六話 私の足

 

「人、多過ぎだろ」

 

呆れたシュガーの声は雑踏に飲まれ、消えた。

 

成田空港爆破襲撃テロから二日後の反テロリズム世界機構世界会議開催日当日。

 

会議が行われる国際ビルには数千に及ぶ兵士が配備され、守りは堅牢にして完璧といえる布陣だ。

 

各国首脳や国連議長までも出席する会議のため、警備の規模はシュガーが経験してきた中で間違いなく最大。

 

「これじゃ、テロリストも手を出さないだろ」

 

紫煙を吐き出し、ケタケタと笑うシュガーの横でブラックが否定するように首を横に振るう。

 

「彼らにとって成功や失敗はどうでもいいのよ。テロを行った、その結果が欲しいのよ」

 

「んーー? 最期に勇敢な者である証でも欲しいのか?」

 

「中にはそういう馬鹿もいそうだけど、反テロは世界の世論。それに反発する者もいる事実が欲しいの」

 

冷戦終結後、共産主義という巨大な敵を失った世界は二十一世紀に入り、テロリストという新たな敵を得た。

 

テロが増えれば増えるほどに人々はそれに反発し、世界世論は反テロ一色に染まっているが、それは超大国アメリカがテロを理由に様々な紛争に介入する正当性を産む結果にもなっている。

 

世界の警察を自認するアメリカは中東やアフリカの紛争に介入を続け、その土地の資源を食らい、更なる紛争を呼ぶ原因を自ら作り出し、それを武力で抑えつける。

 

アメリカの行いはテロリスト達と大差のない横暴な行為だ。

 

世界世論を反テロではなく、反米へ。テロリストの中にはそれを掲げる支援組織も存在し、構成員は人種の壁を越え、多数の民族が所属している。

 

ブラックの解説をシュガーは理解しているのかしないのか、ただ相槌を適当に打つ。

 

「じゃあ、今回のテロはその反米の支援組織よる犯行なのか?」

 

「いえ、今回も相手はキュクロプスの電霆よ」

 

「あいつらは白人至上主義を掲げているはずだろ。この会議には多くの白人が参加している」

 

「同時に多くの有色人も参加している。そこに白人以外がいる限り、彼らはテロを止めないわ」

 

「……本当、面倒くさい奴らだな」

 

ため息と紫煙を吐いたシュガーにブラックが今更きづいたことを言った。

 

「シュガー、貴方未成年でしょ」

 

「心は成人している。ってか、おせぇよ、それ」

 

漣とのシガーキス後、シュガーは煙草を吸うようになり、ブラックもその姿を目撃しているはずだ。

 

「なんだか、煙草くわえているのが当たり前だったから気にもとめなかったわ。どういう心境の変化なの?」

 

「……子供のままじゃいられないことにきづいたのさ」

 

自分のことをずっと見守っていてくれた漣に対し、シュガーは感謝と共に今まで以上に強い憧れを抱いた。

 

前線からは半歩引いている漣だが、シュガーが理想とする強さ全てを兼ね備えた人物で、近づきたいと強く思った。

 

煙草を吸い始めたのは、子供でいたい自分とけじめを着けるため。

 

戦うと決めた時から子供でいられるはずなどなかった。だがシュガーは逃げていた、甘えていた。

 

その甘えを自ら立ち切った。子供ではなく、大人として一人の戦士として戦場に立つ、そう心に決めた。

 

「でも煙草は成人してからよ。ニコチンは成長に毒よ」

 

いつになく大人びたシュガーの横顔を見ながらブラックは漏らした。

 

「大丈夫、もう十分成長した」

 

ニッと笑うシュガーにブラックは何のことを言っているかすぐには理解出来ず、ふと理解した瞬間、鬼の形相でシュガーを睨んだ。

 

「私への嫌味かしら?」

 

「ん? 身長は対して変わらないだろ。少し私の方が大きいが」

 

「身長……?」

 

「他に何があるんだ?」

 

ブラックはシュガーが胸の大きさの嫌味を言ったと思ったが実際は違い、シュガーは不思議そうに首を傾げる。

 

胸のことは一切気にしないシュガーだがその自然体が妬ましかった。

 

「もう、私だけが馬鹿みたいじゃない」

 

ため息を漏らしたブラックは意識を別の所へ持っていくためにサテライトアイで会議出席者がいる上階の個室を視た。

 

談笑する各国首脳や宗教関係者。その中には日本の内閣総理大臣も混ざり、英語を駆使して談笑に加わり、時に大袈裟に笑ってみせた。

 

ブラックのフォースでは声までは聞き取ることは出来ず、話の内容は分からないが、様子から察するに他愛もない雑談なのだろう。

 

国のトップや世界的な組織の代表同士がテロの予告されたビルで雑談とはそれほどまでに集まった警備部隊を信頼してのことか。或いは、不安を紛らわすために雑談で笑っているのか。

 

ブラックは不思議な親近感を彼らに感じ、笑みを溢した。視線を外し、改めて世界各国から集められた軍人の群れを視た。

 

国際ビル近辺な交通規制が張られ、国際ビル内各階には数十人が配置され、周囲にも数百人の兵士が配置され、巡回している。

 

空にはアメリカの軍用ヘリが飛び、地上にはミサイル迎撃システムまで配置されている。

 

隙を探す方が難しそうな大軍を前にブラックは感嘆のため息を漏らした。

 

SMBが配置されたのはビル一階のエントランス。

 

αチームに加え、紅咲達βチームが並んだその姿は威風堂々としていた。

 

「今日は本当に何事もなく終わるかもしれないわ」

 

願望に似た呟きを漏らし、それが夢想であることを心の片隅で理解し、シュメルツを強く握った。

 

会議開催まで残り二時間。会議は三時間。合計五時間の間が最も警戒すべき時間帯。

 

殺気を帯びた空気がピリピリと肌を刺激し、自然と緊張感が保たれる。

 

シュガーも珍しく怠惰的ではなく、その表情に緊張と好戦的な色を帯びていた。

 

 

同刻――会議が行われる国際ビルから北に数キロ離れた街の中を、一人の白人男性と、混血の若い男が歩いていた。

 

「もうすぐ、彼女達と戦えるんだね」

 

若い男が興奮を抑え切れない様子で言った。

 

「そうだ、ロキ。お前の力を存分に発揮できる時が来た」

 

