第二話「深紅の双眸」
  

 猛風吹き荒れるビルの屋上――その一角で匍匐姿勢のブラックが相棒である侵徹対物ライフル・シュメルツを構え、深紅の瞳で標的を捕らえていた。

 

 トヨタマ、ツバメの両事件で得た情報が国内でのテロ活動を支援している者の存在を徐々に明らかにしていた。

 

 最大手のテロ支援組織の一画、中国人、朝鮮人、台湾人を中心に構成された反白人・反日を掲げたアジア系テロ支援組織・四神殿――その出資者の一人であると目される在日中国人の男、ハオ・シオン――ブラックが狙う男。

 

 表向きはアジアを中心とした輸入商の取締役だが、裏で武器の密売、密入国の手引きなど様々な悪行に手を貸していると目される男で、SMBが解析した情報が決め手となり、先日ようやく逮捕状が出た。

 

 逮捕は警察の役目だが万が一に備え、SMBが出動し、有事に備えている。

 

 匍匐姿勢のブラックの隣では堂々と仁王立ちしたシュガーが煙草をくわえ、少し不機嫌な顔で青い空を眺めていた。

 

 「ったく、つまらない仕事はしたくねーのによ」

 

 耳にタコが出来るくらいに聞いた悪態にブラックは反応も示さず、じっと標的を見つめ続けた。

 

 執務室に籠もり、頻繁に鳴る電話を取っては的確に指示を出しているハオ・シオンは一見してテロに加担している男には見えない。

 

 現に彼は親米家でアメリカ系在日外国人の社員を多く抱え、祖国では反テロの演説すら行っている。しかしそれはブラフで、もしかしてキュクロプスの電霆とも繋がっているんじゃないかとブラックは邪推したりする。どちらにしても彼の行動で被害が出た可能性は高く、見過ごせるものではない。

 

 『警察がビルに入った。全隊警戒を緩めるな』

 

 二区画離れた場所で待機中のミルクからの無線通信。ブラックとシュガーの眼下で重装備の警察官が十数人、ビルの中へ入って行く。シュガーは姿を見失うが、ブラックはサテライトアイの力を駆使し、ハオ・シオン同様その行動を捉え続けた。

 

 警察官がハオ・シオンの執務室に到着。数回言葉を交わした後、ハオ・シオンは一切抵抗せず手錠をかけられ、部屋を出た。

 

 「はい、任務終了。帰ろうぜ」

 

 逮捕されたことを知るとシュガーは興味が失せたように漏らして背伸びをし、踵を返した。

 

 見兼ねたブラックが声だけシュガーにむける。

 

 「あんたね、少しは真面目にやりなさい」

 

 「だってつまらないんだもん」

 

 「戦うことしか考えていないのかしら貴方の脳筋は」

 

 「人を筋肉馬鹿みたいに言わないでくれ」

 

 「貴方は馬鹿よ。正真正銘の」

 

 今日も絶好調のブラックの毒舌に、シュガーはむっ、と口をへの字に曲げ、反論しようとした時、銃声がそれを遮った。

 

一瞬で臨戦モードに転身したシュガーの口元にニヤリとした笑みが浮かび、機械義足がうずうずと唸る。

 

 『警察官の一人が発砲!! 更に数人が発砲し同行した警察官を数名殺害。ハオ・シオンと共に逃走を開始!!』

 

 ブラックの迅速な状況報告にミルクは舌打ちをし、全隊へ無線通信。

 

 『ハオ・シオンを確保しろ!! いいか、殺害するな、生きて確保だ!! 警察官の生死問わない、行け!!』

 

 「楽しくなってきた!!」

 

 更に笑みを強めたシュガーが空中に身を投げ出し、一気に降下していく。

 

 ブラックは匍匐姿勢を保ったまま、警察官の一人を撃ち抜く――残り七人。

 

 何故、警察官が仲間を撃ち、ハオ・シオンと共に逃亡したのか、その疑問は頭の隅に追いやった。今はハオ・シオンを確保することが優先だ。

 

 先頭を走る男に銃口をむけ、引金を絞った。銃弾は壁を砕き――それで終わった。

 

 「なっ!?」

 

 近くで壁が砕けた警察官よりも引金を絞ったブラック自身が一番驚き、慌ててもう一度引金を絞った。

 

 敵に真っ直ぐ飛来するはずの銃弾がわずかに軌道を逸らすのをブラックは確かに捉えた。

 

 何故、という当然の疑問が湧き上がった。風、壁の厚さ、標的の移動速度、全てを精密に計算した正確無比の弾道のはずだ。狙っていない場所へ着弾する銃弾にブラックは恐怖を覚えた。自分の銃弾が何かに操作されている気持ち悪い感覚――これ以上痛みを受け入れなくていいんだと諭すように。

 

 奥歯を食い縛り、匍匐姿勢から立ち膝姿勢に狙撃姿勢を変え、サテライトアイの視認領域を半径三〇〇メートルから九〇〇メートルまで拡大する。

 

 何もなかった。弾道に影響を与える重力装置も電磁シールド装置も。だが銃弾は確かに逸れた、不可視の力の影響を受けて。

 

 試しにもう一度引金を絞ったが銃弾はまたもや不可視の影響を受けて逸らされる。一体何なのか。

 

 結論が出ない内に、空中に身を投げたシュガーがハオ・シオンの執務室からビル内に侵入し、全力で駆け出していた。

 

 『ミルク!! 何かしらの妨害を受け、此処からの狙撃が不可能と判断しました。今から移動します』

 

 『妨害!? こっちの存在が敵にばれているのか!?』

 

 『視認領域内に妨害装置や伏兵の存在は確認出来ませんでしたが確かに銃弾を逸らされました。敵の新兵器の可能性もあります』

 

 『だとしたら由々しき事態だが……移動を許可する。今は一刻も早く援護が可能な場所まで移動しろ』

 

 『了解!!』

 

 ブラックは踵を返し、非常階段を使って地上にむかいながらもハオ・シオンの姿を捕らえ続け、何度か試しに撃ったが結果は同じだった。地上まで到着してしまったブラックは警察車両の横を通り、ハオ・シオンがいるビル内に侵入。

 

 『くっそー!! あいつら何処に行きやがった!!』

 

