四話「親と子」
 
 プラント防衛任務から三日後――SMB本部二階、トレーニングルーム特別訓練室にミルクと楓子、更に嬉々としたシュガーとブラックの姿があった。
 
 三日前の約束通り、ミルクは楓子との稽古に挑んでいた。お互いが軽いウォームアップを済ませ、組手をするために特別訓練室に入ったところでシュガーとブラックが現れた。
 
 二人の観戦を反対したミルクだが、楓子は観戦を喜び、反抗むなしく、現在に至る。
 
 ミルクが楓子と組手をするには実に三年ぶり。シュガーが入隊した当時、訓練の一環として見せて以来だ。
 
 緊張する身体を深呼吸でほぐし、対峙する楓子をキッと睨みつける。
 
 無表情でありながら、鋭さと気迫を感じさせる楓子に気圧されないよう、丹田に力を込め一言。
 
 「いくぞ」
 
 気迫の籠もった先制攻撃。顎への右ストレートは難なくかわされ、次の攻撃に移ろうと腕を引こうとした直後、投げられた。
 
 背中から床に叩きつけられ、受け身をとったにもかかわらず、背中に激痛が走った。
 
 CQC――軍隊や警察が近接戦闘で用いる格闘術、その基本のひとつである投げ技。
 
 投げられたミルクにはおろか、シュガーもブラックも楓子の投げる動作を捉えることが出来なかった。
 
 「もう終わりかしら?」
 
 さっきまでの無表情とは打って変わって楽しそうな笑みの楓子にミルクはもう一度攻撃を仕掛ける。
 
 機械義肢の出力を活かしたハイパワーとハイスピードを併せ持った攻撃を楓子はいとも簡単に捌いていく。その動きは華麗にして繊細、一切の無駄がなかった。
 
 「視えるか?」
 
 「貴方よりは視えていると思うけど、完全に動きを捉えることは出来ないわ、速すぎる」
 
 常人を遥かに上回る視力を持つブラックやシュガーでさえ、楓子の動きはビデオの早送りのように映った。
 
 楓子は手足を義肢にしていない完全生身の人間だ。一方ミルクは両手足が戦闘用義肢で、高性能、高品質の部品を使っている。更に臓器の一部も機械化している。
 
 だが実力は楓子のほうが上だった。どうにもならない才能の壁。少年兵として優秀なミルクだったが楓子は格が違った。
 
 もしミルクが楓子に勝てる部分があるとしたら、諦めの悪さ。
 
 既に十数回投げられたミルクだが、果敢に楓子に向かっていた。
 
 「まだ諦めないのかしら」
 
 「今日は勝つまでやってやるさ」
 
 双眸に宿る不屈の闘志。昔から変わらないミルクの根っこ。
 
 それが楓子にはたまらなく嬉しく思えた。
 
 地獄を繰り返し味わっても、ミルクは耐え、信じるものを変えようとしなかった。
 
 「でも、腕はまだまだね」
   
 右腕を掴み、懐に潜り込んで背負い投げ。倒れたミルクの眼前でピタリと拳を止めた。
 
 「……まだ俺は勝てないのか」
 
 奥歯を噛み締め、悔しさを滲ませるミルクの鼻の頭を軽く小突き、楓子は言う。
 
 「それでも三年前より動きにキレが増したわ。問題を上げるなら攻撃前の動作が少し大きいわ」
 
 稽古するはずが稽古を受けていたミルクは楓子の助言にしっかりと耳を傾け、相槌を打った。
 
 「さて、貴方達も観ているだけじゃつまらないでしょ?」
 
 二人に振り返る楓子。シュガーはニヤリと笑い、勢い良く立ち上がり楓子の前に仁王立ちした。
 
 「へっへ、総隊長自ら稽古してくれるなんて貴重な体験だ」
 
 ミルクが退き、シュガーの稽古が始まった。
 
 腕を機械義肢化していないシュガーの格闘術は脚技が主体であり、速さと威力だけならミルクのそれを上回る。
 
 人体を貫きそうな鋭い蹴りに臆することなく楓子は綺麗に捌く。
 
 表情に悔しさを滲ませながらもシュガーは楽しそうだった。目の前の大きくまだ越えられない壁。それをいつか越えてみせようとする強い意志が攻撃ひとつひとつに宿っていた。
 
 「此処までね」
 
 組手は三十分で終わったが、その中でシュガーは確実に進化していた。戦闘用義足が可能にしている高速のフェイントを後半は頻繁に使い、フェイントに意識を集中させ、小細工なしの一撃を繰り出したり、捌くのが難しい順番での連続攻撃を編み出したりと、戦闘センスと飲み込みの速さはミルクに匹敵するレベルだった。
 
 しかし百以上繰り出した攻撃は全て捌かれ、汗だくになっていた。
 
 「総隊長は、なんでそんなに強いんですか?」
 
 息も絶え絶えのシュガーの問いに息一つ乱していない楓子が丁寧に問題点を指摘し、シュガーは相槌を打つ。
 
 「さぁ、最後は貴女よ、ブラック」
 
 ちょこんと座っていたブラックに三人の視線が集中し、ブラックは不機嫌そうに眉を寄せる。
 
 「私は狙撃兵です。近接戦闘術は身につける必要は」
 
 「狙撃兵でも、基本的な格闘術は必須よ。いつ敵と近距離で遭遇しても良いようにしておくべきだわ」
 
 ブラックは銃器の扱いはSMBでもトップクラスだがそれ以外に関しては赤点だった。
 
 元々身体が強いほうではなく、義肢で高威力ライフルでの狙撃を可能にしているが、実戦でそれを格闘に使ったことはまだない。
 
 「んだよ、負けるのが怖いのか?」
 
 シュガーの挑発的な台詞に思わずむっとなる。図星だった。
 
 楓子は途方もなく格上の相手。ミルクとシュガーが勝てない相手にブラックが組手で勝つのは不可能だが、それでも負けるのは嫌だった。
 
 だが此処で引くのは負け当然。ならば戦って負けるほうがまだマシだ。
 
 ジャケットを脱ぎ、トレーニングウェア姿になったブラックはぎこちない構えで楓子の前に立った。
 
 「さぁ、掛かってきなさい」
 
 どんな相手にでも本気の姿勢を崩さない楓子に右腕で渾身のストレート。
 
 ブラックにとって最高の一撃でも、それはミルクに数段劣り、容易に捌かれる。もう一度攻撃、捌かれる。今度は左右から連続攻撃。またもや捌かれ、投げられる。
 
 受け身の失敗、肺が圧迫され、呼吸が一瞬止まる。
 
 「……終わりかしら?」
 
 「まだまだ、行けます!!」
 
 倒れた状態からの足払い、起き上がった勢いに任せた中段蹴り、いずれもかわされたが勢いに身を任せ、怒涛の連続攻撃。
 
 ブラックがシュガーやミルクに唯一勝るものは視力。目にフォースが宿る付加価値で動体視力も抜群に良く、楓子の動きをよりはっきりと捉えられるが、身体がそれに着いていかない。
 
