「彼方へ――― 二話」

 自然界は人がその身だけで生きるには過酷な場所だ。
 夜、眠りに就くのに火を使う。凶暴な獣から身を守る為に。
 茶色のジャケットを身に纏い、大きな鞄は現在背凭れ代わり。
どんな困難な道も乗り越えられそうな頑丈なブーツは履いたまま、腰の幾つかの小さなポーチは外し、一丁の拳銃を下げたまま、その持ち主は地面の上に腰を下ろしている。
世界を気ままに旅する少年、秋人。その相棒である白い雀で人語を使うりぅ。
深い森の中、二人は焚き火を囲み、遅い夕食中。
二人を煌々と照らす炎は数十メートルより先は照らさず、その先は暗闇。
先日、干し肉にした狸肉を火で炙り、程良く油が滴った所で火から放し、かぶりつく。
「うん、美味い」
美味い物を食べると人は自然と笑顔になる。満足そうに干し肉を食べ進める秋人の肩の上でりぅが器用に干し肉の欠片を突いていた。
食事を終え、小さな鍋で水を温めている最中、りぅが何かを気配を察知する。
「秋人、三時の方角に獣の気配」
一瞬で腰のホルスターから拳銃を抜き、りぅが示した方向に銃口を向ける。
木が爆ぜる音と木々がざわめく音以外、秋人の耳には届いてこない。
暗闇の先に居る何か。見えない敵に秋人の鼓動は速まり、汗が顎から地面に落ちる。
野宿する場合は必ず自分を中心に半径二十メートルの縄張りを作る。低い位置にロープを張り、枝木や板を括りつけて鳴子を作る。
鳴子は鳴らない。少なからず、秋人の縄張り内には侵入していない様だ。
「何処かに行く気配はないよ、どうする?」
「・・・こうする」
秋人は銃口を三時の方向に向けたまま、引金を引いた。
乾いた銃声が響き、木々に止まっていた鳥達が一斉に飛び立つ。
銃声の余韻が数秒間続き、突然訪れる静寂。
「逃げてったね」
りぅの一言で秋人は緊張の糸を解く。額の汗を拭い、拳銃をホルスター納め、腰を下ろした。
「しっかし、相変わらず五月蠅いね、その拳銃って言うのは」
秋人が使う拳銃は9mm弾を使い、装弾数は十五発。
前世紀にそれまであった文明は滅んだ筈なのに、拳銃を始めとする一部の銃火器だけはその技術が完全な状態で後世まで残った。
「どうして、銃の技術は残ったんだろうね」
りぅが小首を傾げ、秋人の腰に目をやる。
「簡単さ」
沸騰したお湯を粉末ミルクの入った金属製のコップに移し替えスプーンで掻き混ぜながら、秋人は答えた。
「簡単? ごめん、私にはわからないから教えて」
ホットミルクを一口飲み、秋人はホルスターから拳銃を抜き、焚き火の光を受け、黒く光る銃身を見つめながら口を開いた。
「過去の人間達は、生活の便利さよりも誰かを殺す為の技術を必要とした、それだけだ」
殺すと言う単語を秋人は無意識の内に強調していた。
「殺すって・・・首都だと防衛部隊が銃を標準装備にしているんでしょ? 銃は誰かを護る為の道具でしょ」
「誰かを護る為には、時に誰を殺さなきゃいけない。それは正義か?」
「・・・私は鳥だから、人の倫理観や常識ってのが良く分からないけど、誰かを護る事はいけない事ではないと思うよ?」
「別に誰かの為に人を殺すのが悪いとは言っていない。だがな・・・」
そこで秋人はホットミルクを飲み、もう一度拳銃に目を落とす。
「誰かの為に誰かを殺すなら、それ相応の覚悟を持つべきだ」
「ごめん、どういう事?」
「もしお前が人だったとして、自分の大切な人を護る為に、名前も知らない相手を殺さないといけない状況に陥った時、どうする?」
「そりゃ・・・名前も知らない誰かを殺すと思うよ」
りぅは躊躇いながらもそう答えた。
秋人は満足そうに頷き、りぅに顔を向ける。