 『ハオ・シオンは地下駐車場よ、急いで!!』

 

 ブラックはスロープを下り、いち早く駐車場に到着すると車に乗り込もうとする警察官の一人にむけて引金を絞った。

 

 銃弾は軌道を逸れず、標的の頭蓋を砕き、不可視の力の影響を受けていないことを示した。

 

 狭い空間に銃声が木霊し、耳をつんざく音に顔をしかめながらもチャンスばかりにもう一度引金を絞り、縦に並んでいた二人のテロリストを撃ち倒す。

 

 柱に隠れて反撃を防ぎ、自分が下って来たスロープからシュガーが疾走してくるのを確認し、タイミングを見計らって柱から跳び出し、撃った。

 

 突進するシュガーの横を銃弾が飛来し、銃弾、シュガーの順でテロリストを屠り、シュガーが残った二人を吹き飛ばし、車内で怯えるハオ・シオンを見下ろし、凶悪な笑みを浮かべる。

 

 「観念しな、この屑野郎」

 

 襟元を掴んで車内から引っ張り出し、遅れてやって来たミルク達にαチームの面々にハオ・シオンを投げ渡す。

 

 隊員の一人がハオ・シオンを受け止め、悪態をシュガーに漏らそうとした瞬間、シュガーの背後でハオ・シオンが乗っていた車が爆発した。

 

 「へっ?」

 

 素っ頓狂な声を漏らし、振り返るシュガーは轟々と燃える車を見つめ、一体何が起こったのか分からず、立ち尽くした。

 

 理解不能の状況を説明するようにハオ・シオンが隊員に抱きつき、情けない声を上げた。

 

 「早く、私を刑務所でも良いから安全な場所に連れていってくれ。殺される!! 四神殿に殺される!!」

 

 「なんだってぇ!?」

 

 歯を噛み締めた拍子に煙草が曲がり、鬼の形相でシュガーがハオ・シオンに歩み寄り、襟を乱暴に掴んだ。

 

 「どういうことだ!? お前は四神殿と繋がっているんじゃないのか!?」

 

 「ちっ、違う!! 私はテロに加担していない!!」

 

 「じゃあお前を連れ出そうとした奴らは誰だ!!」

 

 「彼らは……いや、しっ、知らない!! お願いだから助けてくれ!!」

 

 目尻に涙を浮かべ、情けなく顔面を蒼白にさせるハオ・シオンは誰が見ても演技にはみえない。これが演技ならハリウッドで主演男優賞を狙えるレベルだ。

 

 「状況は理解出来ないが、四神殿と、また別のテロ支援組織が関わっている可能性がある。警察がいなくなった以上、我々でハオ・シオンを拘置場まで送り届けるしかない。全員、周囲に注意しながら車輌まで戻るぞ、βチームは全員展開しろ」

 

 βチームにも指示を出し、ミルクを先頭にαチームはスロープを上がり、蒼然となった正面玄関を抜け、既に展開待機していたβチームと合流し、拘置場にむかった。

 

 「ったく、意味わかんね……」

 

 はぁ、とため息を漏らすシュガーの横でブラックは相棒シュメルツを抱き締め、難しい顔をしていた。

 

 四神殿と繋がっていると思われたハオ・シオンは逆に四神殿に命を狙われていた。車輌の爆弾は四神殿が仕掛けたのだろうが、では警察官は?

 

 顔立ちは全員アジア系だったが話の筋からいって四神殿の人間である可能性はゼロだ。いちいち車輌まで連れて行って爆殺する必要はない。執務室で殺害すればいいのだから。

 

 次の疑問は、逸らされた自分の銃弾。一体誰が、何の目的で狙撃を妨害したのか。四神殿かキュクロプスの電霆か、それともまた別のテロ支援組織か。

 

 警察官の裏にいる組織がハオ・シオンを車輌まで安全に辿り着くためにブラックにすら捉えられない距離から超広域の電磁シールドを仕掛けた――それが一番道理にかなった仮定だ。

 

だからビル内に侵入したブラックに電磁シールドの妨害は及ばず、地下駐車場では銃弾が逸れずに命中した。

 

一人納得するブラックはもう一つの疑問に手を伸ばす。

 

四神殿は何故、ハオ・シオンが車輌に乗った瞬間、爆弾を起爆しなかったのか。あの爆発は助けたのを見計らって起爆した印象を受けた。

 

ブラックの中で仮定が生まれる。これは脅しで、次は殺すという警告。殺されたくなければ協力しろと遠回しの要請。それほどまでにハオ・シオンは四神殿にとって有益となる存在なのか。

 

奥でガタガタと震えるハオ・シオンを一瞥する。テロ支援組織と繋がっていることが示唆された情報はなんだったのだろうか、ハオ・シオンは本当に白なのか?

 

 答えの出ない問題にブラックはSMB本部に帰還するまで延々と考えていた。

 

 

 ハオ・シオンを拘置場に送り届けた翌日、先の事件の全貌がハオ・シオンの証言で徐々に明らかになってきた。

 

 ハオ・シオンが輸入業を通じて得た物流ルートに目をつけた四神殿がテロへの協力を申し出たがハオ・シオンは断固として協力を拒否し、身の安全を確保するためにキュクロプスの電霆に接触した。何故、日本の警察ではなく、テロ支援組織に接触したかは語らなかった。

 

 キュクロプスの電霆に接触した直後、SMBがハオ・シオンはテロリストの出資者であるという操作された情報を入手し、逮捕状が出た。

 

物流ルート確保と隠滅を目論んだキュクロプスの電霆と四神殿でそれぞれ下部テログループに指示し、ハオ・シオンの確保と殺害を計画した。

 

警察官の正体は日本人で組織された極左テログループの一つだったことが死体から判明した。

 

 テロ支援組織同士による抗争。同じテロ支援組織で蜘蛛の巣のように張り巡らされたネットワークを共有していてもキュクロプスの電霆は白人至上主義の組織で、四神殿は反白人・反日の組織。相容れるはずがなかった。いっそのこと、勝手に争って勝手に壊滅してくれないかなと思いながら、ブラックはミルクの話を聞いていた。

 