ロキと呼ばれた男は満面の笑みを男にむけ、紅い双眸を輝かせた。

 

「だがまずは雑魚の掃討を優先しろ。あの数では流石に手が出せん」

 

「分かったよ、ジョセフ。僕に任せてよ」

 

ロキはジョセフの肩を叩くと彼を置いて、一人雑踏の中に消えた。

 

ロキの背中を見送ったジョセフは携帯を取り出し、九桁の番号を押す。

 

「私だ、ロキが出た。すぐに襲撃出来る準備をしておけ。おそらく四神殿も出てくる。奴らを利用し、戦況を有利へと導け。白人でも容赦はするな。皆殺しだ」

 

ジョセフの言葉も表情にも一切感情が籠もらず、淡々と部下に指示し、自身は雑踏の中へと消えていった。

 

ジョセフとは反対方向、国際ビルがある方角へ向かうロキは興奮が抑えきれずに笑っていた。彼とすれ違う人は慄いたように道を譲り、避けていく。

 

ロキは気にした様子もなく、陽気な足取りで道を進み、遠くに見える国際ビルを目指した。

 

十分ほど歩くと、交通規制が敷かれている端に辿りついた。

 

近辺には反テロを支持するプラカードを掲げた者や、ブラックが話したように反米を訴える者、様々な思想を持つ者で溢れていた。

 

ロキはそんな連中には目もくれず、雑踏の中を縫うように進み、小銃を構える自衛隊員の前に辿りつき、じっと見つめた。

 

ロキの視線にきづいた自衛隊員は一瞥するがすぐに視線を戻し、直立不動の態勢を保つ。

 

「ねぇ、おじさん。僕、国際ビルに用事があるんだ。通してくれないかな?」

 

とても流暢な日本語でロキは喋り、自衛隊員はもう一度視線を向け、首を横に振るう。

 

「駄目だ。今は反テロ世界機構の会議が行われ、此処より先は一般人立入禁止だ」

 

「僕一般人じゃないよ。テロリストだよ」

 

ケタケタと笑うロキに対し、自衛隊員は呆れたようにため息を漏らした。

 

「滅多なことを言うんじゃない。親御さんとはぐれたのか? 名前は?」

 

子供に対して言うであろう言葉にロキの表情から笑みが消えた。

 

「僕、こう見えても二十三歳なんだ」

 

怒気の籠もった声に自衛隊員はたじろぎ、警戒心をあらわにする。

 

「そうそう、その顔だよ。良いね、好きだよそれ」

 

声を出して笑うロキに対し、自衛隊員は遂に銃口をむけた。

 

「貴様の言う通り、テロリストなら今すぐ逮捕する。違うならさっさとこの場から消え失せろ」

 

「駄目だな。テロリストを見つけたら即射殺でしょ、習わなかった?」

 

再び、ロキの顔から笑みが消えた。瞬間、自衛隊員の持っていた小銃が爆発した。

 

「え?」

 

指が粉々に吹き飛んだ自衛隊員はあまりにも唐突な出来事に現状が理解出来ず、素っ頓狂な声を漏らし、遅れてやってきた痛みに絶叫した。

 

どよめきが生まれ、異変を察知した他の自衛隊員が駆け寄ってくる。

 

「ごめんね、痛いね。すぐに楽にしてあげる」

 

ロキは懐からマグナムを取り出すと、安全装置を解除して撃った。

 

駆け寄ってきた自衛隊員もろとも、指を失った自衛隊員は頭部を撃ち抜かれ即死。現場を見ていた一般人が悲鳴を上げ、クライシスは瞬く間に伝染し、あれだけ多かった人が蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 

「さぁ、お祭りの始まりだ」

 

ロキが笑った。

 

 

最初の爆発は国際ビル内まで届いた。

 

「来たか」

 

ミルクが独白し、襲撃を楓子に報告。自身は階段を上がり、シュガー達と合流。

 

「よう、ミルク。来たみたいだぜ」

 

ニヤリと笑うシュガーの隣に立ち、ブラックが視ていることを確認し、言葉を待つ。

 

「北の方角で爆発が発生。敵の数は……一人です」

 

その言葉にシュガーもミルクも耳を疑った。

 

「……なんて言った?」

 

「敵は一人。私達と同じフォース覚醒者よ」

 

言葉に緊張が帯び、汗が頬を伝った。

 

「フォース覚醒者って、だからって単独では無謀すぎるぜ!!」

 

「彼なら可能だわ」

 

相手を知っているかのような口ぶりにシュガーは眉をひそめ詰め寄る。

 

「知り合いか?」

 

「えぇ。彼にはアジア支部会議の時に世話になったわ」

 

ブラックの視線の先で、放たれた銃弾が尽く軌道を逸らされいる。当たるはずがない、ブラックは心の中でそう漏らした。

 

相手は『力場』に干渉するフォース覚醒者。

 

銃弾の軌道を逸らすなど造作もないことで、その気になればミサイルすら防ぐだろう。

 

「ミルク。相手の能力は知れているわ。彼は『力場』に干渉する。銃は通用しないわ。すぐに他の部隊へ敵の能力の通達を」

 

ミルクは頷き、既に特権が発動されているマザーサーバーを介して自衛隊、警察、海外派兵部隊に連絡。

 

前線にもその情報は行き渡り、ロキを囲む兵士達は銃からナイフへと武器を変えた。

 

「そう、僕の能力を知っている人がいるんだ」

 

大層嬉しそうに笑うロキへ複数の兵士が迫り、じりじりと距離を詰めていく。

 

「でもね、その程度じゃ僕は殺せないよ。僕の武器はそこら中にあるんだ」

 

と、誰も乗っていない装甲車のエンジンがかかり、一人の兵士を背後から轢き飛ばし、ロキの前で急停車した。

 

「最近の車はほとんどが機械で制御されている。僕にとっては好都合だ」

 

ロキは自身の能力を使って、車の制御を掌握し、いとも容易く手中に納めた。

 

「ほらほら、早く僕を殺さないと」

 

周辺にある装甲車が次々に操られ、ロキの意のままに操られる。

 

殺人マシーンと化した車輌が兵士に襲いかかり、戦場は地獄絵図と化す。

 

「ほらほら、もっと抵抗してみてよ」

 

