「さて、腹も膨れたし、今日中には辿りつけると良いな」
「噂の廃墟? 本当にあるの?」
りぅの疑問の声。頷く秋人。頭の上から落ちそうになるりぅ。頭の上から肩の上に移動。
「有るか分からないから行く価値があるのさ、りぅ」
軽快な足取りで街道を進む秋人。爽やかな風まで吹き、木々が囁く。先程までのゾンビの進行とはえらい違い。
街道を順調に進み、太陽が一番高い位置から少し下がった頃。
森を抜け、再び街道が丘に差し掛かった時、目的の物が秋人とりぅの目に飛び込んできた。
「・・・あれ?」
「あれ、だな」
雑木林に囲まれ、錆びて朽ちかけた屋根、割れた窓ガラス、ヒビの入った薄汚れた壁。
二週間前に立ち寄った街で聞いた、前世紀の遺物。
坂を下り、雑木林を抜け、廃墟を囲む鉄柵の前に立った秋人はただ息を呑んだ。
見た事も無いからくり仕掛けの塔やタイヤが四つ付いた鉄の箱。
「凄い」
りぅが無意識の内に感嘆の声を漏らし、秋人の肩から飛び立ち、彼より先に鉄の柵を越え廃墟の中に足を踏み入れた。
秋人も柵に空いた穴から廃墟の敷地内に入り、過去に栄えた文明の名残を全身で感じる。
綺麗に整地された地面には悪路を歩く為に造られた頑丈なブーツは酷く不釣り合いで逆に秋人を不安にさせる。
放置されたタイヤの付いた鉄の箱。正面は顔の様にも見え、窓らしき物や、箱の中には人が座る椅子まで取り付けられている。
「これが、車か?」
「車? 前に読んだ本に乗っていた?」
「あぁ。人を乗せ、奇妙な鳴き声を上げて馬より早く走るからくりらしい」
「馬より早く? 昔の人はせっかちだったんだね」
呆れた様に、驚いた様にりぅは呟き、秋人の肩の上に戻った。
「ねぇ、中に入ってみようよ」
りぅに急かされ、秋人は開いたまま、二度と閉じる事の無い正面玄関から廃墟の中に足を踏み入れた。
ブーツがガラスの破片やネジを踏む。
真っ直ぐに伸びる廊下の天井には長い筒状の何かが一定の距離を置いて並び、秋人達を無言で歓迎する。
散乱する過去の遺物達を前に秋人は目を輝かせ、一つひとつ興味深げに眺め、触り、一体何に使ったのか、考える。
その中から、何となく使えそうで、邪魔にならない物を手に取り、次の街で売る様に鞄の中に放っていく。
世の中には物好きと言うべきか、過去の遺物を収集する骨董家が居るもので、廃墟等で手に入る何に使うか分からない代物を高値で買ってくれる人間がそれなりに存在する。
此処まで大規模な廃墟を訪れたのは初めてで、大収穫となり、秋人はかなり満足気だ。
これならかなり纏まった旅資金が手に入り、不味いが日持ちする携帯食料を沢山買う事が出来るだろうし、次の街で贅沢してシャワー付きの宿に泊まっても罰は当たらない筈。
「上機嫌だね、秋人」
りぅも何処か満足気で、声に内心が現れている。
「過去の遺物がこんなに手に入った上に、貴重な体験まで出来ているんだ。上機嫌になるのも当たり前だろ?」
笑顔で答える秋人はまた新たな遺物を見つけ、其方に足を向ける。
「なんだろうね、これ」
銀色や青色に塗装されたからくり。左右に細かい網目があり、からくりの一番上には蓋の様になっている。
「押すって書いてあるけど・・・押してみる?」
「・・・押して、爆発したりしないよな?」
「少なからず四十年以上前の代物だよ? 仮に爆発したら、運が無かったって事で」
りぅはそう言いながら秋人の肩から少し離れた場所に移動する。
秋人はため息を漏らしながら、速まる鼓動を抑え、押すと書かれた部分を遠慮気味に押した。
カチッ、と言う音。反射的に指を離すと、蓋の部分がゆっくりと開いた。
恐る恐る戻って来たりぅが開いた蓋の中をそっと覗き込むと、光の加減で色を変える円盤が一枚、置かれていた。
「なにこれ?」
「分からないけど、凄く綺麗だ」
それはCDと呼ばれた代物だが、秋人達がそれを知る術は無い。
壊れ物を扱う様な慎重な手つきでCDを取り出し、マジマジと見つめる秋人とりぅ。
「なんか、ちょっとした衝撃で壊れちゃいそうだね」
「そうだな。何か、入れ物があればいいんだが」
CDを片手に辺りを見回すと、からくりの陰に、正方形の薄い箱が目に入った。サイズもCDが丁度納まる程のサイズ。
開け方が分からず、一分程苦戦してやっと蓋を開け、CDを納める。
「この箱、この円盤を入れる為の物だったのか?」
「どうだろうね。ぴったりハマったし、そうなんじゃない? 次の街で知っている人が居るかもしれないし、大事にとっておこうよ」
そうだなと、秋人は頷き、CDの入った箱を鞄の中に入れ、また歩き出す。
人が住まなくなって久しいこの廃墟は中も外も荒れ放題。獣の排泄物や食事の跡がそこら中に見受けられ、中には人が一晩過ごした痕跡も複数見受けられた。
五階建てのこの廃墟の小さな屋上。心地良い風が吹き抜け、鉄の錆びた匂いも一緒に運んでくる。屋上から見える景色は建物の中とはまた違った景色で、錆びた屋根の茶色と、整地された地面の灰色。廃墟を囲む雑木林の緑が、不思議な調和を生み出し、見る者の心を魅了した。
「良い、景色だね」
「あぁ。餓死覚悟で来た甲斐があった」
蘇る苦悩の思い出。だがそれも此処に来る為の試練と思えば、辛くも悪くない道だったと思えた。
「で、どうするの? 今日は此処で獣と一泊?」
「相部屋は勘弁だ。だけど、もう少し先人達の英知を感じたいから一泊」
四十年から五十年前に、世界を滅ぼす大きな爆弾によって、先の文明は一切滅んだと、教わった。
この廃墟はその遺物。一体どれほどの技術を誇った文明だったのか、秋人には理解出来ないが、それを肌で感じるだけでも、満足だった。
「もう少し建物の中を回って、良い寝床が見つかったら、今晩のご飯を狩りに行こう」
「もう無駄弾は撃たないでよ? 一発幾らすると思ってるの」
「さっきは悪かったよ。人間、極度の空腹になると何をするか分からないんだよ」
悪びれず、ニッと笑う秋人にりぅはただただため息を漏らす事しか出来なかった。
茶色のジャケットを着て、大きな鞄を背負って、どんな悪路も簡単に乗り越えられそうな頑丈なブーツを履き、腰には幾つかの小さなポーチと一丁の拳銃をぶら下げた青年、秋人。
白い羽毛を持ち、人語を操る雀、りぅ。
一人と一羽の果てしない旅はこれからも続く。
遥か彼方を、目指して―――