 昨日の件で会議が開かれ、ブラックは一番後ろの席に座り、シュガーは隣で頬杖をつき、目は眠そうにトロンとしていた。

 

 「警察官に扮した極左テログループの日本人だが、彼らは警察学校を卒業したのち、警察官となり、何の問題もなく職務を全うしていた」

 

 「彼らは元々テログループの人間じゃなかった?」

 

 紅咲の問いにミルクは頷く。

 

 「日本人極左テログループの厄介な点は、知らぬ内に数を増やし、普段は危険な思想を隠し、一般人の中に溶け込んで、有事の際、テロリストとして行動を起こすことだ。おそらく警察や自衛隊の中にはそれなりに極左テログループのメンバーが潜んでいるだろう」

 

 「我々の中にも?」

 

 紅咲の意味深な質問に緊張感が走る。だがミルクは首を横に振り、可能性を否定する。

 

 「SMBの隊員は全員、総隊長と副長、聖医師三人に面接を受けている。諸君に聞こう、この三人に嘘を悟られない自信のある者はいるか?」

 

 誰も手を上げなければ、言葉も発しない。発言をした紅咲はミルクの発言がもっともだと肯定するように嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

聖は心理学に精通し、如何なる嘘も瞬時に見抜く洞察眼を持っている。

 

漣は副隊長を務めながら諜報課にも所属し、同課でも指折りの実力者。

 

楓子の兵役時代に鍛えた洞察眼は二人に勝るとも劣らない。

 

この三人に睨まれれば嘘どころか、まともに喋ることすら難しいのでないかとブラックは思う。

 

「我々は一枚岩の組織だ。如何なる状況でも屈せず、逃げない不屈の精神を持った者達で構成された組織だと、俺は信じている」

 

 「嘘の情報に踊らされたけどな」

 

 シュガーの一言に視線が彼女に集中し、隣のブラックはため息を漏らし、頬杖をつくシュガーの腕を払い、シュガーは見事なまでに額を机にぶつけた。

 

 「いったいなぁ、なにすんのさ!!」

 

 「口は災いの元よ。ひとつ利口になったでしょ」

 

 「ブラックにだけは言われたくねぇよ!! いつも毒吐いてさ、珈琲の飲み過ぎ!」

 

 「静かにしなさい、まだ会議中よ」

 

 自分にむけられる苛立ちの眼差しにきづいたシュガーは乾いた笑いを漏らしながら子羊のように椅子にちょこんと座り直した。

 

 「……シュガーの言う通り、今回我々は巧みに操作された情報に踊らされた。結果的にハオ・シオンの物流ルートをテロリストに利用されずに済んだが、相手の情報操作の巧妙さがあらわになった。データ改ざん、偽の情報と捏造されたやりとり……SMBのマザーサーバーと情報解析課すら唸らせる情報操作だ。我々の範疇でないが、今後、より精密な情報の解析が重要になってくる。常に不測の事態を想定して作戦に当たらなければならなくなる。個々の勝手な行動が隊全体を危険に晒す可能性もある」

 

 「私を見ながら言わないでくれ。前回の事は反省しているって」

 

 あからさまなミルクの視線にシュガーは不満を漏らしながらも非を認め、話を進めるように催促する。

 

 「次の作戦である反テロリズム世界機構アジア支部会議の警備任務は警察、自衛隊との合同任務だ。お互い密に情報をやりとりするには最適な任務と言えるだろう。乗り気でない者もいるかもしれないが、テロ国際法の新法案を議論する大切な会議だ。テロの予告もメディアを通して出されている。全員心してかかるように。以上、解散」

 

 「だから私を見るなって」

 

 シュガーの不満も席を立つ音に掻き消され、ブラック以外に届かず、ブラックは思わず声に出して笑う。

 

 「笑うなよ。折角、如月に頼んで……」

 

 萎んでいく風船ガムのようにシュガーの声は語尾になるにつれて小さくなり、後半部分はブラックには聞き取れなかった。

 

 「え、もう一回言って?」

 

 笑いを堪えながらブラックは聞いたが、それがシュガーの癇に障ったのか、ふん、と不機嫌そうに立ち上がり、シュガーは会議室を出て行ってしまった。一人取り残されたブラックは自分と同じくまだ席に座って、此方を見ている紅咲と目があった。

 

 紅咲は親しみのある苦笑を漏らし、席を立ってブラックの脇に立った。

 

 「相変わらず仲が良いんだな」

 

 「良いようにみえます?」

 

 少しだけムキになり、ブラックは口を尖らせ、シュガーとの関係をただ仲が良いで済ますことに抵抗を感じた。

 

 「喧嘩するほど仲が良い。仲が悪ければ喧嘩すらしないものさ。愛の反対は無関心。相手を想うからこそ、そこに正なり負なり感情が生まれるんだ」

 

 紅咲の言葉に納得してしまいそうになる自分にブラックはきづき、少しだけ悔しくなる。年齢的にはシュガーや如月に次いで若いブラックだが、年上の隊員にも負けたくないという想いが強い。元々が良家の生まれでプライドが高く、その所為でシュガーにも時々強く当たってしまう。

 

 情けないと内心で自己嫌悪に陥りながらも表情には出さず、紅咲を見つめ返す。

 

 戦闘時の鋭い眼差しとは違う、年下の隊員を気にかける優しい眼差し。視線を手に落とすと左手薬指にはめられたマリッジリングが亡き妻への愛情の深さを物語るように光っていた。

 

 紅咲はSMBに入隊する前の警察官時代に妻をテロによって失っている。力を持ちながら愛した者を護れない不甲斐なさを誰よりも知っている男で、シュガー同様テロリストを憎み、テロ根絶への強い意志を秘めている。

 

 そして、何かとブラックに世話を焼こうとする。入隊はブラックより遅いが、歳の功を武器に先輩のように振る舞う。

 

 今も人生経験豊富だといわんばかりに常套句を使って長々と自信げに語った。

 

抗ってみたくなる、年上相手に。

 

 「本当に仲が良いというのはお互いの良い部分も悪い部分も受け入れ、それこそ喧嘩をしない間柄をいうのではないですか?」

 