高らかに笑い、ロキは倒れてまだ息のある兵士の頭を撃ち抜き、恍惚とした表情を浮かべる。

 

車輌が暴れ回り、逃げ回る兵士を尻目にロキは悠々と前に進む。

 

と、ロキの足元で地面が爆ぜた。

 

「来たね」

 

笑みを浮かべるロキの視線の先、彼にははっきりと見えないが、シュメルツを構えたブラックの姿があった。

 

「一発で決める予定だったのに」

 

悔しそうに顔を歪め、もう一度引金を絞るが、銃弾はまた逸れた。

 

逸れた角度を計算し、ロキの頭部に命中するように弾道を算出し、引金を絞ったがロキは銃弾に干渉しなかった。ブラックの狙撃を把握している証拠であり、これ以上の狙撃は無駄と判断したブラックは早々にエントランスへと戻る。

 

「やはり一筋縄じゃいきそうにないわ。能力だけじゃなく、戦闘技術と経験も相当のものよ」

 

「どうする、私が出るか?」

 

「いや、今はまだ待機だ。敵も奴一人で兵士全員を殺そうとは思っていないだろう。入口は開けられた、まもなく敵の大軍が攻めてくるはずだ」

 

ミルクの予想は当たった。ロキの出現から二十分、ロキと同じ方角から敵の軍勢が現れた。

 

爆薬がたんまり詰まれた車輌が先陣を切り、ロキが空けた道を通って全速力で突進。迎撃虚しく、バリケードの一角に激突し、大爆発を起こす。混乱に乗じ、大量のテロリストと、トヨタマの装甲技術で作られた人型のパワードスーツがなだれ込む。

 

戦火は一気に拡大した。

 

「始まったか」

 

戦闘の気配を肌で、耳で、目で感じたミルクは独白し、号令を出す。

 

「αチームは俺と共に最前線に出る。βチームは此処で待機だ」

 

「待ってました!!」

 

シュガーの顔が凶悪な笑みに歪み、真っ先に走り出す。後を追うようにミルク、ブラック、残りのαチーム隊員が走り出し、エントランスを出る。

 

ビルの周りはパワードスーツと各隊から選りすぐりの精鋭で固められ、蟻一匹通れない厚さを誇っている。

 

「さぁ、行くぜ」

 

シュガーの両脚に風が生まれ、義足の出力を最大にして、跳んだ。

 

数十メートルを一瞬で跳躍、地面に着地。そこから全力で疾走し、真っ先に最前線に到着。

 

「さぁ、うずうずさせてくれ!!」

 

声高らかに吠え、テロリストに襲いかかる。

 

強烈な蹴りが次々にテロリストを吹き飛ばし、劣勢を優勢へと好転させる。遅れて到着したミルクが炎を走らせ、敵を焼く。

 

数百メートル後方に陣取ったブラックは立ち膝姿勢でシュメルツを構え、引金を絞る。

 

残りのαチーム隊員も散開し、その実力を十分に発揮する。

 

大軍を前にSMBの活躍で全部隊の士気は上昇し、正面は優勢となった。

 

シュガー達三人は側面に回り込んだ敵を追った。ビルの間を疾走し、ブラックの双眸が敵を追い、確実に探し当て、潰していく。

 

シュガーの隣をミルクが走り、少し離れてブラックが追う。

 

お互いの実力を十二分に引き出すための布陣。

 

現れた敵へ前方の二人が突撃し、後方のブラックが援護射撃を行い、サテライトアイで周辺の索敵。

 

歩兵は出会った瞬間に蹂躙していく。

 

新型のパワードスーツも対策を取れば強敵ではない。

 

シュガーが作った風の通り道を炎が這い、視界と機動性を奪ってブラックが剥き出しの兵器を無力化。最後にミルクが灼熱の拳の一撃で破壊する。

 

複数現れた場合はシュガーが暴風で攪乱し、一体ずつ確実に倒していく。

 

三人が集まれば一個大隊に匹敵すると言われるその実力を発揮し、絶妙なコンビネーションで三人は着実に敵兵力を削っていく。

 

だが全体の戦況は拮抗。物量で上回るテロリスト側がわずかに押しているが警備部隊も守りに徹し、善戦する。

 

その拮抗状態を少しでも優勢に傾けるべく、シュガー達は奔走するが敵の方がわずかに上手だった。

 

突如、鳴り響く悲鳴混じりの無線。

 

『国際ビル近辺のビルより伏兵が出現!! 複数の部隊が交戦を開始!!』

 

「伏兵だって!?」

 

シュガー達はすぐさま戦闘を放棄し国際ビルへと駆け出した。

 

「下水道ね。迂闊だったわ」

 

地上にばかり目がむき、ブラックは足元への注意を怠った。

 

ブラックがきづいていれば或いは強襲を未然に防げたかもしれない。

 

地下からの伏兵は先の軍勢と比肩する兵力で複数のビルから現れ、牙を剥く。

 

「ったく、次から次へと!!」

 

悪態を漏らし、現場に到着したシュガーは殺傷能力を持った風をビルから躍り出るテロリストの一角に走らせる。

 

肉を裂き、血飛沫が舞い、その間をシュガーは駆け抜け、次の獲物へと飛びかかる。

 

伏兵を受け、警備部隊は一気に劣勢へ傾き、それに拍車をかけることが更に起こった。

 

『南より、新たな敵影!!』

 

「まだ来るの!?」

 

ブラックが悲鳴に近い絶叫を上げ、南側からの敵影を視る。

 

「中国人? 四神殿!?」

 

新たに現れた敵はキュクロプスの電霆と同じく支援組織最大大手の一角を成す、四神殿。

 

中国人や朝鮮人を中心に組織され、日本でのテロ活動が最も多い組織。

 

『βチーム!! 南に展開し、四神殿のテロリストを迎え撃て』

 

『了解した』

 

紅咲率いる機甲部隊がエントランスを出て、南下を開始。

 

『さぁ、αチームに負けていられん。我々も存分に蹴散らすぞ!!』

 

南の戦場に到着した紅咲は歩兵へと機関銃を掃射。

 

テロリストは肉塊と化し、紅咲達の攻撃はどんどん激しさを増していく。

 

人型パワードスーツも正面から撃破していくが突然、閃光が走り仲間の毘沙門天が腕を破壊された。

 

「なんだ!?」

 