 目で視えたものを捉えられないのが歯痒かった。狙撃の時はどんな些細な動きも捉え、対応出来るのに、距離が近くなった途端、出来なくなる。
 
 これでは楓子の言う通り、敵と近距離で遭遇した時、呆気なくやられてしまう。
 
 自分の未熟さを痛感したブラックは過去の情けない自分を罵り、今は必死に楓子の動きを視て、盗むことに努めた。
 
 楓子は攻撃を捌く際、手が触れる瞬間まで殆ど力を入れていないのが筋肉の動きから分かった。脱力からの瞬発力が速さの正体であり、それを可能にしているのがブラックに匹敵する動体視力と、圧倒的な戦闘経験だった。
 
 「はい、此処まで」
 
 シュガーと同じ、三十分の組手が終わり、ブラックは仰向けに倒れ、全力で空気を肺に供給していた。
 
 身体は疲弊し切っていたが心地良い疲労感で顔には笑顔が浮かんでいた。
 
 「ミルクの言う通り、時々身体を動かすべきね。久しぶりだと筋が硬くて思うように身体が動かないわ」
 
 「今ので全力じゃなかったんですか」
 
 末恐ろしいものを見る目で楓子を見つめるシュガーと無言で同意するブラック。
 
 「全力だと、フォースを使っても勝てる気がしないな」
 
 「近接戦闘術は所詮、一対一か少数相手に特化した戦闘技術に過ぎないわ。貴方達の大軍を相手に圧倒する能力と比べられたら、スッポンもいいところだわ」
 
 ぼやくミルクに楓子が謙遜気味に漏らす。
 
 「つまり楓子がフォースに目覚めたら、最凶最悪の兵士が誕生する訳か」
 
 「うっへぇ、そうなったら世界中のテロリストも真っ青の大ニュースだ」
 
 「そうなったら総隊長一人で世界征服が出来そうですね」
 
 ミルクの悪ノリに続くシュガーとブラックに楓子は心底楽しそうな笑みを浮かべた。
 
 「ふふっ、こういうのってなんだが楽しいわ」
 
 賛同するようにブラックが頷き、言葉を紡ぐ。
 
 「まるで家族みたいですね」
 
 それが失言だとはブラック自身は微塵も思わなかった。
 
 シュガーの表情が一瞬だけ強張ったが、誰もそれには気づかず、場の空気を壊さないよう、すぐに笑顔の仮面を纏った。
 
 と、タイミング良く正午を知らせるチャイムがスピーカーから流れる。
 
 「もう昼か。今日は昼飯が美味そうだ」
 
 笑顔を浮かべたまま、シュガーは駆け足でシャワールームにむかい、服を脱いで個室に入り、コックを捻って温水を浴びた。その表情から笑顔は消え去り、悲しみとも憎しみともとれない複雑な感情が出ていた。
 
 家族――シュガーが最も嫌う単語であり、存在。親に酷い虐待を受けていた彼女にとって家族は唾棄すべき存在以外のなにものでもない。
 
 ブラックにとっては何気ない一言でもシュガーにとっては過去のトラウマを蘇らすには十分過ぎるのだ。
 
 「何が、家族だ」
 
 吐き捨てるように呟き、苛立ちをかき消すためにシャワーの威力を強め、濁流に身を沈めた。
 
 
 昼食後、シュガーはくわえた煙草を舌と歯で弄びながら資料室で携帯端末を使い、過去の資料に目を通していた。
 
 資料室に人は滅多に来ない。此処にある書類は全てデジタル化され、本部ビル内の端末ならどこでも閲覧可能だったが、特に集中したい時だけは自室ではなく此処に来るのがシュガーの癖だった。
 
 だが今日は珍しく来客があった。
 
 「シュガー?」
 
 背後で男の声。振り向くとファイルを抱えた漣が訝しげな表情で立っていた。
 
 「やぁ、副長。真面目なあんたがサボりですか?」
 
 不快な気持ちを表に出さないよう、無理矢理取り繕った笑顔をむけた。
 
 「お前と一緒にするな。報告書を置きに来ただけだ」
 
 抱えたファイルを棚に納め、入口に置かれた管理簿に新しいファイルの内容と納めた棚の番号をスラスラと書きとめる。
 
 「本当、馬鹿がつくくらい真面目ですね。アナログ情報なんてかさばるだけでデジタルの時代に合いませんよ」
 
 思わず苦笑を漏らし、漣の行動を無駄なことだと吐き捨てる。
 
 「デジタルだって完全じゃない。十年前、国立図書館縮小のために在庫の半分がデータ化され書物が処分された直後、サイバーテロに遭い、データが全て破壊される事件があった。文学的、歴史的、技術的、民俗学的に価値のある書物のデータが全て消滅し、大問題になったほどの事件だ」
 
 「えっと、確か領土問題を抱えていた土地の歴史的証拠も一緒に消えたとかなんとか……」
 
 「そうだ。お陰で領土問題は更に長期化し、五年前ようやく決着がついた。それ以来、重要な文献や書物はデジタル化し複数のサーバーで保存、アナログでも永久保存する法律が施行された」
 
 情報のデジタル化が進む一方でデメリットも注目されるようになり、多くの企業で書類などの形でアナログ保管されるようになったが、それがトヨタマ襲撃テロ及び新装甲技術の流出を招いたことにもなり、アナログ情報の管理の杜撰さが露見し、根本的に見直されることになるだろう。
 
 「なるほどね、デジタル化も万能じゃないのか」
 
 「そうだ。見方を少し変えれば、お前にも言えることだ、シュガー」
 
 「え、私?」
 
 皆目見当のつかないシュガーは首を傾げ、困惑の色を浮かべる。
 
 漣はシュガーに向き直ると、自分の足を触った。
 
 「機械義肢は優秀だ。如月の腕は確かだし、開発課の職員も良く働いてくれている。だが、機械はその利便性の高さに反し、電気回路の一部が壊れただけで使用出来なくなる。欠点も少なからず存在するんだ」
 