 「ではブラック。君はシュガーの何を知っている? 付き合いは長いと思うが、彼女の何を知っている。性格? 好きな食べ物? 趣味? 嫌いなこと? 人とは最初の内は気にならなかった部分も付き合いが長くなるほど些細な部分も気になり始め、気に食わなくなってくる。シュガーと知り合った当初は彼女の真っ直ぐさは気にならなかったんじゃないか? しかし、今は彼女の真っ直ぐさが妬ましい」

 

 絶妙なフックを食らった衝撃を心が感じた。シュガーへの劣等感――自分の卑屈な性格とシュガーの真っ直ぐな性格を比べ、負けているという身勝手な対抗意識。

 

 紅咲はブラックの内心を的確に見抜き、非情なまでにそれを再認識させた。

 

 抗いたい気持ちが憎悪へと変化していく――その感情の変化を拒絶したいと思えば思うほど、心の醜さを凝視した気分になり、負の感情の螺旋階段に入り込んでしまったと錯覚する。

 

 ネガティブになるブラックにそうさせた張本人である紅咲がわざとらしい笑みを浮かべ、咄嗟のフォロー。

 

 「シュガーは君にとって友であり、良きライバルでもあるわけだ。きっとシュガーもそう思っている。ブラックに負けたくない、と」

 

 「……シュガーも私を妬んでいる?」

 

 「口の達者さ、仲間からの信頼が羨ましいと思っているさ。それに他人を妬むのは悪いことじゃない。嫉妬は向上心ともとれる。中には嫉妬するだけで終わる愚か者もいるが、君は違うだろ?」

 

 「当たり前です。シュガーには負けません」

 

 毅然と言い放つブラックを見て、紅咲は満足そうに頷く――計算され尽くした飴と鞭。更に飴の投下。

 

 「警備任務でシュガーはご機嫌斜めでやる気もイマイチだ。ブラックがやる気を出したと知れば、彼女も多少はやる気を出すだろう」

 

 シュガーを再び引き合いに出し、ブラックの対抗心を刺激する。

 

 「シュガーがやる気ゼロでも私がいるから大丈夫です」

 

 「頼もしい限りだ。期待しているよ、お嬢様」

 

 気障な笑みを浮かべ、紅咲は会議室を後にし、一人に残されたブラックは紅咲の最後の一言が頭の中で木霊していた。

 

 お嬢様――昔の自分。それに固執する今の自分。

 

 出動の際に身に纏う黒いワンピースは彼女の母親が生前好んで着ていたそれと同じタイプのワンピース。

 

 過去への固執――現状への必死の抵抗。

 

 「私も、シュガーのこと笑えないわね」

 

 自嘲気味に苦笑を漏らした。

 

 

 反テロリズム世界機構――増加するテロ被害から利益や国民を護るために先進国を中心に発足された組織。

 

 テロの原因となる国際法や国家間の条約、同盟の内容改定に介入し、テロの芽を摘む活動の他、加盟国の軍隊組織から兵力を間借りして対テロ連合軍を編成し、各国の大規模テロの阻止や発生後の救援活動にも介入している。

 

 加盟国は百カ国にも及び、今回SMBも警備に従事するアジア支部会議はアジア支部長も参加する重要な会議。

 

 「つまんねー」

 

 前世紀から続く東シナ海、南シナ海の地下資源を巡る争いを終結させるための会議だが、そんなものに一切興味のないシュガーは煙草をくわえ、後頭部で腕を組んで小言も漏らしていた。

 

 風が吹き、前髪の隙間から今宵の月のない夜を凝縮したような黒い瞳が覗いた。

 

 『文句垂れないの。これも大切な仕事なのよ』

 

 ブラックからの無線通信にシュガーはげんなりしつつ、ブラックが配置された宿泊施設の屋上に目をやった。

 

 闇に呑まれブラックの姿は見えないが、きっと銃口を自分にむけているとシュガーは啓示的予感を感じ、実際ブラックは銃口をシュガーにむけていた。とある事件をきっかけでブラックは戦闘開始前の間、シュガーに視線をむけていることが多い。

 

 スコープ越しに見えるシュガーの気だるそうな表情と前髪の隙間から覗く黒い瞳

 

 シュガーはフォース覚醒者の証である紅い瞳を嫌っている節がある。SMB単独任務では特に気にした素振りをみせないが、警察や自衛隊との合同任務の時は高確率で黒いカラーコンタクトし、紅い瞳を隠している。

 

 何故嫌っているのか、その理由をブラックは知らない――紅咲の言葉が蘇る。

 

 『シュガーの何を知っている?』

 

 知った気でいるだけだった。ブラックにとって、シュガーはSMBで一番の友であり、頼れる仲間であり、良きライバルであり、憧れだった。

 

仲が良い――それだけで済ませることの出来ない絆が存在するとブラックは信じている――シュガーも同じ想いだと。

 

 『ねぇ、シュガー』

 

 今よりもっと近くに――きづいた時にはシュガーに無線通信を行っていた。

 

しかし近づきたいと思う一方で、臆病な自分が近づくことを拒絶する。

 

『ん〜? 敵影でも見つけたか?』

 

黒い瞳が見えないはずの自分を凝視するのを感じ、急に怖くなる。嫌われるのではないかと。

 

『……なんでもない』

 

 結局、紅い瞳を嫌う理由を聞けず、ブラックはシュガーから会議棟に視線をむけ、内部を視た。

 

 円卓を囲むアジア各国の人々。アジア支部長である日系インド人サイトウ支部長を始め、日本人、中国人、インド人、フィリピン人、ベトナム人――十数にも及ぶ人種が同じ場所に集まり、様々な目的を持って、大義名分を掲げている。

 

 両領海で地下資源の開発権を主張する中国だが、妥協案として共同開発を提示しつつも、油田基地を東南アジア侵攻の最前線基地にする腹積もりでいることは明白だった。

 

 数年前の大規模な原子炉爆発事故以来、中国の国力は低下の一途を辿り、日本に次いで台頭してきた東南アジア諸国との軋轢は増すばかり。

 

一方、東南アジア諸国は油田開発を通じて日本や先進諸国とのパイプライン強化を目論んでいる。

 

反テロの建前の奥に隠れたテロと変わらない利己的な本性。

 