正体不明の攻撃に緊張感が走り、物陰に隠れ、攻撃の正体を探る。

 

「あれは、四足歩行型のパワードスーツか?」

 

中国神話に登場する生物、麒麟の姿に似たパワードスーツの群れが軽快に跳躍しながら戦場を駆け、紅咲達に接近してくる。

 

機動性を重視したそれは人型と亀型を圧倒する速力を発揮する半面、攻撃力に欠点があるが、その背中に見慣れぬ長細い筒状の兵器が搭載されていた。

 

「今さっきの攻撃の正体はアレか?」

 

紅咲の疑問に応えるように、一体が立ち止まり、筒状の兵器が銃弾を発射した。

 

銃弾は車輌を貫通し、爆発炎上。

 

毘沙門天のレーダーですら捉え切れなかった弾速に紅咲がその正体を察知する。

 

「レールガンか。日本でもヘリや戦車に搭載されているが、まさかあそこまで小型化させるとは。神話の麒麟も雷に似た力を持つと言うが、あのパワードスーツはまさしく麒麟そのものか。お前ら、今から一切止まるな!! あれに狙われたら回避は不可能だ。動いて少しでも捕捉されないようにしろ!!」

 

物陰から飛び出し、麒麟へ機関銃を掃射。

 

その機動性を活かして掃射を回避し、紅咲にレールガンの銃口がむけられる。速度を上げ、一瞬前に発射された銃弾をギリギリ回避し、背後に回り込み、機関銃の掃射と榴弾による攻撃の手を止めない。

 

『旦那、聞こえますか? βチームは四神殿の新型パワードスーツと交戦中。小型のレールガンを搭載した四足歩行型です』

 

『トヨタマの装甲に続き、小型レールガンまで。あちらも本気ってわけか』

 

『そのようです。こちらは必ず死守します。そっちは任せましたぜ、旦那』

 

『死ぬなよ』

 

『了解』

 

紅咲の目に気迫が籠もり、意識を敵へと集中する。

 

四足歩行型は機動力に加え、複雑な地形も突破出来る高度な平衡感覚システムを搭載し、車輌やバリケードで道が分断されていても跳躍し、車輌の上も難なく移動する。

 

そこが長所であり、弱点だ。

 

紅咲は一体の麒麟に機関銃を掃射し、バリケードの方へ誘導する。

 

紅咲の予想通り、麒麟は跳躍でバリケードの突破を試みた。すかさず肩部に搭載されたグレネードを発射。

 

空中で回避行動を行えない麒麟の胴体に直撃し、爆発した。そこへ追撃の掃射を行い、一体目の麒麟が完全に沈黙。

 

『残り十体だ。お前ら、遅れるなよ!!』

 

βチームが奮闘する中、シュガー達は国際ビル周辺で伏兵相手に激戦を繰り広げていた。

 

下水のように溢れ出る伏兵を薙ぎ倒し、ビルに接近する敵から優先的に排除し、大混戦となった戦場を駆ける。

 

「おらぁ!!」

 

気迫の声と共に敵を数人吹き飛ばし、止まることなく戦場を駆けるシュガーだが、ふと違和感を覚えた。

 

敵の車輌がバリケードを突破して以来、例のフォース覚醒者に動きがない。

 

ブラックが姿を探したが視認領域外に出たのか見当たらない。

 

『何か、企んでいると思うか?』

 

『どうかしら? でも国際ビルには私がいる限り、近づけば見つかる。その時は返り討ちにすればいいだけだわ』

 

狙撃を防がれたのが相当悔しかったのか、ブラックの言葉に熱が帯びていた。

 

『気合入ってんな、私も負けてられないぜ』

 

迫る銃弾を風の防壁で突破し、必殺の足技で敵を沈めていくシュガー。その近くでミルクは炎を走らせ、敵を焼く。

 

破竹の勢いで戦況は逆転し、テロリストはビルを出る前に倒れていく。

 

ビルの中から狙撃する敵はブラックと彼女がもたらした位置情報を得た狙撃手に撃ち抜かれ、沈黙していく。

 

国際ビル近辺の戦闘は徐々に沈静化していき、北側もテロリスト側が勢いを失いつつあった。

 

『こちら紅咲。南側は片付いた』

 

無線越しに紅咲がニヤリと笑い、βチームの隊員が勝利に沸いた。

 

各隊から届く勝利に報告に、生き残った兵士達が一斉に歓声を上げ、勝利を喜んだがシュガー達だけはわだかまりを残した表情を浮かべ、神妙な面持ちだった。

 

「また来るな」

 

シュガーが漏らし、ブラックもミルクも頷く。

 

「本部へ部隊の補充とバリケードの修復を進言してくる」

 

ミルクは一人ビルの中に戻り、シュガーは階段に腰を下ろし、煙草をくわえた。

 

「此処からが正念場だな」

 

今回の襲撃で、警備部隊の兵士の六分の一が死傷し、車両や迎撃兵器は二割の損害を負った。

 

テロリスト側の第一陣は役割を果たしたと言えた。

 

 

『何故、途中で撤退した』

 

戦場から数百メートル離れた小洒落たカフェにロキはいた。店内にロキ以外動いている人の姿はなく、床の上は紅く染まっている。

 

「彼女らの実力を近くで観察したくてさ。一回目も二回目も距離は遠かったから」

 

悪びれることなくケタケタ笑うロキに電話の相手、ジョセフはため息を漏らした。

 

『我々の駒も無限ではないんだぞ』

 

「時間さえあれば幾らでも増やせるでしょ? それに今回は後方にまだ同じ数の駒を用意しているってジョセフ言ったじゃないか」

 

『……次はないぞ』

 

恫喝とも取れるジョセフの低く、殺気立った声にロキは笑みを強める。

 

「大丈夫。次は本気で行くから」

 

ロキは電話を切り、テーブルの上に置かれたココアを飲み干すと、五百円硬貨を置いた。

 

「御馳走さま、美味しかったよ、此処のココア」

 

血塗れで倒れた従業員から返事が返ってくることはなかった。

 

 

世界会議は予定通り行われた。

 

議長が開催を宣言し、宗教に関するテロ法案改正の議論が開始される。

 

宗教テロの厳罰化や保険対象の拡張。国連や反テロ機構からの援助金拡大、誰かが主張すれば、誰かが反対し、論理的に主張すれば感情論で返され、進展のない議論が延々と繰り返される。