 「それはそうですけど、如月の機械義肢は人工筋肉を使っていて、生身の骨に当たる部分の骨格と神経回路と接続部を破壊されない限り多少の損傷は大丈夫です。生身の身体と大差ありません」
 
 さも当たり前だといわんばかりのシュガーに漣は目を細め見つめた。
 
 あらわになるシュガーの異常性。漣も臓器の一部と両手が機械された身であり、身体の機械化に伴う長期訓練を経験している。
 
 高性能の機械義肢の欠点とも言える長期訓練だが、シュガーは長期訓練を受けていない。
 
 それこそがシュガーの異常性。十歳の時、不慮の事故で右足を失い、機械義肢技術を一人で開発した如月ですら、生身のように足を動かすのに三カ月を要した。
 
 だがシュガーは機械義足を初めて接続したその日から、普通に動けた。それどころか性能を十分に発揮し、常人以上の運動量を発揮した。
 
 もうひとつ、機械義肢には欠点がある。突発的な拒絶反応だ。
 
 肉体――有機物に機械――無機物を接続することは精神に多大なストレスを与え、何年も機械義肢を使っている者でさえ、時々痺れたように自由が利かなくなる時があるのだが、シュガーはそれすら一度も経験していない。
 
 機械を自らの一部として受け入れる――世界中に存在する機械義肢使用者の中でそれが出来るのはただ一人、シュガーだけだ。
 
 生身と大差ありません――そんなことを口出来るのはシュガーだけだ。
 
 本人はその異常性にきづいていない。あるいはきづいていないからこそなのか。
 
 「末恐ろしいな」
 
 「何か、言いました?」
 
 「いや、何でもない。それより、まだ探しているのか?」
 
 シュガーが持つ携帯端末を一瞥。彼女が此処に来る理由――かつて、自分を救い出してくれた誰かを探すため。
 
 「私は、私を救ってくれたあの人にお礼が言いたいんです。副長は昔、警備会社に勤めていたんですよね?」
 
 シュガーを助けた人物は警備会社に勤めていたが新宿同時爆破テロの翌年にぷつりと消息を経っている。
 
 死んだか、或いは消息を絶たねばならない理由が出来たのか。SMBの権限を最大限駆使して男の行方を追っているが、未だにその足取りは掴めず、今は過去に閲覧した資料に見落としがなかったかを確認する作業を延々と繰り返している。
 
 心の何処かで、無意味なことだと感じていたが、それでもシュガーはもう一度、その男に会いたかった。
 
 「あのテロで活躍した警備会社の人間はそう多くないと聞いています。同業者の噂話とかでもいいんです」
 
 「……お前は過去のことを振り返って、辛くないのか? あのテロはお前の人生を変えてしまった」
 
 シュガーの表情が一瞬曇るがすぐに首を横に振るう。
 
 「確かに辛いです。けど、あの人にお礼が言えないままじゃ、駄目な気がするんです」
 
 漣を真っ直ぐに見つめる瞳からは彼女の強さが伺えた。自分より一回り近く年下の少女に漣は気圧されていた。
 
 「……すまないが、力になれそうにない」
 
 それだけ言い残し、漣は資料室を後にした。
 
 早足に廊下を進み、エレベータに乗って、深く息を吐く。
 
 「情けないな」
 
 握った拳が震えた。過去を乗り越えたシュガーと過去に怯える自分。
 
 「今のあいつに、俺なんて必要ないんだ」
 
 自嘲気味に漏らし、誰にも見せない弱い自分を振り払い、タイミング良く開いたドアをくぐった。
 
 一方、静寂が戻った室内に一人残されたシュガーは携帯端末を閉じて、漣の言葉を反芻する。
 
 機械義肢の利便性と欠点。漣は利便性より欠点を肯定するような口ぶりだった。
 
 それがなんだというのだ。一度失ったものを再び得ることが出来たのだ。それを喜ぶのはいけないことなのか。
 
 「スッキリしないなぁ」
 
 もやもやした気持ち悪いわだかまりを感じたシュガーは椅子から立ち上がり、資料室を出ると階段を使って七階の実働部隊オフィスにむかう。
 
 予想通り、ブラックはそこにいた。自分のデスクに座り、報告書らしきものを書いていて集中状態にある。
 
 そんなことお構いなしに隣の自身のデスクにわざと音を立てて座る。
 
 ブラックの手が止まり、不機嫌そうな顔をシュガーにむけて薄い口紅の乗った口が毒を吐き出そうと開かれる。
 
 だが先にシュガーが切りだす、とびっきりの笑顔で。
 
 「出かけようぜ」
 
 「……は?」
 
 毒の代わりに素っ頓狂な声を漏らし、ブラックの表情は更に険しくなる。
 
 「折角の休暇だ。ビルに籠もりっぱなしも身体に良くない、そうだろ?」
 
 非公式であるSMBだが隊員に行動の制限はない。申請さえ出せば外出は許可され、都内なら自由に動き回れる。
 
 シュガーは頻繁に外出申請を出し、一人で出歩くことが多い。しかしブラックは外出申請を全く出さない。既に一年以上、任務以外でSMB本部ビルから出たことはなく、インドアを通り越し、一種の引きこもりだ。
 