 参加国にとって自国の繁栄が目的であり、当然のことといえるが、年寄りの狡賢い本性を垣間見た気がしてブラックは内心、苛立っていた。こんな連中を、命を懸けて守らなければならないと思うと、気が滅入る。少しだけシュガーの気持ちが理解出来た気がした。

 

 『ブラック、周辺に変わった様子はないか?』

 

 ミルクからの定期通信。

 

 『変わりないわ』

 

 不気味なくらいに、という言葉は飲み込んだ。

 

会議が始まって既に二時間が経過。予定では残り二時間で会議は終了し、すぐに合同記者会見が開かれる。テロ予告が出されているにも関わらず、襲撃の気配は一切ない。

 

SMBの情報解析課によると今回のテロにもキュクロプスの電霆が関与していて、両領海の地下資源を資源紛争回避の名目で独占開発権をアメリカが主張していることを考えれば、白人至上主義を掲げている彼のテロ支援組織が指をくわえて眺めているはずがない。

 

自分の勘が、思い過ごしであればいいとブラックは思っていた。

 

未だに立場の弱い東南アジア諸国が南シナ海油田開発の全権を得れば、東南アジア、牽いては有色人種や発展途上国の希望になる。

 

様々な思惑、目的はあっても、目指す場所は同じ、テロ根絶・人種差別撤廃――その先の恒久平和であるとブラックは信じたかった。

 

『ブラック、定時報告を』

 

ミルクから二十分毎の定期通信にブラックは同じ台詞を口にしようとした時だった。警察車両の一台が突如爆発炎上。現場が一瞬で迎撃態勢に入った。

 

『ブラック!! 敵の位置を探れ!!』

 

ミルクの無線通信が入る前に既に視認領域を最大まで展開し、熱源探知を開始していた。

 

『敵影、何処にもありません……』

 

『なんだと!?』

 

視認領域内で確認出来るのは今まで配置に就いていたSMB、警察、自衛隊の隊員の姿だけ。

 

違う!! 甘ったれた己の考えを即断で否定し、SMB全隊へ無線通信。

 

『警察、自衛隊に極左テログループの構成員が紛れている可能性あり!!』

 

叫び終わった直後、唐突に銃声が響き渡り、ブラックの視界の隅で自衛隊員が胸部を撃たれ、仰向けに倒れた。撃ったのは同じ自衛隊員である若い男。

 

ブラックは一切の迷いなく、その男に銃口をむけ、引金を絞った。破裂する男の頭部と瞬く間に広がる戦火。あちらこちらで銃声が響き、警察官や自衛隊員が同僚に銃火を浴びせる。

 

『各エリアにて極左グループの構成員と思われる者達による戦闘が発生!!』

 

『αチームは会議参加者の安全を確保しろ!! βチームは敵を一掃! 銃口をむける者には容赦するな!! シュガー、ブラック、存分に暴れろ!!』

 

『待ってました!!』

 

シュガーの好戦的な獣の如き咆哮。黒いカラーコンタクトを外し、本来の紅い瞳を光らせ風を纏い、戦場と化した施設を駆け出した。

 

ブラックは己の能力を存分に発揮し、極左テログループの構成員を確実に排除していく。

 

警備に就いていた警察、自衛隊の人員は百人程度。その内、二割ほどが極左テログループの構成員と確認――おかしいとブラックは眉間に皺を寄せ、敵の多勢に無勢の状況を訝しがった。

 

内部からの奇襲とはいえ、数を覆せるほどではなく、SMBの活躍で数は確実に減っていくが、不安は増していく一方だった。

 

身体にプラスチック爆弾を巻いた神風上等の敵の頭を撃ち抜き、別の獲物を探すために視線を別の方角にむけた時だった。視認領域内に突如、十数にも及ぶ車輌が出現し、施設にむかって直進してきた。

 

『敵影を確認!! 距離一三〇〇!! 敵の増援と推測!』

 

『場を攪乱してからの増援か。βチーム、迎え撃て!!』

 

ミルクの指示に紅咲率いるβチームが正門に展開し、万全の迎撃態勢。

 

『さて、我々がいる現場にテロ予告を出したことを後悔させてやろう』

 

紅咲の強気で容赦のない一言にブラックは頼もしさを感じながらも対抗心が芽生え、紅咲達よりも早く迎撃をすべく、先頭の車両に銃口を向け、目を見開いた。

 

「……待って、そんな、嘘でしょ?」

 

無意識の内に漏れた驚愕の声。ブラックの双眸が捉えたのは、警察官と自衛隊員の服装をした敵であるはずの目標。

 

『敵影の詳細を確認……全員が警察官と自衛隊員の服装をしています。ミルク、あれは本当に敵の増援なの?』

 

『警察と自衛隊の増援の情報はない。敵と判断していいが、この状況に同じ服装の敵が増えたら厄介だ。βチームと協力して施設内への侵入を阻止しろ』

 

『了解』

 

車輌に乗るテロリストの一人の顔を認識しマザーサーバーに情報解析を依頼。三秒後に結果が表示され、男が警察、自衛隊に所属していないことが判明し、敵の増援であると確定した。

 

ブラックは迷いなく引金を絞った。距離計算、目標の移動速度、風の向き、全てを精密に計算し、先頭車両の運転手の頭部に命中するはずだった銃弾は大きく右に逸れ、アスファルトの地面を穿った。

 

「外した!?」

 

動揺する心を落ち着かせ、もう一度狙いを定め、引金を絞ったが銃弾はまた大きく逸れ、ブラックの心を揺らがせる。

 

何も間違っていないはずだ。弾道計算はマザーサーバーの演算能力の補助による寸分の狂いもない必中の解答。それが外れる可能性があるとしたらブラックの力不足、或いは予期せぬ外部からの妨害。

 

「妨害……」

 

ハオ・シオン逮捕時の不可解な現象。不可視の力による銃弾への干渉。ブラックは咄嗟に周囲を視て、妨害装置の有無を確かめる。

 

視認領域内にそれらしき物は見当たらず、敵の増援は刻々と敷地内に近づいてくる。

 

敵影を確認した紅咲達が迎撃を開始するがブラックの銃弾と同じく、不自然に軌道が逸れ、一発も当たらない。

 

『銃弾が逸れていく!? 電磁シールドか!?』

 