 

「年寄りは無駄なことが好きだよな」

 

車輌内で遅めの昼食を頬張り、会議の様子をモニターで観ながらシュガーが愚痴を漏らした。

 

議論される内容は各支部会議を賛成多数で通った法案で一カ月前には参加者全員に書類で通達済みであり、会議の場は通達された内容を様々な角度から吟味し、煮詰め、国際法化するかの最終決定の場であるはずだ。

 

そこに本来なら反論など生まれるはずはないのだが、そう上手く事が運ぶことは少ない。

 

「しかしテロがあった直後なのに、図太い神経してんな」

 

「国や組織のトップはそれくらいじゃないとやっていけないわ」

「トップにはトップの大変さがあるわけか」

 

シュガーは昼食を平らげ、煙草をくわえた。

 

宗教に関するテロ法案は賛成多数で可決し、次の議題へと移る。武器販売の規制に関する法案。一般市民が銃器の所持を許されている国に対する法案だ。

 

各国により多少違いはあるが、国や州によって違う銃器所持規定をクリアし許可を貰えば、成人なら銃器を買える。趣味や自衛のために売買されるのが主だが、三割弱の銃器はテロのために買われ、銃器販売に対する風当たりが強くなっている。

 

日本では未だに一般人が銃器を持つことは禁止され、銃犯罪の数も少ないが特にアメリカでは銃犯罪の増加が社会問題と化し、それがテロに繋がった例もある。

 

自由の国アメリカに置いて規制することは反発の対象で、この法案は一年に及ぶ議論がなされた。

 

所持規定の見直しや税金の値上げがなされ、製造される銃弾の威力も規制される形で法案は可決した。

 

全部で五つあった議題は当初の予定を大幅に越え、五時間に及ぶ会議の末、最後の法案が可決された。

 

既に陽は傾き始め、バリケードの修復と部隊の補充は完了していた。

 

先の失敗を防ぐために交通規制範囲を縮小し、国際ビルから半径一キロの範囲となった。

 

兵力も三割増しで増員され、迎撃の準備は万端。

 

陽が沈み、夜が訪れた国際ビル周辺はライトアップされ、なおも厳重態勢が敷かれる。

 

「シュガー、ブラック」

 

エントランスで待機していた二人にミルクから声が掛かった。

 

「どうしたんだ?」

 

「お偉いさん方がお呼びだ」

 

先の襲撃の功を賞され、三人は会議出席者の晩餐会に呼ばれた。

 

シュガーとブラックは階段で、ミルクは一足先にエレベータで晩餐会が行われている二十八階へと昇る。

 

「やぁ、牛嶋君。いや、今はミルク君かな」

 

「お久しぶりです、東屋首相」

 

エレベータを降りたミルクを向かえたのは現職の内閣総理大臣、東屋健志郎。

 

赴任して二年、国内のテロに関する法律の整備や犯罪抑止に尽力し、反テロ世界機構の一員として世界に名を知られる男だ。

 

「楓子君は元気かね?」

 

「はい。本日こちらに赴けず、申し訳ないと言っていました」

 

「私同様、忙しい身だ、仕方あるまい。彼女の祖父には生前から世話になった。私の唯一の恩師だ。いや、失敬。歳を取ると昔話ばかりでいけないな」

 

自嘲気味に笑う東屋に対し、ミルクはただ頭を下げる。

 

と、階段からシュガーとブラックを現れ、東屋と目が合う。

 

「なぁ、ブラック。あの人何処かで見た気がするんだが」

 

「この国の首相よ」

 

「……首相!?」

 

目を見開いて驚くシュガーを尻目にブラックは東屋の前に立ち、お辞儀をする。

 

「お初お目にかかります、東屋首相。この度は各国首脳が集まる特別な場にお呼び頂き、光栄に存じます」

 

「君はSMB所属のブラック君だね。楓子君から話を聞いているよ。そして、そちらのお嬢さんはシュガー君だね」

 

「え? あ、はいそうです。どうも初めまして」

 

目の前に自分の生まれ育った国のトップがいるとはとても信じ切れず、なんとも気の抜けた言葉で返し、ブラックから睨まれる。

 

だが東屋は全く気にした様子もなく、暖かな笑顔で頷いた。

 

「君達の活躍は報告で受けている。皆が礼を言いたいそうだ、入ってくれ」

 

笑顔のまま晩餐会会場に三人を招き、普段と変わらない表情のミルクとブラックに対し、状況についていけないシュガーだけは困ったように眉間に皺が寄っていた。

 

『皆さん、ご注目下さい。本日発生したテロに置いて比類なき活躍をみせた三人のフォース覚醒者をこの場にお招きしました』

 

流暢な英語で喋る東屋とその背後に立つ三人に視線が集中する。

 

「なんだって?」

 

「テロ鎮圧で活躍した私達を招いたと仰っているわ」

 

英語の理解出来ないシュガーの問いにブラックは内容を要約して翻訳する。

 

ぞろぞろと集まる各国首脳と組織の代表者達。

 

初めてフォース覚醒者を見る者もいるのだろう、むけられた物珍しげな目にシュガーは嫌悪感を抱いたが、表情に出さないように努め、引きつった笑顔を返した。

 

英語の喋れるブラックとミルクは会話に応じ、何かを話しているが、シュガーには一切理解出来ずに二人の周りだけに人が集まる。

 

「私だけ除け者扱いかよ。ん?」

 

不機嫌になるシュガーがため息を漏らし、背後に人の気配を感じて振り向くと肩幅の広い白人男性が立っていた。

 

身長も高く、顔を見上げる形になったシュガーは迫力に思わず半歩下がる。

 

男性は笑顔をシュガーにむけると前かがみになり、手を差し出した。

 

「ドウモ、初メマシテ。私ハ、国際連合、事務総長ノ、カール・バッハシュタインデス」

 

片言の日本語で自己紹介をしたこの男は百九十以上の国々が加盟する国際連合のトップたる人物だ。

 

東屋以上の衝撃を受け、しばし呆然。雲の上に立つような人物に握手を求められ、一瞬思考が停止したシュガーは慌てて差し出された手を握った。

 

「……SMB所属のシュガーです。その、初めまして」

 