 笑顔をむけるシュガーにブラックはため息を漏らし、視線を報告書に戻し、手を動かす。
 
 「一人で行きなさい」
 
 「冷たいこと言うなよ。なぁ、ミルク、今からブラックと二人で外出申請出すけどいいよな?」
 
 ふたつ隣、窓に背をむけたデスクに座るミルクがふたつ返事で頷く。
 
 「ほら、ミルク隊長の許可が下りた、行くぞ!!」
 
 それでも報告書を書くのを止めないブラックにシュガーは椅子ごと引っ張り外への拉致を試みる。
 
 「コラ、やめなさい馬鹿シュガー!! わかったから!! 外出するから少し待ちなさいったら!!」
 
 根負けしたブラックの悲鳴がオフィスに響いた。
 
 「若い連中は楽しそうですね」
 
 ミルクの隣で紅咲が楽しそうに笑い、賛同を求めるように視線がミルクへ。
 
 「楽しい思い出を作ることも大切だ。それが救いになる」
 
 「真面目ですね、旦那は」
 
 「からかうな」
 
 言葉に不機嫌が混ざり、その原因を察した紅咲の口が悪戯に微笑む。
 
 「島原総隊長に負けたことがそんなに悔しいんですか?」
 
 ピクリと、ミルクの眉に皺が寄った。無表情を保ち、視線を紅咲へ。
 
 年齢より若く思わせる笑顔が今は無性に腹正しい。自分より年上の部下に対し、八つ当たりをしたくなる。
 
 「毘沙門天の操縦ばかりで格闘術のいろはも知らないお前に稽古の件を言われる筋合いはない」
 
 「では、格闘術のいろはを熟知した旦那は素人の俺に優しく手ほどきしてくれるんですよね?」
 
 またしても挑発。此処まで言われて引き下がっては男が廃る。
 
 「覚悟しろよ、優男」
 
 ギラリと光る紅い双眸に紅咲はわざとらしく肩をすくめた。
 
 二人が連れたってトレーニングルームに降りていくかたわら、シュガーとブラックは外出申請を出し、真夏の街へと繰り出していた。
 
 ブラックは任務時と同じワンピースの上に薄手のカーディガン、肩から下げたポシェットには念のための拳銃。
 
 シュガーはロングコートを脱いだだけのタンクトップ姿と極めてラフな格好。鼻歌交じりに人で溢れ返る街を楽しんでいるようだった。
 
 「この間の任務で暑い暑いって文句垂れていたのに」
 
 「外出は別だ」
 
 「そう。で、何か用事でもあるの」
 
 「ない。散歩だよ」
 
 絶句するブラック。外出する際、滅多に他人を誘わないシュガーが珍しく、半ば強引に誘ったものだから、それこそ特別な用事があると勝手に思い込んでいたブラックは呆れて言葉も出なかった。しかし此処まで来た以上、一人で帰るのもアホらしく思え、仕方なくシュガーに付き合うことにした。
 
 「用事がないにしても、せめて目的地くらい決めなさいよ」
 
 「ん〜〜、原宿でも行くか」
 
 真っ先に思いついた名前を言っただけだとブラックは察し、二人で東京メトロに乗り原宿へとむかった。
 
 
 ほぼ同時刻――SMB本部ビル地下二階、情報解析課オフィス。
 
 課長である東雲幸人は昨日新たに得た情報の解析を行っていた。
 
 警視庁宛てに届いた匿名のフリーメール。内容は本日未明、原宿でテロがあることを示唆する内容。普通なら悪戯と判断するメールだが、添付された画像が悪戯でないことを示していた。
 
 合計四枚添付された画像はいずれも密輸されたであろう銃器や兵器、更にアジトの地図まで添付されていた。
 
 マザーサーバーがネット上に同一の画像の有無を検索し、アジトの所在である雑居ビルの使用状況を不動産に確認、更に画像の解析にかかる。
 
 解析を始めて一時間、マザーサーバーの画像検索は終了し、ヒット数はゼロ。この時点で情報の信憑性は三十五%。
 
 続いて画像の解析が終了。銃器や兵器は全て本物、撮影された場所も添付された地図の雑居ビルの一室。信憑性は六十%まで跳ね上がる。
 
 最後に不動産からの連絡。雑居ビルは現在、とある外国人経営者がまるまる借りている状態だが連絡が取れず、経営している会社の電話も繋がらない状態。信憑性は六十八%に上昇。
 
 最後の解析はともかく、二つの解析結果から、その雑居ビルがテロリストの拠点のひとつで密輸した銃器があり、テロを企てている可能性は十分にあった。だが、この情報をもたらしたのは一体誰で、目的は?
 
 マザーサーバーはこの情報が罠である可能性を八十%の確率で警告している。
 
 勇敢な者がテロリストに接触し、内部へ忍び込んで情報を漏洩させたことは過去に数回あり、未然にテロを防いだこともあったが、それ以上に偽情報による攪乱や罠が圧倒的に多かった。
 
 それが二つの数値に現れ、東雲を悩ませていた。
 
 マザーサーバーは情報の信憑性も七十%近い数値で示し、罠である可能性を八十%の数値で示している。
 
 数値が此処まで近いことは極稀で判断が大変難しい。
 
 「総隊長と副長と意見を聞くべきか」
 
 内線を使い、二人の上司へ連絡。事情を説明し、判断を煽る。
 
 『警戒するに越したことはない。該当区の警察署に連絡し警備強化を依頼する』
 
 漣の判断は迅速で情報課のオペレータが対応。
 
 『念の為、もう少し情報を解析して。信憑性が八十%を越えるようなら実働部隊をむかわせるわ』
 
 楓子の指示は徹底していて、複数の情報課職員が更なる解析を開始する。
 
 「恐れ入るよ、本当に」
 
 頭垢だらけの頭髪を掻き毟り、東雲も再度解析を開始した。
 
 
 SMB本部でのやりとりなど知る由もないシュガーとブラックは原宿に到着し、目的もなく歩いていた。
 
 真夏だというのに街の中は人で溢れ返り暑さを倍増させていたが、シュガーは上機嫌で気にした様子はなかった。
 
 隣を歩くブラックは折角外出したのだから買い物でもしようとフォースを使って広範囲によるウインドウショッピングを楽しんでいる。
 
 「う〜ん、色合いがイマイチね」
 
 「ん、何か言ったか?」
 
 振り向くシュガーにブラックは意地悪く説明。
 
 「此処から四百メートル先のビルの四階にあるブティックの奥から三列目にあるジャケットなんだけど、肩から腕にかけての色合いがね。もう少し濃い色なら試着したいなと思ったんだけど」
 