『それらしきものは車輌に搭載されていません。付近にも妨害装置はありませんでした』

 

『どういうことだ? まさか本当に敵の新兵器か?』

 

紅咲の慄いた声色に強い緊張感を覚え、心地良い微風が吹いているにも関わらず、大量の汗を掻き、喉が妙に渇いた。

 

「……待って」

 

咄嗟に背後を振り返った。誰もいない闇だけが広がり、微風が頬を撫でる。

 

ブラックがいるのは地上二十メートルの屋上。さっきまでは髪を乱暴に掻き乱す強風が吹いていたのに、今は頬を撫でる微風が不自然なほど、穏やかに吹き、視界の隅で屋上の中心に立つ反テロ世界機構の旗が強風に煽られ、揺れていた。

 

脳裏に過るシュガーの凶悪な笑み――違うと頭を振るう。

 

シュガーのフォースは風を生み出す力。自らが生み出した風は自由自在に操れるが、自然に吹いている風を支配することは出来ない。

 

だが、この微風は明らかに人為的な干渉を受けている。

 

ハオ・シオン逮捕の時に脳裏を掠めたとある考え。そんなことないと否定した可能性が恐怖となってブラックを飲み込もうとしていた。

 

恐怖を仲間と共有したい思いが去来するが、不確定の情報で仲間を無駄に混乱させてはいけない。

 

唇を噛み締め、正門の目前に迫った敵の増援に、当たらないとわかっても、引金を絞った。

 

『駄目だ!! 突破される』

 

猪突猛進の車輌が正門を突き破って施設内に侵入し、煙幕を撒き散らし、増援が車輌内から躍り出た。パワードスーツの姿も確認され、早々に紅咲達βチームと戦闘を繰り広げる。

 

百人近い敵の増援は煙幕に紛れ、八方に展開していく。

 

「煙幕如きで私からは逃れられないわよ」

 

敵の体温で居場所を特定し、ブラックはグレネードを撃つ男を撃った。

 

頭部が弾け飛び、どっと倒れる男が、銃弾の当たる安堵感を感じさせ、不可視の干渉がなくなったことを察知する。

 

今までの失態を取り戻すために、ブラックは無心状態で引金を絞った。

 

自身の銃弾で倒れていくテロリスト達を紅い双眸はしっかりと捉え、敵の銃弾に倒れていく警察官や自衛隊員もしっかりと捉えていた。

 

「五百三十二……五百三十三、四、五」

 

呪文を唱えるようにブラックの口が三桁の数字を漏らす。

 

その数字は今までブラックが殺したテロリストの数と殺された味方の数。

 

狙撃手の立場とサテライトアイの能力が、ブラックを誰よりも死を強く認識させていた。誰よりも死を視てきた。

 

名も知らぬ相手を殺した、名も知らぬ味方を死なせた。

 

ブラックは紅い双眸で死を視続けた。死という痛みを受け入れ続けた。負けたくなかったから、痛みをいとも容易く乗り越えたシュガーに。

 

『くそったれ!! 誰が味方で誰が敵かわかんねーよ!!』

 

シュガーの悪態がブラックに突き刺さる。ブラックは全てを視ていた。

 

今、視界の隅で一人の自衛隊員が味方である警察官を射殺し、後ろからテロリストに撃たれ、地面に倒れた。

 

また別の場所ではテロリストが仲間と敵を撃ち殺し、自身もまた味方によって頭を吹き飛ばされた。

 

ブラックが経験した戦闘の中でもっとも地獄に近い光景が眼前に広がっていた。

 

誰が敵で、誰が味方か分からない戦場で、誰の元のも分からない銃弾で人が次々に死んでいく。

 

まともな精神では耐えられる光景ではなかった。だがブラックは耐えた、痛みを受け入れ続けた。

 

視ることの出来る自分に何が出来るか、自ら問いかけた。

 

このまま此処で機械のように敵を蹴散らすことか。否!!

 

自分になら出来ること――自分にしか出来ないことをするためにブラックはSMB本部、総隊長室の端末へ無線通信を行った。

 

『総隊長、ブラックです』

 

『戦闘中に私へ通信とはよほどのことと思っていいのかしら?』

 

『SMBのマザーサーバーと内閣府と防衛省のマザーサーバーを繋いで、我々と警察、自衛隊の無線回線を全て私に繋いで下さい』

 

突拍子のない願いだとわかっていた。同じ任務に当たっている三つの組織だが、指揮系統は独立し、無線もマザーサーバーを介しているため、お互いが連絡を取るにはマザーサーバー同士を同期させ、通信回線を繋ぐしかない。SMBの中で他のマザーサーバーに同期する権限を持つのは総隊長だけだ。

 

『繋いでどうするの? 敵は味方の中に紛れ、現在警察と自衛隊は通信の攪乱を受けているわ。通信を繋いで、偽りの情報が我々にも流れれば、状況は悪化するだけよ』

 

『私が眼になります。情報になります。指揮を取ります。極左テログループのメンバーは全員特定し、マザーサーバーに情報を送りました。三つのマザーサーバーを同期すれば本当の味方にだけ通信することが可能になり、被害を抑えてテロを鎮圧出来ます』

 

『貴方にならそれが可能と?』

 

『はい』

 

揺るぎないプライドを込めた即答。数秒の沈黙が長く感じた。もし、拒否されたらと恐怖が込み上げてくる。早く答えてと心が絶叫を上げた。

 

『一分、待ちなさい』

 

『……はい』

 

心の中で総隊長に感謝しつつ、ブラックは仲間の中に紛れた極左テログループの構成員を優先して倒していく。

 

一分後、総隊長からの無線通信。

 

『三つのマザーサーバーを同期させたわ。警察と自衛隊の作戦本部にも現場指揮権を貴方に一時的に預けることを承諾させた。もしもの時の責任は私が負うわ。貴女は務めを果たしなさい、ブラック』

 

『ありがとうございます、総隊長』

 

一度深呼吸をし、昂る心を落ち着かせる。仲間を指揮する立場にないブラックは当然今回が初めての指揮だ。

 

万が一に備え、ある程度指揮官としての知識は教わったが、知識だけでどうにか出来るほど戦場は甘くない。焼き付け刃の能力で何処まで出来るか。

 

