「Kill You」

 幼く、白い、華奢な柔肌を蛆虫の様に這い回る手。
 身勝手に、激しく、サディスティックに、痛めつける様に。時折見せる優しい手付きが少女の心を狡猾に鷲掴みにし、爪を掻き立てる。
 銀髪の隙間から見える虚ろな碧眼はぼんやりと天井の蛍光灯を見つめる。
 唇を、頬を、乳房を、秘部を、体中を這う手と舌に対しても、一切の反応を示さないが、眼の下に出来た隈が彼女の心が擦り切れるまで汚された事実を物語っている。
 男の荒い息遣い、自分を見つめる欲望塗れの双眸。
 髭の奥に隠れた口から囁かれる名前。
 『フィオナ』
 少女は名前を呼ばれても反応しない。それが自分の名前だと、遅れて気付き、眉が少しだけ動く。
 聞き慣れた声で、囁かれた自分の名前。男は腰を振りながら、何度も名前を呼ぶ。
 フィオナ。
 フィオナ。
 フィオナ。
 フィオナ。
 フィオナ。
 呪いの言葉の様に自分の名前が頭の中で木霊する。
 壊れた心が、ドクンと脈打つ。
 おぼろげな意識の中、思う。何故、こうなったのか。
 きっかけは何だったのか。初潮を迎える前に処女を奪われ、口の中に、秘部に何度も白濁した液体を流し込まれた。
 心が拒んでも、身体がそれを栄養として良質なタンパク質として吸収した。
 細胞までもが男に犯された。それでも耐えた。何時か終わりが来ると願って。
だが終わりは訪れなかった。十回より先は数を数えるのを止めた。何度犯されたかはもう分からない。
終わりは歩んでこない。それなら、私が―――少女は奥底に潜んでいた狂気を呼び覚ました。
 少女は空虚を掴んでいた右手を枕の下に入れる。
 ひんやりとして、硬い感触。ついさっきまで料理に使われていた包丁。
 包丁の柄を握り締める。
 溜まった憎しみを砕く程、強く。
 男の腰の動きが早くなる。絶頂を迎えようとしている証。
 銀髪が揺らめく。隙間から、虚ろで殺意に満ちた眼が男の顔を捉えた。普段は優しい笑顔で自分を見つめる顔を。
 男の動きが止まる。
 少女は自身に挿入された男のそれから熱いモノが放たれるのを感じた。
 永遠に宿る事の無い種を。
 涎を垂らし、恍惚とした表情を浮かべる男に、少女は―――フィオナは包丁を突き立てた。
 別の熱さがフィオナを襲った。血の熱さだ。
 腹部に突き刺さった包丁から血が伝い、手を、腕を、下腹部を真っ赤に染める。
 絶頂を迎えた男は抵抗も出来ずに腹部を貫かれ、耳障りな悲鳴を上げた。
 男はベッドから転がり落ちる。その拍子にフィオナの秘部から男のそれが抜かれ、白濁したモノがフィオナの顔に飛び散る。
 秘部から垂れ落ちる白いアレが、男の流した血と混ざり合い、鮮やかなピンク色を白いシーツに描いてフィオナに踏まれた。
 身体を起こしたフィオナはベッドから降りると、逃げ出そうとする男に馬乗りになった。今まで自分がそうされていた様に。
 抵抗する男の両手を切る。足を切る。抵抗する術を失った男の胸目掛けて、フィオナは包丁を突き下ろした。
 自分の父親へと―――

 ゆっくりと眼を開ける。
 覚醒仕切らない意識で考える。此処が何処かを、自分は今、何をしているかを。
 徐々に輪郭を帯びる意識の中、漸く少女は自分が今何処に居るか思い出す。
 少女は上半身を起こす。カーテンの隙間から漏れる朝日が見事な銀髪を照らす。
 2Kでバストイレ別の、小さく築何十年のボロアパート。此処が現在のフィオナの住まい。
 此処には自分を犯す父親も居ない。実の娘が夫に犯されている事を知らない母親も居ない、凶悪な犯罪者も、居ない。
 これから、何十年と死線を共に潜り抜ける同じ隊の仲間が居るだけだ。
 意識が覚醒したフィオナは今日が初の任務である事を思い出す。
 魔道白兵隊―――犯罪者のみで構成された使い捨ての非公式部隊。
 フィオナはその部隊の七番隊隊長。