 途端、嫌そうな顔になるシュガー。ブラックが指差した場所は現在の位置からではブラックにしか視えない場所であり、説明されてもわかったものじゃない。
 
 「ウインドウショッピングを楽しんでいるようで何よりだ。男子便所でも覗いたらどうだ?」
 
 嫌味っぽく漏らすシュガーにブラックは更に言う。
 
 「そう? じゃあ、如月が用を足しているところを視姦しようかしら」
 
 「……本気ならお前との関係を考えさせてもらうわ」
 
 「冗談よ。貴方の如月に手を出す趣味はないわ」
 
 「意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ、ったく」
 
 ため息を漏らすシュガーを尻目にブラックはご機嫌で、無理矢理引っ張り出されたことなど忘れていた。
 
 ブラックは何店かブティックを回り、装飾品や夏服を買い、シュガーは淡々とそれに付き合った。
 
 「滅多に外出しないのに何で服なんて必要なんだ?」
 
 シュガーの心底不思議そうな問いに、
 
 「乙女だからよ」
 
 満面の笑みで答え、色合いが気に入ったらしいワンピースを持って試着室へ走った。
 
 一人残されたシュガーは店内を適当に歩く。十数人いる客は皆、鮮やかな服と化粧を纏い、ヘアスタイルも綺麗に決めている。
 
 一方、シュガーは黒いタンクトップにダボっとした迷彩柄のパンツにアーミーブーツ。化粧もしてなければ、髪の毛もボサボサ。悪い意味で目立つ存在だった。
 
 それを意識した途端、居心地の悪さを感じ、駆け足にブティックを出た。そこは自分のいるべき空間じゃない――強烈な拒絶反応がシュガーを襲った。
 
 「シュガー、どうしたの?」
 
 数分後、シュガーの異常を察したブラックが試着を中断し、ブティックから出てきた。
 
 火のついていない煙草をくわえ、やさぐれた表情のシュガーはなんでもないと首を横に振る。
 
 「……喉が渇いた。喫茶店でも何処でもいいから行こうぜ」
 
 シュガーの不機嫌な理由が理解出来ないブラックはただ頷くことしか出来なかった。
 
 同ビルの一階にあるオープンカフェに二人は訪れ、砂糖過投入のアイスココアとブラックコーヒーを嗜んでいた。
 
 糖分を摂取し、気分が落ち着いたシュガーは吐息を漏らし、ビルが整然と立ち並ぶ原宿の街を眺めた。
 
 何度破壊されようが、何度でも人の手で蘇り、変わらない賑わいに満ちた風景をみせる東京の街並み。
 
 シュガーはそれに途方もない力強さを感じていた。自然と負けたくない想いが込み上げ、戦う気力が湧いてくる。
 
 好戦的なシュガーだが、戦いに恐怖を感じていないわけじゃない。死ぬのは怖い、だが戦いの中で感じる両足の疼きがなにより生きている実感を与えてくれる。
 
 東京の街々は自分に力を与えてくれる。恐怖を乗り越え、生きる実感を得るための力を。シュガーが頻繁に外出するのはそのためだった。
 
 「いい街だよな」
 
 ブラックにむけるでもない、自然と漏れた独り言。
 
 「そうね」
 
 ブラックは相槌を打った。
 
 相槌があったことに少し驚いたシュガーだが、嬉しそうに微笑み、残っていたココアを飲み干した。
 
 「さぁ、休憩は十分だ」
 
 「そうね」
 
 二人は散歩を再開し、シュガーの提案でデパートにむかうことになった。
 
 全国に店舗を持つ老舗デパートは人で賑わい、活気に満ちていた。
 
 「こういうのも何だが、東京は人が多すぎるんじゃないか?」
 
 「山や森林を避け、平野に人が集まるのは昔からよ」
 
 「歴史の授業は勘弁」
 
 「そう、残念。でもシュガーの言う通り東京は人が多すぎね」
 
 「人口を少しは規制すべきだ。人が多すぎるせいでテロの時に逃げ遅れる奴が出るんだ」
 
 テロ発生時に必ず起きるヌーの大移動よろしくの人の大波。その際、将棋倒しが発生し多い時で十数人が圧死する。それだけで年間で千人以上の死者を出している。
 
 人口を規制する条例が議論されたこともあったが、既に過去の話。複数の市民団体に強烈な反対を受け、人口規制は白紙になった。
 
 「今此処でテロが起きたら何人が転んで死ぬんだろうな」
 
 「縁起でもないこと言わないの」
 
 シュガーが何気なく言った言葉をブラックが咎めた瞬間だった――一発の銃声が響き、直後に悲鳴が走った。
 
 一瞬の静寂後、一気に膨れ上がる恐怖と混乱。さっきまで笑顔で買い物をしていた人々が我先に逃げようとエレベータとエスカレータに殺到し、恐怖とは別の悲鳴が生まれ、人の波に飲まれる。
 
 「おいおい、タイミング良過ぎるだろ!!」
 
 臨戦態勢に入ったシュガーが人の波を掻き分け、銃声の方へと走り出す。
 
 ブラックはポシェットから拳銃を取り出し安全装置を解除、いつでも撃てるように構え、テロ発生をSMB本部へ通達。
 
 『こちらブラック。現在、原宿のデパートで何者かが発砲。テロの可能性を考え、私とシュガーが現場に居合わせたため、人命を優先し、鎮圧にあたります』
 
 返事はすぐに返ってきた。
 
 『こちらミルク。実働部隊は直ちに現場にむかう。それと一つ、青い手ぬぐいを巻いた二人組は殺さず、生きて確保だ』
 
 『青い手ぬぐい巻いた二人組? どういうことか説明してくれ』
 
 今から五分前、再び警視庁宛てにフリーメールが届き、数分後に原宿でテロが起こる旨と、自分達もそれに参加し、青い手ぬぐいを頭に巻いていることが記され、最後に保護をしてほしいと書かれていた。
  