しかも警察と自衛隊もその指揮下に置くことになる。

 

判断を誤り、被害が拡大すれば、総隊長に迷惑がかかる。SMBを心よく思っていない人間は警察にも自衛隊にも沢山いる。

 

この状況でマザーサーバーの同期という総隊長の判断は恰好に批判対象になる。

 

失敗は許されない、ギュッと、シュメルツを握り締める。

 

ドイツ語で痛みを意味する愛銃――共に痛みを共有する大切な相棒。

 

『皆さん、聞こえますか? 私はSMBαチーム所属殲滅特化兵ブラックです。SMB総隊長の判断でマザーサーバーを同期させSMB、警察、自衛隊の指揮権を私が一時的に行使することになりました。全隊員は私の指示に従い、態勢を整え、テロリストを迎え撃って下さい』

 

予期されていた返事はすぐに訪れる。

 

『SMB!? 何を勝手な!! 我々は我々の意志で動く!! 邪魔をするな!!』

 

自衛隊の現場指揮官からの罵声が跳び込んできた。わかっていたことだが、少しだけ心が痛む。

 

『……我々もSMBに従うことは出来ない』

 

警察の現場指揮官の冷静な返信。ため息を漏らすことを寸でのところで止め、二人の指揮官を言い包めるために準備していた渾身のストレートをお見舞いする。

 

『鈴木二等陸尉、会議室に籠もっている貴方にはわからないかもしれませんが外は敵も味方も区別出来ない大混戦状態です。今も若い陸自隊員が仲間に撃たれて死にました。多くの部下を死なせるのが貴方の望みですか!? 利根第三小隊長、副官を殺された心中お察しします。これ以上墓標を多くする気ですか? 多くの家族を悲しませる気ですか!?』

 

息を呑む気配を察知し、二人が返信をする前に更に畳みかける。

 

『ご存じだと思いますが、私はフォース覚醒者です。私の眼は全てを捉えます。この戦闘を最小限の被害で勝利したいのなら私の力を利用して下さい。どうか、私の指揮下に……』

 

『……分かった、従おう』

 

利根第三小隊長の意を決した声に安堵感を覚え、ブラックは鈴木二等陸尉の返信を待つ。

 

『くっ、失敗した場合、SMBに明日はないと思え!!』

 

『了解しました。ミルク、貴方はどうします?』

 

『総隊長の判断なら従うしかないな。俺達の命、お前に預ける』

 

両肩に、圧しかかる命の重み。今はそれが妙に心地良かった。使命感が刺激され、湧き上がる自信が今までにないくらい、ブラックに力を与えた。

 

『指示を出します。敷地の東側にいる隊員はすぐに西側に後退!! 私とSMBβチームが援護します。紅咲隊長、半数を東側の援護に回して下さい』

 

『了解した、指揮官殿』

 

脳裏に紅咲の気障で余裕な笑みが浮かび、対抗意識が刺激され、より激烈な使命感が湧き上がる。

 

『西側にいる隊員はその場を確保して下さい。ミルクとシュガーは確保の援護を』

 

『了解』『任せな!!』

 

頼りになる仲間の声が恐怖を呑み込み、自信をより滾らせてくれる。

 

『残った半数のβチームは敵パワードスーツと車輌を破壊し、敵退路を断って下さい。味方に紛れた極左テログループのメンバーはマザーサーバーを通して伝わっているはずです。辛いかもしれませんが、彼らは敵です、躊躇ってはいけません』

 

親しかった仲間に銃をむけられる痛みはブラックにはわからない。だが、仲間に銃をむける痛みはわかっている。自分に出来ることはその痛みを引き受けること。

 

西側から撤退を始める味方を追う極左テログループの構成員をブラックは撃った。

 

「五百三十六」

 

敵を一人撃ち倒すと同時に新たな指示。

 

『シュガー、貴方はβチームに混ざって、西側の援護に回って』

 

更に東側に撤退する自衛隊員二名に進路変更の指示、裏門から施設に侵入を試みるテロリストの排除を、会議室を守るαチームと自衛隊員数名指示。指示を出しながらも狙撃の手は止めず、一人、また一人と打ち倒していく。

 

「ミルクや紅咲副隊長はいつもこんな大変なことをこなしているのね」

 

指揮をしながら更に敵とむき合うことの難しさ、集中力の維持、瞬時の判断、一瞬の余裕のない立場をブラックは身を持って味わっていた。

 

二人に対する畏敬の念を抱き、更なる対抗心が生まれ、激烈な指示を出し、引金を絞った。

 

シュメルツから放たれた銃弾は大きく軌道を逸らし、芝生を撃ち抜いたが、ブラックは既に驚かなくなっていた。

 

ただ静かに、視えない敵の到来を受け入れ、そのフォースを打ち破ってやると明確な意志を抱いた。

 

ブラックの脳裏に想像出来る範囲で敵のフォースの正体を列挙し、銃弾の逸れ方を視ながら、可能性の低いものを一覧から削除していった。

 

『此方、利根第三小隊長だ。警察側の人員は全員西側に撤退完了した』

 

『私の眼でも確認しました。警察の隊員は半数を負傷者の介抱に回って下さい。利根小隊長の場所から十時の方向にRPGを持ったテロリストが迫っています。残りの半数は共に迎撃を。ミルクは自衛隊員の撤退援護を。全員撤退後はβチーム半数と合流し、敵の殲滅を』

 

『了解』『了解した』

 

利根小隊長とミルクの冷静な声を聞いただけで気分が落ち着いた。

 

頼もしい仲間の存在を感じながらブラックは自分が突破すべき障害へと集中した。

 

依然、銃弾は軌道を逸らされ、敵を打ち倒すこと叶わず、徐々に東側へと迫っている。

 

絞り込んだ可能性も五つより少なくすることが出来ず、その五つから一つを選ぶのはあまりにも困難で、思わず奥歯を噛み締めた。

 

方法がないわけじゃない。だがそれはあまりにも集中力を使い、指揮に支障を来たす可能性がある。自ら指揮を執る役目を名乗り出た手前、そんな身勝手な行為は許されない。

 