 本来、親殺しの罪で終身刑である身のフィオナがボロアパートとは言え鉄の檻の外にいれるのは、魔道術のお陰。
 だが、自分の力に感謝した事は無い。力があっても、過去は消えない。親殺しの大罪は消えないのだ。
 これから先、国の為に多くの犯罪者を斬っても、誰にも感謝されない、存在すら知らされず、最期はボロ雑巾の様に死ぬ。
 数十年間、国の為に戦えば、晴れて自由の身だが、今まで一人も魔道白兵隊を除隊した人物は居ない。
死ぬか、再び牢屋の中に戻された者しかいない。
 それでも、フィオナは牢屋の中で生涯を終える事より、外で終える事を選んだ。
 死の恐怖に耐える為に。
 時計を見る。時刻は朝の七時。集合時間は二時間後の九時。
 フィオナは寝間着のシャツを脱ぎ捨て、バスルームに入る。
 冷たいシャワーを全身で浴び、寝汗で火照った身体を芯まで冷やす。
 五感で流水を感じ、初任務への過度の緊張感も一緒に洗い流す。
 初任務―――内容は小規模の犯罪集団の殲滅。
 今までの訓練を考えれば、決して難しい任務じゃない。
 それに自分には他人には無い、力がある。怖くはない。己の力に対する自信で恐怖を消す事に努めた、必死に。
 冷たいシャワー、暖かいシャワー、両方を堪能し、フィオナはバスルームを出て、準備してあった隊の戦闘服に身を包んだ。
 首から爪先まで黒い服。
 伸縮性に富み、魔道術により、防刃、防弾にも優れた戦闘服だ。
 戦闘服に身を包んだフィオナは床の上に座り、眼を閉じる。
 精神統一。外部からの刺激を全て遮断し内側に全神経を集中させる。
 父親に犯される事に耐える為に感情を捨てたフィオナだが、恐怖心だけは消えてくれなかった。
 恐怖は戦いに置いて足枷。フィオナは恐怖を必死に抑え込んだ。死から逃れる為に。

 夕闇に包まれた街。人々は帰路の足を速め、通りからどんどん人が消えていく。
 闇に紛れ、四つの影が、誰よりも速く街の中を疾走する。
 常人にはその姿を捉える事叶わず、風が吹いただけと勘違いを起こす。
 フィオナを先頭に、魔道白兵隊七番隊の四人は目的の場所目指して走っていた。
 フィオナの後ろから七番隊最年少の金髪の少年、マーク。
その後ろに鋭い目つきの長身の男、ジャック。
最後尾はオールバックの赤い眼を持つ筋骨隆々の男、紀彦。
それぞれ手に愛用の得物を持ち、町外れの古びたアパートを目指す。
半年前に最後の住人が退去してから無人となったそのアパートが初任務のターゲットのアジト。
相手の数は二十。
約五ヶ月前から此処、第九工業都市コキュートスの南西地区で強盗、強姦等の犯罪を行っている集団。
構成員は十代と二十代。一般市民に危害を及ぼす存在は、例え未成年であっても容赦無い。
構成員全員の殺害が今回の目的。
街中を走る事三十分弱、目的のアパートに到着。物陰から様子を伺う。
無人の筈のアパートからは光が漏れ、下卑た笑い声が聞こえてくる。
フィオナの耳が下卑た笑い声の中に、幼い少女の悲鳴が含まれている事実を捉える。
脳裏に蘇る、過去の記憶。
父親に犯された自分と重なる。名も知らぬ少女の声が、処女を奪われた時に泣き叫んだ自分の声に重なった。
必死に抑え込んだ恐怖が湧き上がる。逃げ出したい衝動に駆られる。
武器を持つ手が震える。
呼吸が荒くなる。
額に汗が浮かぶ。
恐怖と共に湧き上がる、怒り。
自分より弱い者に集る愚かな連中に対する怒り。
抑えきれない破壊衝動。恐怖以外の感情を失った心が何故怒りを感じるのか。そんなことフィオナにはどうでも良かった。
今は、ターゲットを一人残らず斬り殺す事だけが全てだった。
「行きましょう、皆さん」
フィオナは自身の力を解放した。
肉体強化魔道。魔道術の中でも特に希少な魔道術。
極限まで強化された両足がアスファルトの道路を蹴る。
アパートの入口まで百メートル。その距離を瞬く間に駆け抜け、閉ざされた扉を両断する。