 画像が添付されたメールの件も含めシュガーとブラックは聞かされ、混乱する。
 
 『その二人組の目的は!?』
 
 『わからん。だが、敵ではない可能性が高い。生きて逮捕出来れば有益な情報を得られるかもしれない。これは総隊長命令だ。いいか、必ず生きた状態で確保だ』
 
 『瀕死でもオーケー?』
 
 『シュガー!!』
 
 『冗談だよ。ったく調子狂うぜ』
 
 テロリストと交戦する際は殲滅がセオリーで、シュガーにとってテロリストの確保は初めて。誤って蹴り殺す自信がシュガーにはあった。
 
 情報によると人数は十五人。四神殿の下部組織の構成員で殺しが目的の無差別テロ。
 
 銃声が響き、硝煙と血の臭いが鼻孔をくすぐる。
 
 「遅れるなよ、ブラック」
 
 「言われなくても」
 
 前方に三人のテロリストを確認。シュガーが足に風を纏い、速度を上げ、烈風の如く突進。勢いを殺さず、二人を蹴り飛ばす。
 
 残った一人がシュガーに銃口をむけ、引金を絞る前にブラックの銃撃で倒れる。
 
 「別れるぜ」
 
 「えぇ」
 
 二手に分かれ、ブラックが視た情報を頼りに最短ルートでテロリストへと突撃。
 
 一人、二人と難なく倒していくブラックは視界の片隅に常に青い手ぬぐいの二人組を捉えていた。
 
 年齢は三十台後半、男女。一通りの装備はしているも撃つ気配はなく、脅し、叫んでいるだけ。
 
 『シュガー。例の二人組は五階の北側にいるわ。貴方の方が近い。送信するルートで行けば、途中にいるテロリストも倒せるわ』
 
 『了解』
 
 ブラックが視た情報はマザーサーバーに送信され、解析と最適化されたルートがシュガーの擬似脳に転送される。その間、わずか三秒余。
 
 人の波に逆らい、上へと駆け上がるシュガーはルート上にいるテロリストを倒し、一分足らずで五階へと到着、この時点で残るテロリストは二人組を含め、四人。
 
 シュガーの前に邪魔する者はいない、後は接触すればいいだけだが、楽しい外出時間を邪魔されたシュガーは少なからず苛立っていた。
 
 「一発くらい蹴りをお見舞いしてやるか」
 
 いつの間にか煙草をくわえた口がニヤリと笑う。
 
 五階中央エリアを横切るとシュガーにも二人組の姿が確認出来た。背中を見せ、こちらには気づいていない。
 
 シュガーは義足の出力を最大にし、全力で駆けた。
 
 「私の楽しみに邪魔した罰だ!!」
 
 背後から威力を弱めて蹴り、悲鳴を上げ二人組は転倒した。
 
 「はっ!! お望み通り、生きて確保はしてやった……」
 
 振り向いた二人組の顔を見たシュガーの表情が凍った。
 
 「巴?」
 
 女が驚愕に目を見開き、シュガーの本名を口にした。
 
 途端、シュガーの表情が怒りに歪み、暴風が吹き荒れ、二人組は壁際まで吹き飛ばされる。
 
 「何やっているんだよ……」
 
 静かだが、烈火の如き怒りを孕んだ声。一歩、歩み寄る。女が情けない悲鳴を漏らし、男に抱きつく。
 
 「止めてくれ、巴」
 
 男が震えた声で懇願した。更に前へ。
 
 「呼ぶんじゃねぇ。私をその名で呼ぶんじゃねぇ!!」
 
 更なる暴風が吹き荒れ、ショーケースや商品が宙を舞った。
 
 「殺してやる。お前らなんか殺してやる!!」
 
 うずうずと両足が高鳴り、熱を帯びるのを感じた。
 
 今まで抱いてきたそれを遥かに上回る殺意。一歩、更に一歩近づき、二人組が間合いに入った。
 
 身を屈め、攻撃態勢に入ったところで、聞き慣れた声が背後から響いた。
 
 「やめなさい、シュガー!!」
 
 ブラックが叫び、拳銃がシュガーにむけられていた。
 
 「忘れたの、その二人は生きて確保よ」
 
 「知るか。所詮連中の捨て駒だ。活きの良い情報なんて持ってねぇよ。此処で殺した方が世のためだ」
 
 「それを判断するのは貴方ではないわ」
 
 「黙れ」
 
 殺意を纏い、肌を切り裂くような風がブラックの頬を撫でた。
 
 冷静にみえるブラックだがその実、困惑していた。
 
 シュガーの豹変、目の前の二人組。
 
 双方に因縁があることを察し、今はミルク達が来るまでシュガーが凶行に走らないようにするのが自分の務めだとブラックは判断した。
 
 「聞きなさい、シュガー。その二人はテロリストではないわ。自分の危険を顧みず、敵の懐に潜り込み、テロの情報を伝えた勇者よ」
 
 「このクズ共が勇者だと? あまりふざけたこと抜かすとぶっ飛ばすぞ、ブラック」
 
 シュメルツを持たないブラックの戦闘力はシュガーの足元にも及ばないほど微弱で、双方が戦えば、ブラックが負けるのは目にみえていた。それでも引けなかった。
 
 「これが最後の忠告よ。やめなさい、シュガー」
 
 「黙れ!!」
 
 怒号と共に刃と化した風がブラックに襲いかかる。
 
 ブラックはサテライトアイで風を視覚化し、身体を傷つける風を避け、シュガーの足を狙って撃った。
 
 当然のように風に阻まれ軌道を逸らす銃弾。シュガーの防壁は外へと風が流れているため、軌道のずれを計算しても意味がない。
 
 銃が効かないことを悟ったブラックは床に拳銃を置き、拳を構える。
 
 「あんたじゃ私に勝てないよ」
 
 シュガーはブラックに接近し、テロリストを攻撃する時と同じ出力で蹴った。
 
 辛うじてそれをかわしたがすぐに次が迫った。容赦の欠片もないシュガーに対し、ブラックは困惑を振り払い、不思議なほど落ち着いていた。
 
 数時間前のことが鮮明に蘇る。楓子との訓練の中で視た、彼女の実力。その中核をなしている脱力と瞬発力。
 
 今のブラックにどれほど楓子の真似が出来るかわからない。それでもやらなければシュガーに殺される。
 
 二撃目を紙一重でかわし、わずかに距離を取って全身の力を抜いた。直後に迫るシュガーの攻撃。
 
 スッと、自然な動作で足の軌道上に手を出し、触れるか触れないか、その刹那の瞬間に動いた。
 
 捌いた。シュガーの攻撃は大きく逸れ、態勢を崩す。ブラックはすかさず腕をとり、関節を極めた。
 
 「……放せよ」
 
 「断るわ。冷静になりなさい、今の貴方は我を失っているわ」
 
 「私はいつでも最高にクールだ。いいから放せ」
 
 シュガーの足に力が籠もり、わずかに風が生まれた。フォースを使われては抗う術はない。だがブラックは既に務めを果たしていた。階下から聞こえる複数の足音と仲間の声。
 
 それに安心したブラックはわずかに力を緩めてしまった。最大の失態だ。
 
 シュガーはブラックの拘束を無理矢理振りほどき、腰が抜けて動けない二人組へと疾走した。
 
 「やめなさい、シュガー!!」
 
 「死ねええええぇぇぇぇ!!」
 
 いくつかのことが同時に起こった。二人を守るように立ちはだかる紅咲とβチームの隊員、シュガーを取り押さえるミルクとαチームの隊員、それでも二人組を殺そうと前に進もうとするシュガー。
 