ゆっくり、相手にしっかり伝わるよう喋った。

 

握った大きな手は自分の小さな手をしっかりと握り返してくれた。それがどうしようもなく嬉しかった。

 

「貴方ノ活躍ハ聞イテイマス。此処ニイル者ヲ代表シテ感謝シマス、ドウモアリガトウゴザイマス」

 

「いえ、私は自分の役目を果たしただけです」

 

「ソレデモ、貴方達ガイタカラ、我々ハ、コノ場所デ、大切ナコトヲ決メルコトガデキマシタ。ダカラ、アリガトウ」

 

カールの真っ直ぐな瞳がシュガーを見つめた。利己的な大人達の中でそれはなにより輝いたように感じ、この人のために戦ったと思うと、疲労が軽くなった。

 

「私達の任務はまだ終わっていません。貴方達を祖国に無事帰国させるまでが任務です。どうかその任務を果たさせて下さい」

 

「ハイ、ヨロシクオ願イシマス。勇敢ナ戦士ヨ」

 

この人は絶対に守る。今まで感じたことのない熱く強い使命感が胸に宿った。

 

「カール氏、シュガー君」

 

二人の元へ東屋がやってきた。握手する姿を見て、笑みを浮かべ、英語でカール氏を短い会話をし、二人がシュガーに向き返る。

 

「カール氏がベタ褒めだよ。驚いたな、これは」

 

声に出して笑う東屋と照れたように笑うカールを交互に見て首を傾げるシュガー。

 

二人が親しい仲なのは察したが、どうにも二人の笑顔の意図が掴めない。

 

「いや、失敬。カール氏はあまり人を褒めない人なんだ。トップに立つ者は部下に公平であるために対応も同じでないとならないって独特の持論を持っていてな。だが君達に関してはその空然たる能力は世界の希望だとすら言うもんだから笑いたくもなるさ」

 

「シュガーサンハ部下デハアリマセンカラネ。私ダッテ、人ヲ褒メルノガ嫌イナワケデハナインデスヨ」

 

「屁理屈を言うな、この野郎」

 

そう言って笑いあう二人にシュガーの表情にも自然と笑みが浮かんだ。この二人は良く笑う。それも子供のような屈託のない笑顔で。

 

それはシュガーが良く知る大人達の笑顔と似ていた。

 

とてつもなく遠い場所にいるはずの二人にシュガーは親近感を抱き、知りたくなった。二人のことを。

 

「お二人のお付き合いは長いんですか?」

 

「そうだな、かれこれ十年来の友人だ。私が在スイス大使をやっていた時に知り合い、良く酒を飲み交わした。今ではお互い偉くなり過ぎて中々逢えないのが辛いところだ」

 

「東屋サンハスゴクオ酒ヲ飲ムンデスヨ。昔ハ日本ノ梯子ト呼バレルオ店ヲ何件モ渡リ歩クノニ付キ合ワサレマシタ」

 

「酒飲みなのはお互い様だろ」

 

「東屋サンニハ負ケマスヨ。オ酒好キノ人ヲ、ウワバミト言ウノデスヨネ」

 

「また妙な日本語覚えおって。シュガー君、カール氏に間違った日本語を教えてやってくれ」

 

東屋に唆され、シュガーは意地悪なことを思いつく。

 

「カールさん。日本にはこんな諺があります、酒池肉林。東屋首相にぴったりの言葉です」

 

悪戯な笑みを浮かべたシュガーに対し、東屋は大笑いし、

 

「これは、一本取られたな」

 

「シュチニクリンデスカ。後デ調ベテミマショウ」

 

「意味は複数ありますが面白いほうの意味で受け取って下さい」

 

「分カリマシタ」

 

笑顔で頷き合う二人の肩に手を置き、なおも笑う東屋は楽しそうに漏らした。

 

「いやはや、さすが楓子君の部下だ。将来がとても楽しみだ」

 

「ハイ、シュガーサンナラ、素晴ラシイ女性ニナルデショウ」

 

カールの大きな手が期待を込めて、シュガーの肩に置かれた。ずっしりと確かな重みを身体で心でも感じた。

 

世界を代表するメンバーの二人に期待され、緊張しないはずがなかった。

 

心臓が高鳴り、手には汗が滲むが、嫌な気持ちには全くならなかった。

 

二人の期待に応えたい――強く鮮明な意志がシュガーの胸に生まれた。

 

「未熟な身ですが、お二人の期待に応えられるよう、頑張ります」

 

強張った顔で、力強い声で、シュガーは言った。

 

二人は嬉しそうに頷き、その表情がまた心に沁みた。

 

シュガーはふと、察す。その笑顔の裏にある途方もない苦しみを。

 

「もし、よかったら教えて下さい。お二人は、何故戦っているのですか?」

 

シュガーとはまた違う戦場で、二人は戦っている。

 

暴力ではどうにもならない、言葉と論理でしか勝利を掴み取れない戦い。背中には何億もの命や想いを背負い、その重みに耐えながらも、同じものを背負う他人を殺し、苦しみを乗り越えなければ前には進めない。

 

心を引き裂くような痛みと向き合い、戦い続けるのは何故なのか。

 

先に答えたのは東屋だった。

 

「恥ずかしい話だが、政治家には金が欲しくてなったんだ。実家は裕福とはいえず、苦労をかけた親に楽をさせたやりたい一心でな。公務員を経て政治家になり、最初に私がやったことは名も知らない多くの国民を殺したことだ」

 

「え?」

 

東屋の口から出た言葉が信じられなかった。

 

だが確かに、東屋は言った。人を殺したと。顔からは笑みが消え、粛々と罪を懺悔する僧侶の顔つきになっていた。

 

「私が政治家になった当時、日本はバブルが崩壊し、失業者が街に溢れ返っていた。私達政治家の前に用意された無数の選択肢に正解はなかった。ただ、最も損害の少ない選択肢を選ぶしかなかった。左も右も分からない政界で私はただ我武者羅に戦った。だがある時、一本の連絡で自分の無力さを知った。バブル崩壊で経営する会社が倒産した古い知人が自殺したんだ。聞いた時は頭が真っ白になり、幽霊のような顔で葬式に参列した。数日して悟った。私が殺したのだと。政治家が多くの国民を死に追いやった。金のために政治家になったことが恥ずかしく思えた。辞めようと考えた時期もあった。だがそれは現実から目を背けるばかりか、殺した者達の死からも目を背ける行為だった。私は自殺した知人の墓前で誓った。国民を殺す政治家ではなく、生かすことの出来る政治家になると」