正面突破でアパート内に侵入したフィオナは声がする方に走り出す。
扉を斬る、室内侵入、飛び込んでくる光景。
ガラの悪い男達がまだ十代も半ば程の少女を囲い、犯していた。
室内には少女を含め二十一人。ターゲットが全員居る事になる。
誰かの罵声が聞こえた。フィオナにとっては遠くで聞こえる鳥の声程にどうでも良い声。
部屋に入った瞬間、フィオナの中から恐怖も怒りも消えていた。
あるのは任務を遂行しようとする意志だけ。
機械が命令通り動く様に。
今朝、上司から受け取った魔道波ブレード―――魔力を籠める事により、魔力の刃を飛ばす事が出来るブレード型の魔道兵器―――に魔力を込め、振るった。
切れ味最高の魔力の刃が一度に五人の男の胴を薙ぎ払う。
血飛沫、悲鳴、怒号、殺意。一人の血を浴び、銀髪の半分を真っ赤に染めたフィオナは部屋の中を疾走。
少女の近くに居た男三人を一瞬で斬り殺し、少女を抱えると部屋の隅に移動する。
少女の身体は驚くほど軽かった。華奢で恐怖に震え、少し力を込めれば砕けてしまう程儚かった。
蘇る記憶―――力で抑え付ける。
男達が武器を手に一斉にフィオナと少女に群がる。
同時に銃声。男達数人がミンチになる。
部屋の入口にジャックと紀彦の姿。手にした銃型の魔道兵器が火を噴き、次々と男達を撃ち殺していく。
と、部屋の中心で炎が上がる。
いつの間にか室内に侵入していたマークが魔道術を発動させていた。
紅蓮の炎が男達を焼き払う。悲鳴すら呑み込む炎。
それ目がけてフィオナは魔道波ブレードをもう一度だけ振るった。
魔力の刃が炎を斬り裂き、残っていた男達を斬り伏せた。
銃声が止み、炎が消え、静寂が訪れた。突入してから数分の出来事。
犯罪者集団の男達は一切の抵抗も出来ず、斬り裂かれ、或いは全身を撃ち抜かれ、あるいは灰となって死んだ。
「任務完了です」
フィオナは感情の無い事務的な声で言い放った。
初めての任務を易々と達成したフィオナ達。これがジークと呼ばれる魔道術を使う者達の実力だった。
フィオナは抱えていた少女から手を離す。
と、少女はフィオナから逃げる様に走り出し、部屋の隅で丸くなり、フィオナ達を睨んだ。
涙でグシャグシャになった顔で少女は化け物を見る目を向けていた。
フィオナは思い出す―――国の為に戦っても、誰にも感謝されない。自分達は非公式の使い捨て部隊。
例え、直接誰かを助けても、間接的に誰かを助けても感謝されない。それが自分達の仕事。
フィオナは武器を鞘に納めると運良く戦闘の被害を免れた毛布を手に取り、少女に歩み寄る。
「来ないで!!」
少女は足元に転がっていた瓶をフィオナに投げる。
瓶はフィオナの額に直撃した。避ける事もせず、フィオナは少女の下まで来るとそっと毛布を掛けた。
「・・・帰還しましょう」
少女に背を向け、フィオナはマーク達に言った。早足に部屋を出て廊下を歩き、アパートの外に出た。
夜風がフィオナの銀髪を掻き回す。
空を見上げる。
満月がフィオナを照らす。
今、自分はどんな表情をしているだろうか―――窓ガラスに映った顔は無表情だった。
何も、感じない。少女の怯えた眼を見ても、投げつけられた瓶を甘受した時も何も感じなかった。
そうだ、と心の中で呟く。
これが、自分が選択した事なんだ。
痛みに耐える為に心を殺した―――心を殺した恐怖に耐え切れず、父親を殺した―――牢獄の中、死の恐怖から逃げる為に戦う事を選択した―――死と隣り合わせの戦いを生き抜く為に力を付けた―――罪を背負う事を選択した。
今更、痛む心なんて無い。恐怖を感じるのなら、それ以上の力を付けて、克服すればいい。
強風が吹き荒れる。
細めた瞳はフィオナの意志を離れ、少しだけ潤んでいた。

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