 「放せ!! どけミルク!! そいつらだけは許せねぇ!! 絶対に殺してやる!!」
 
 「紅咲、二人を拘束し、車輌へ」
 
 「……了解」
 
 手錠をかけられ、隊員に肩を借りながら歩く二人はエスカレータを降りる際、シュガーを一瞥し、やがて姿が見えなくなった。
 
 「待ちやがれ!! 殺してやる!! 親父、お袋!!」
 
 「……え?」
 
 耳を疑った。シュガーの言葉の意味を遅れて理解したブラックは背筋が冷たくなるのを感じた。
 
 シュガーは自分の両親を殺そうとしていた。
 
 それが信じられず、身体が震えだした。意識が朦朧とし、立っているのかすらわからなくなった。その中でシュガーの怒号だけはハッキリと聞こえていた。
 
 
 原宿でのテロの翌日。ブラックは一睡もすることが出来ず、ベッドの上で膝を抱えたまま朝日を迎えた。目の下に隈をこしらえ、目は死んだ魚のように濁っていた。
 
 昨日、なおも暴れるシュガーを鎮静剤で落ち着かせ、今は地下一階の懲罰室にて謹慎中だ。
 
 「ブラック、入るぞ」
 
 部屋の前で声がしたと思うと返事を待たずに扉が開き、ミルクが入ってきた。
 
 「……レディの部屋よ」
 
 「それはすまなかった。とりあえず、報告がある」
 
 「聞きたくないわ」
 
 「……我儘を言うな」
  
 そう言いながらもミルクはそれ以上口を開こうとせず、ブラックが聞く気になるのをじっと待っていてくれた。優しさであると同時に有無をいわせない厳しさを帯びた態度で、数分してブラックはミルクに向き返る。
 
 「昨日の二人組。名前は佐藤時也と雅恵。シュガーの両親だ」
 
 「どうしてシュガーの両親がこんなことを?」
 
 「復讐、だそうだ。シュガーがテロに巻き込まれ、フォースに目覚めた際、政府は二人から親権を剥奪した。その原因を作ったテロリストを貶めるために近づき、仲間になって情報を漏らしていたそうだ。過去に何回かあったテロの密告のほとんどが二人によるものらしい」
 
 「それなら何故、シュガーは二人を殺そうと? 二人の愛情はシュガーに届かなかったの!?」
 
 悲鳴と変わらない叫び。シュガーのために我が身を危険に晒すような両親を何故シュガーはあそこまで憎んでいたのか。それが不思議でならなかった。
 
 「シュガーに口止めされているが、仕方ない。あいつは昔、両親に酷い虐待を受けていた」
 
 「……え?」
 
 言葉の意味が理解出来なかった。
 
 虐待――その言葉が頭の中で木霊するも心がそれを理解するのを拒否した。しかしミルクは言葉を続ける。
 
 「知っているのは俺と楓子、副長、聖だけだ。暴力のない日はなかったそうだ。ギャンブルに負けた腹いせに、酒が切れた腹いせに、少し気に入らないニュースを観た腹いせに。理由なんてどうでも良かったんだろう、シュガーはストレスの捌け口として扱われてきた」
  
 「そんな、嘘よ」
 
 豪快で強い心を持つシュガーが両親に虐待されていた。詳細を話されてもその事実が信じられなかった。
 
 何より、子供に暴力を振るう親の姿が想像出来なかった。
 
 親とは子にとって太陽のような存在だとブラックはずっと思っていた。優して強くて暖かくて、時に厳しいけどとびっきりの笑顔をむけてくれる存在、それが親じゃないのか。
 
 「シュガーを散々虐待した両親がなぜ復讐をしたのかはわからない。本人達もその部分は口をつぐんでいる。聖が拘置所に出向いて尋問しているが時間が掛かるそうだ」
 
 「……私に尋問させて下さい」
 
 「駄目だ」
 
 突拍子のない願い出をミルクは切り捨て、背をむける。
 
 「今は休め」
 
 「シュガーに会わせて」
 
 「……休め、命令だ」
 
 一瞬だけ悲痛そうな表情を浮かべ、ミルクは部屋を出た。
 
 一人取り残されたブラックは膝を抱えたまま、サテライトアイでシュガーの姿を視た。懲罰室に入れられた当初は暴れ回り、散々喚き散らしていたが今は床にぐったりと横たわっている。
 
 懲罰室の前には如月が立っていた。今にも泣き出しそうな沈痛の表情で格子窓越しにシュガーを見つめていた。
 
 二人の姿を視るのは辛かった。でも、視ることがブラックの役目だった。全てを見つめると決めたから――どんな悲しい現実からも目を背けないと。
 
 ブラックは立ち上がり、覚束無い足取りで懲罰室へとむかう。普段なら数分とかからない距離を十分以上かけて移動し、如月の隣に立った。
 
 かつてシュガーが脳を酷使し、昏睡状態に陥った時と似た状況なのに何もかもが違った。
 
 シュガーは寝ているのか呼吸に合わせ、かすかに身体が上下するだけでそれ以外の動きはない。考えることも感じることも放棄しているのだ。
 
 ブラックも如月も言葉を一切出さず、ただシュガーを見守り、何気なくいつもの豪快な笑顔をむけてくれるのではないかと淡い期待を抱いていた。
 
 ただ時間が過ぎていった。ブラックが懲罰室の前に来て二時間が経過しただろうか。二人の背後に人の気配。
 
 「シュガー、聞こえるかしら?」
 
 楓子の凛とした声が狭い空間に響いた。ピクリとシュガーが反応し、顔を楓子にむけた。
 
 憔悴し切った表情だったが目には殺意と憎悪を宿し、今からでも両親を殺しに行く勢いだ。
 
 「貴方をそこから出すわ。もう、拘置しておく必要がなくなったから」
 
 ブラックはシュガーが落ち着きを取り戻したと判断されたのかと思った。だが、次に聞こえた言葉は死刑宣告に等しい衝撃だった。
 
 「貴方の両親が自殺したわ」
 
  
 両手を手錠で拘束されたシュガーはブラックと如月、楓子に付き添われ拘置場の死体安置所を訪れていた。
 
 目の前に、遺体となった両親が横たわり、安らかな顔をしていた。
 
 シュガーの心は落ち着いていた。
 
 むしろブラックの方が取り乱していた。自殺の報告を受けた際、楓子に掴み掛かり、支離滅裂なことを口にし、精神安定剤まで打たれた。今は如月に支えられ、シュガーの後ろ姿をじっとみつめる。
 