 

シュガーは息を飲んだ。東屋の背負っている重みに耐え切れず、吐き気を覚えた。

 

国のトップとして、国民一億人全ての命を背負い、戦っている。

 

近くに思えた東屋が急に遠い存在になり、自分がちっぽけな存在に思えた。

 

話を終えた東屋は吐息を漏らし、肩をすくめる。

 

「シュガー君、私はちっぽけな男さ」

 

「いえ、そんなことは。私には億もの命を背負う勇気などとても」

 

そう、自分は逃げていた、命から。

 

既に数え切れないほどのテロリストを葬ったが、彼らの命を奪ったことに痛みを感じたことは一度もない。

 

テロリストは世界にとって悪となる存在。そいつらの命に価値などない。

 

そう思って逃げていた、命の重さから。それを意識した瞬間、心が悲鳴を上げた。表情が強張り、脂汗が浮かんだ。

 

「大丈夫デスカ?」

 

前かがみになるシュガーをカールが支えた。

 

「大丈夫です、申し訳ありません」

 

ぐっと、下唇を噛んだ。

 

ブラックはこの痛みとずっと向き合っていたのだと悟り、泣きたくなった。

 

しかし、泣いたところで前には進めない。いまこそ向き合う時だった。

 

シュガーは真っ直ぐに東屋を見つめた。懺悔する僧侶のような顔で。

 

「今からでも大丈夫でしょうか? 命と向き合うのは」

 

シュガーの想いを悟った東屋は力強く頷いた。

 

「遅くなんかないさ。シュガー君なら背負える。圧し潰されそうな時には、仲間がいる」

 

「仲間」

 

シュガーの脳裏に仲間の顔が浮かんだ。

 

ブラック、ミルク、紅咲、楓子、漣、如月、聖、等々力、αチームとβチームの隊員達、技術開発課や情報解析課の職員達。

 

共に歩み、共に痛みや喜びを分かち合う無二の仲間。

 

「仲間を信じてやりなさい。そうすれば仲間もシュガー君の想いに応えてくれる」

 

「……はい」

 

迷いのない瞳と言葉で頷いた。

 

東屋の顔に笑みが戻り、優しく頷き、シュガーの肩を優しく叩いた。

 

「カール氏、君の戦う理由も話してあげてくれ」

 

「私ノ理由ハ、東屋サンノ理由ニ比ベタラ、恥ズカシクテ、トテモ話セマセンヨ」

 

「抜かしおって」

 

早くしろと急かす東屋に負け、カールは話す。

 

カールは三歳から十歳まで親の都合でアメリカミシシッピ州に住んでいた。

 

ミシシッピ州は黒人が多く、その中で育ったカールにとって、肌の色が違うことに対する差別意識はなかった。

 

だが十一歳になってスイスに戻り、人種差別を目の当たりにした。

 

肌の色が違う、言葉が違う、それだけの理由で留学生だった黒人やアジア人が差別に遭い、耐え切れず自殺や帰国といった悲しい結末を迎えた。

 

可笑しそうに笑う同級生の中で一人、カールは憤りを覚え、差別を憎むようになった。

 

それからも多くの人種差別を経験し、二十五歳の時に政治家になることを決意し、差別撤廃のために戦ってきたと語った。

 

その道は険しい道のりだった。

 

差別をなくすことは簡単なことではない。ひとつの差別をなくそうとすれば別の差別が生まれる。

 

六十年代に人種差別撤廃条約が制定され、それまで差別を受けてきた人種の人間が、差別する側になる奇妙な現象が発生した。

 

アメリカの黒人街で白人が差別を受け、アジアでは同じ有色人同士が差別し合う。

 

八十年代に入って女子差別撤廃条約が制定された後は、女性による男性差別が増加した。

 

平等を優遇と思い込んだ者による新たな差別が生まれ、差別はなくなるどころかより強大で邪悪な存在へと進化した。

 

差別をなくすにはもっと根本的な部分を変える必要があった。

 

そもそも、何故差別が生まれるのか。

 

人は皆、性格も顔の形も声も思想も能力も、なにもかも違う。

 

差が出来てしまうのは当たり前のことであり、それを個性ではなく優劣で判断した時、差別が生まれる。

 

だが人は優劣を意識するからこそ、成長する。

 

差別をなくすために、人は更に成長しなければならない。だが成長するには優劣の意識が必要。それは差別をなくすために解決しなければならない矛盾。

 

カールはそのために多くの布石を用意してきた。

 

制定されてきた差別撤廃条約の改定や各国へ差別に対する教育や理解向上への働きかけ、世界中の都市での演説。全ては世界から差別をなくすために。

 

「結果ヲ残シタ東屋サント違イ、私ハマダ結果ヲ残セテイマセン」

 

そう締めくくり、カールの話は終わった。

 

「すごい。すごいです、本当に」

 

話を聞いたシュガーは興奮した声で漏らし、尊敬の眼差しで二人を見つめた。

 

今、自分の前にいる二人は偉人だ。東屋は一億の命を背負い、カールは差別という名の巨大な怪物を相手に戦い続けている。

 

「カール氏に比べたら私はまだまださ」

 

「ソレハ、私ノ台詞デスヨ」

 

数々の功績を残しても驕らず、謙遜し合う二人。お互いが相手を認め合っているからこそ、出来ることだ。

 

人種も言葉も違う二人がお互いを認め合い、高め合う。カールが理想とする光景が、ひとつ完成しているとシュガーは感じた。

 

 

晩餐会の席を後にし、顔が火照ったままなのを感じながらシュガーは階段を降りていた。

 

「やっぱ、トップに立つ人は凄いんだな」

 

「どうしたのよ、突然」

 

ブラックが訝しげな表情を浮かべ、シュガーの火照った顔を見て更に険しくなる。

 

「私、仲間以外で初めて人を尊敬した」

 

「カール・バッハシュタイン氏と東屋首相のことかしら? 確かにカール氏は国連発足後、最高の事務総長と呼ばれているわ。世界への貢献は計り知れないし、各国からの評価も高い。まぁ、前任が無能過ぎた所為もあるかもしれないけど。東屋首相もテロで疲弊した国民に対し、四十七都道府県百数十カ所を回って街頭演説や講演会を開いて類稀な行動力を示し、首相に赴任して二年が経つけど、いまだに高い支持率を維持する方よ。二人ともとても素晴らしい方だわ」