だが、迷っている暇はない。不可視の干渉はいずれ、自分以外に影響を及ぼす。そうなれば、被害の拡大は免れない。

 

指揮を一時的に放棄して混乱が発生しない時間は――マザーサーバーの出した答えは三十秒以下。その間に不可視の干渉の正体を特定する。

 

ブラックは長い右髪を掻き上げ、隠れていた右目をあらわにした。

 

普段隠している理由、それは視え過ぎる為だ。左目の数倍以上の視力と能力は擬似脳への負担が大きく、逆に能力を存分に発揮出来ない。

 

今こそ、右目の過剰ともいえる能力を活用する時。

 

ブラックは引金を絞り、銃弾に干渉する可能性のあるものを全て視た。

 

熱、風、電磁波、音波、重力――あらゆる可能性を。

 

ブラックの能力は電磁波や重力の変化を視覚化し捉えることも出来るが負荷も大きい。脳内で鳴り響く警告音――擬似脳の出力が一気に十二%も低下。

 

絞った五つを越え、既に十に及ぶ可能性を視認したが、どれも銃弾に干渉していない。残り十五秒。

 

警告音が集中力を低下させ、何を視ればいいか、判断を鈍らせる。

 

噛み締めた奥歯が軋んだ。自分の未熟さが悔しかった。

 

だが、偶然というべきか、無意識の内にブラックは干渉するそれを視た。

 

目を見開き、自分が視たものが何だったのか、それを確かめるためにもう一度、引金を絞った。

 

敵の頭に真っ直ぐに飛来するはずだった銃弾はその干渉を受けて軌道を逸らし、地面を抉った。

 

「捉えた!!」

 

右目を前髪で隠し、普段のスタイルに戻る。全身から噴き出す汗が疲労を物語るが、ブラックは屈しない。

 

指揮を放棄した二十四秒を取り戻すべく、変化した状況を瞬時に判断、指示を出し、引金に指をかけた。

 

何が干渉してくるのかがわかれば打開策は自ずと生まれる。

 

ブラックは迫り来るテロリストの一人を真っ直ぐに見つめ、狙いすまし、引金を絞った。

 

「五百四十」

 

放たれた銃弾はテロリストの頭を見事吹き飛ばした。

 

敵のフォース覚醒者は力場そのものに干渉していた。銃弾が持つ回転力であり、前進する力。

 

それが不可視の干渉の正体。視えない敵は回転と前進の力に干渉し、狂わせ、銃弾の軌道を逸らしていたのだ。

 

「もう、私からは逃れられないわよ」

 

難しいことではない。今まで力場への干渉は一定だった。弾道計算に干渉の方向と強さを足して答えを導き出せばそれだけで銃弾は当たる。

 

ブラックは立て続けに三回引金を絞り、全弾が命中し、視えない敵に対する恐怖心が優越感へと変わるのを感じた。

 

『自衛隊員が全員西側へ撤退完了』『敵パワードスーツの全体撃破完了』『施設内へ侵入を試みたテロリストの撃退完了』

 

一挙に流れ込む勝利への情報。それが自分の導いたものだと思うと重圧が消し飛ぶほどの喜びが込み上げてきた。それを更に大きくすべく最後の指示を出す。

 

『東側より迫る五十弱のテロリストを殲滅し、戦いを終わらせましょう』

 

 

最後の一人がシュガーの一撃で吹き飛び、苦しかった戦いに終止符が打たれた。

 

自衛隊と警察からの被害報告を聞きながらブラックは今回の戦いで自分が視た死を思い返した。

 

苦痛に歪む表情、音にならない最期の言葉、蹂躙される死者達。

 

全身に走る悪寒と心の痛みがブラックに突き刺さる。

 

だがこれでいいとブラックは思う。

 

例えテロリズムから国民を守る大義名分を掲げても、殺しを正義と謳う理由にしてはいけない。

 

誰かを守る――それは誰かを殺すことに等しい行為でそれを人殺しと呼ぶ。

 

ブラックに出来ることは、死者を忘れず、殺しの痛みを忘れず、向き合い続けること。

 

『SMB及び、ブラック殲滅特化兵、貴方がたには借りが出来たな』

 

利根第三小隊長の無線通信。偽りも嫌みもない感謝の言葉。

 

『いえ、利根第三隊長及び自衛隊、警察の協力があったからこその成果です。ご協力、ありがとうございました』

 

普段毒舌なブラックが口にすると奇妙に思える謙虚な言葉に通信を聞いていたシュガーは思わず吹き出し、必死に笑いを堪える。

 

それをしっかりと視ていたブラックはため息を漏らし、シュガーをからかいに屋上から降りようとした時だった。

 

誰かの視線を感じた。全身が凍りつくような憎悪と殺意の籠もったそれにブラックは瞬時に反応し、シュメルツを構えた。

 

握ったグリップは噴き出した汗で濡れ、引金にかけた指も震えていた。

 

『ブラック、どうした!?』

 

異変を察知したミルクから無線通信にもブラックは応答出来ないほど、慄いていた。

 

ブラックは視た。自分の視認領域のギリギリに立つ一人の人間を。

 

暗闇の中で、瞳は紅く輝いていた。ニヤリと笑う口はシュガーのそれを比べ物にならないほど歪んでいて、挑発するように無防備な状態で立ち、ブラックを見ていた。

 

ブラックは引金を絞った。だが銃弾が直撃の瞬間、ピタリと止まって地面に落ちた。

 

銃弾の力場に干渉し、前に進む力を消滅させたのだとブラックは悟り、同時に紅い双眸の人物がその能力を持つフォース覚醒者であると悟った。

 

「ブラック!!」

 

無線通信ではない、肉声が鼓膜を震わせた。我に返ったブラックが振り向くとシュガーが心配そうに立っていた。

 

シュガーの存在がこれほどまでに安堵を与えてくれたことがあっただろうか。ブラックはシュガーに歩み寄り、抱きついた。

 

事態を飲み込めないシュガーもブラックの尋常じゃない汗の量と震えにただ、優しく抱き返した。

 

シュガーに抱きついたまま、ブラックは振り返る。そこにはもう誰もいなかった。ただ、憎悪と殺意を具現化したような暗闇だけが延々と広がっていた。

 

 

 

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