 「……もう、いい」
 
 別れなど必要ないといわんばかりの冷たい声で言い放ち、シュガーは両親に背を向けた。
 
 ブラック達と目を合わせようとせず、先に死体安置所を出た。
 
 シュガーはロビーでようやく手錠を外され、自由の身となる。あれほど苛烈に猛っていた殺意と憎悪は瞳から失せ、生気のない虚ろな瞳が宙を泳いでいた。
 
 「シュガー、貴方に渡す物が」
 
 シュガーの前に立った楓子が懐から封筒を取り出し、シュガーに差し出した。
 
 「ご両親からのお手紙よ」
 
 無意識に封筒を受け取ったシュガーは封を破り、中の手紙を開いた。
  
 
巴へ
 
貴方が生きていてくれてとても嬉しかったです。
 
貴方がテロに巻き込まれたのは私達の責任よね、私達を恨んでいますよね。
 
一言だけ、謝らせて下さい、ごめんなさい。
 
貴方を身籠った時、私達はまだ若くて、産まれてきた貴方にどう接していいかわからず、暴力に逃げてしまいました。
 
どう愛していいか、わかりませんでした。
 
貴方を失った時、初めてきづきました、貴方の大切さを。
 
許してくれとは言いません、でもこれだけは言わせて下さい。
 
巴、貴方を愛しています。
 
私達は罪を償います。
 
貴方は生きて下さい、強く、強く。
 
母より
 
 
 ざわっ――風が生まれた。冷たい殺意を帯びた風だ。
 
 手紙を持つシュガーの手が怒りに震えていた。目に生気が宿り、憎悪に満ち溢れていた。
 
 「ふざけんな……」
 
 ごうっ――暴風が生まれた。シュガーの髪の毛を掻き乱し、楓子さえ思わず引くほどの暴風だ。
 
 「愛していただと? 暴力は愛し方がわからなかったから? ふざけんな!! 言い訳ばかり並べて、死ぬ直前までてめぇのことしか考えてねぇじゃねぇか!!」
 
 風の刃が手紙を切り裂いた。それでも怒りは収まらない。
 
 「私がどれだけ苦しんだか理解出来んのか!! どれだけ努力したのか理解出来るのか!! それを愛し方が分からなかったで片付けるのか!! 舐めんのも大概にしろ!!」
 
 「もうやめて、シュガー」
 
 ブラックがシュガーの前に立った。
 
 「ご両親は、貴方を愛していたのよ。理解してあげて」
 
 「黙れ。お前に何が分かる? クソみたいに幸せな家庭で育ったお前に私の気持ちが理解できる訳ない。軽々しく口を挟むな」
 
 「悲しくないの? もうご両親はいないのよ。会いたくても二度と会えないの」
 
 ブラックに虐待の辛さは確かに理解出来なかった。いけないことをした時、厳しく怒られたことはあったが、暴力を振るわれた経験は一度もなかった。でも、両親を失った悲しみは誰より理解している。目の前で失ったのだから。
  
 「悲しい? そんな気持ち欠片もないね。むしろ死んでくれて気持ちが晴れやかになったぜ」
 
 ニヤリと凶悪な笑みが浮かんだ。ブラックは初めてその笑顔に嫌悪感を抱いた。両親の死を笑うシュガーに怒りが湧いた。
 
 「あんなクズ野郎共、死んで当然だ」
 
 「やめて、シュガー」
 
 シュガーの口からそんな汚い言葉聞きたくない。
 
 「あいつらは地獄で永遠に苦しめばいいんだ」
 
 やめて。
 
 「唯一残念なのは私の手で殺せなかったことさ」
 
 パシンッ!!
 
 平手の音がロビーに響き、沈黙が響いた。
 
 目尻に涙を浮かべたブラックがシュガーを叩き、それでも納まらない怒りを瞳に湛えていた。
 
 「なにすんだよ」
 
 「謝りなさい、ご両親に」
 
 「いい加減にしやがれ、お前には関係ない」
 
 なおも冷たくあしらうシュガーに対し、ブラックは怒りを爆発させた。
 
 「貴方こそいい加減にしなさい!! 死者を冒涜して何が得られるの!? 子供みたいな言い訳ばかり口にしてるんじゃないわよ!!」
 
 「……黙れ」
 
 「いいえ、黙らないわ。貴女は幼稚だわ。確かにご両親の虐待は許されるものではないけど、二人も苦しんでいたのよ。どうして理解出来ないの!?」
 
 ブラックの勢いに気圧されたのか、シュガーは遂に口を閉じる。だがブラックは止まらない。
 
 「両親がどれほど大切な存在か、貴方は知らないのよ。失えば二度と戻らない……なのに貴方は!!」
 
 「お前に何がわかる!!」
 
 再びシュガーが吠えた。その表情は悲しみに支配され、瞳は涙で潤んでいた。
 
 「何がわかるんだよ、お前に。親に愛されて育ったお前に。わかるか? 親に愛されない苦しみが」
 
 震えた声で絞り出した言葉に怒りや憎悪は一切含まれず、虚しさと悲しみだけが籠もっていた。
 
 「理解出来るか? 親を……親を、愛せない苦しみが!!」
 
 ブラックの表情が凍りつき、そして悟った。
 
 虐待を受けても、シュガーは親を愛そうとしたのだ。どれだけ嫌われてもいい、それでも自分は親を愛していようと。
 
 だがシュガーは幼心でそれすら不可能だと悟り、親との決別を選び、友を頼った。それがどれだけ痛みを伴う選択だったか、ブラックには到底理解出来ない痛みだった。
 
 シュガーは泣くのを堪え、一人拘置場の外へと駆け出した。
 
 「シュガー!!」
 
 追おうとする如月を楓子が止める。
 
 「今は、一人にしといてあげて」
 
 残された三人は、初めてシュガーの心の闇に触れた。それはどうしようもなく深く暗いもので簡単に癒える傷ではないことを理解した。
 
 「私……最低だ」
 
 大粒の涙を流し、ブラックが嗚咽も漏らした。シュガーのことを全く理解していなかった自分がどうしようもなく憎かった。理解した気でいて、深く傷つけた自分が許せなかった。幼稚なのは自分の方だときづき、情けなくなった。
 
 「ごめんなさい、シュガー」
 
 
 拘置場を跳び出したシュガーは走った先にあった公園で沈む夕日を眺めていた。
 
 火をつけない煙草をくわえ、ブラックの言葉を思い返す。
 
 「くそっ、何も知らないくせに」
 
 震えた声で漏らし、遂に涙が頬を伝った。
 
 両親と再会した時、怒りより先に嬉しさが込み上げた。
  
 両親が自殺したと知った時、怒りや憎しみより、悲しみが心を支配した。
 
 わかっていた。それだけ憎もうが、親は世界に二人しかいない。一度失えば、もう手は届かなくなる。
 
 素直になれなかった自分。両親が残してくれた手紙はもう、ない。それが急に心細くなった。
 
 「お父さん、お母さん」
 
 夕日が沈みかけた世界で、シュガーは独り、声を殺して泣いた。
 
 
 
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