「俺も同じ選択をするだろう。それで、それは誰の為に?」
誰の為に―――りぅは返答に困った。誰の為に名前も知らない相手を殺すのか。
りぅが返答に困っているのを察した秋人は先に口を開いた。
「おそらく、殆どの人間は大切な人の為に名前も知らない相手を殺すと答えるだろうな。だがそれは他人と言う理由を使って殺しを正当化している事にならないか? 正当防衛なら殺しは正当化される? 誰かを護る為に誰かを殺すのは正当防衛か?」
「う〜んと」
「もし、誰かの為に誰かを殺す事が正義だと言うのなら、そいつは笑顔で、助けた相手にこう言うべきだ。俺は君を助ける為に人を殺した。でも君は悪くない。悪いのは相手だ。君を生かす為に相手は死んだけど君は悪くないとな。正義の行いをしたんだ、それが出来て然るべきだ・・・間違った事をしていないなら出来る筈だ。正しい行いをして、それを罪の懺悔の様に話す奴は居ないだろう」
半分程残ったホットミルクを一気に煽り、空となったコップを地面の上に置いた。
「誰かの為に戦う事は、その誰かに殺しや暴力の責任を押し付けている事だ。他人を戦う理由にする奴に正義を名乗る資格はない。正義の名乗りたいなら、殺しの責任から目を背けない事だ」
「秋人は責任から目を背けずに戦ってきたの?」
りぅの問いに秋人は首を横に振った。
「兵役時代、俺は俺の為だけに戦ってきた。誰かを助ける為に名も知らない誰かを殺した事もあったが、それは自分にとって助けた誰かが有益な存在だったから、それだけだ。他人の為に戦った事は一度も無い」
拳銃をホルスターに戻し、汲んであった川水でコップを注ぎ、鞄に括りつけた。
「・・・ねぇ、秋人は戦場で何を見たの?」
「気が向いたら、また話してやるさ」
秋人は何故、旅人となったのか。その理由をりぅは知らない。
秋人とりぅが出会ったのは秋人が旅に出て一年後。今から八カ月前。
名も無い土地の深い森の中で、二人は出会った。
りぅはそれ以前の秋人を殆ど知らなかった。知っているのは、十代前半から十年間、軍隊に属して、何千と言う人間を殺してきた事、銃器の扱いに長けている事、天涯孤独の身である事、そのくらいだ。
秋人を怖いと思った事は無い。ただ、分からないと思った事は何度もある。
「そろそろ寝よう。明日は夜明け前に出発だ」
残っていた薪を全て火にくべ、火の勢いを強くして毛布を鞄から取り出す。
「おやすみ、りぅ」
「うん、お休み・・・秋人」
目を閉じた秋人は考える。
自分の正義を。
自分は初めて人を殺した時からそれは自分の為だと思って戦ってきた。
誰かの為に戦っても、殺しの重みは軽くならない。自分は責任を誰かに押しつけてそいつと笑い合える程、器用な人間でも無い。
自分が生きる為に誰かを殺し、有益な人間は助ける―――それが秋人の正義。
誰かの為に戦う奴はエゴイストだ。他人はなにも正当化してくれない。他人に殺しの重みを押しつけてその誰かが重みに耐え切れずに自殺した時、責任を取れる人間は居るだろうか?
そもそも、自分の正義に疑問を持つ人間そのものが極少数だろう。
自分の正義が不変だと思い込み、他人に押し付ける。
正義とはなんて身勝手なものだろう。
しかしと、秋人は腰の拳銃に触れる。
自分の正義も所詮は身勝手なもの。自分の為に力を振るってもそれは変わらない。
前世紀の人々が、人の英知の結晶である銃火器を棄てられなかったのと同じ様に、自分も拳銃を放しては生きていけない。
人は醜い。それを知っても秋人は生きていく。
―――生きたいから。

inserted by FC2 system