 

「俄然、やる気が湧いたよ」

 

ニッと笑うシュガーの笑顔には戦いの最中、恐怖をばら撒く凶悪さに加え、不思議と安心感を抱かせる暖かさがあった。ブラックも初めて見る笑顔だった。

 

シュガーを変えたのは他でもないカールと東屋の二人。彼らの人柄と強さに触れ、シュガーの心は震えた。

 

力を持たない二人が、暴力ではなく、心と言葉の力で世界を変えようとする強さ。

 

ほんの一時間ほど晩餐会の席にいただけなのに、シュガーは精神面で脅威的な成長をみせた。

 

それほどまでに二人との出会いは衝撃的だった。

 

「あの二人は絶対に守る。テロリストには指一本触れさせない」

 

「そのやる気が空回りしないことを祈るわ」

 

エントランスに戻り、警備を再開したシュガー達は何事もなく数時間を過ごした。

 

そして二度目の襲撃が発生した。遠方から響く爆発音と銃声。

 

緊張が走り、無線が行き交い、本能が猛る。

 

「北からキュクロプスの電霆勢力、南から四神殿勢力が接近。βチームは此処で待機、αチーム、出るぞ」

 

「了解!!」

 

シュガーが吠えて、先陣を切る。ライトに照らされた夜の街は昼間のように明るく、その中をシュガーが風を纏い、駆ける。

 

うずうずさせてくれ!!」

 

別の部隊の頭上を越え、最前線に降り立ったシュガーは銃口をむけたテロリストの胴を蹴り砕いた。

 

地面をバウンドして街路樹に激突し、絶命するテロリストをシュガーは真っ直ぐに見つめた。

 

自分が奪った命、その重み。

 

心が悲鳴を上げた。足が、全身が痛みに震えた。逃げ出したい弱さをそれよりも強い意志で抑え込む。

 

「背負ってやるさ。私が奪った命、その全部!!」

 

痛みに耐えるための咆哮。震えが納まり、凶暴な戦闘本能が剥き出しになる。

 

飛び交う銃弾の隙間を颯爽と走り、テロリストを葬り、その命を背負い、駆ける。

 

走るシュガーを狙う複数の影。手には無反動砲。

 

そこへブラックの正確無比の援護射撃。シュガーを狙うテロリストを全員沈める。

 

「六百六十三」

 

ブラックの口が今まで目の前で散ってきた命の数を数えた。

 

目の前で両親を失ったブラックは誰より命の大切さを知っている。だから、背負う。相手がテロリストでも。

 

サテライトアイを駆使し、仲間の死角にいるテロリストを撃ち倒し、足元に巨大な空薬莢が増えていく。

 

十五回目の引金を絞った瞬間、ライトの光を打ち消すほどの強い光が生まれた。ミルクの炎だ。

 

灼熱の炎がテロリストの隠れる車両ごと呑みこみ、焼きつく。

 

「ミルク!!」

 

シュガーの咆哮――合図。

 

ミルクは頷き、シュガーが作り出した風の通り道に炎を走らせる。

 

全長一〇〇メートルに及ぶ風の道を炎が瞬く間に侵食し、大蛇となってその圧倒的な攻撃力でテロリストを焼き払う。

 

「まだまだ!!」

 

 シュガーは走りながら複数の道を形成。炎が侵食し、その影からシュガーが飛び出て、逃げ伸びた敵を蹴り潰す。

 

 物量を実力で圧倒し、優位に立つ警備部隊だったが、背後の爆発がそれにブレーキをかける。

 

 国際ビルで爆発が発生した。

 

 「敵!?」

 

 ブラックの瞳は、ビル内に侵入する、今までそこに存在しなかったはず敵の姿をはっきりと捉えた。

 

 「どういうこと!?」

 

 困惑するブラックは突如発生した敵の中に紅い双眸の男――ロキを発見し、理解する。

 

 「……光の向きにすら干渉するの?」

 

 背中を恐怖が這いずり回った。テロリスト側に属するフォース覚醒者の桁違いの能力。銃弾の軌道を変えるなんて序の口。

 

 光の向きさえ変えるほどの力に戦慄し、怯える心を奮い立たせ、引金を絞った。

 

 空気を切り裂き、突き進む銃弾はロキの前でピタリと止まり、地面の上に落ちた。

 

 ロキがブラックの方へ向き返り、ニヤリと笑う。その姿が霞み、視界から消えた。

 

 『ミルク!! 敵側のフォース覚醒者が出現。彼は自分の能力で姿を消すわ。このままじゃ、会議参加者が危ない!!』

 

 『くそっ、戻るぞ!!』

 

 ミルク達は最前線から撤退。ビル周辺の小競り合いを横切り、エントランスから階段を駆け上る。

 

 「奴の姿は確認出来るか!?」

 

 「熱で位置を探しているけどまだ見つからないわ。大丈夫、必ず見つけ出す」

 

 宿泊施設のある階まで駆け上がった。その階を担当していた警備部隊の隊員に異常はなく、参加者達も全員無事だ。

 

 「隠れてないで出て来いよ!!」

 

 シュガーが見えないことへの恐怖と苛立ちから声を荒げたが、長い廊下に空しく響くだけだった。

 

 「ブラック、まだ見つからないのか?」

 

 「ビル内には警備部隊の兵士だけで数百人いるわ。そんな簡単に見つけられたら苦労はないわ」

 

 声に焦りが含まれ、ブラック自身、ロキを発見出来ないことに苛立ちを覚えていた。

 

 或いは、絶対の自信を持っていた自分の能力が通用しない相手への恐怖がブラックを追い詰めているのかもしれない。

 

 能力を最大限駆使し、脳内で鳴り響く擬似脳出力低下の警告音を無視し、探し続ける。

 

「いた!!」

 

「何処だ!?」

 

「十階の会議室内!!」

 

三人は階段を駆け降り、ロキの姿が確認された会議室へ急ぐ。

 

ブラックは到着までの間、姿を捕らえ続け、ロキはまるで三人を待っているかのように会議室から動こうとしなかった。

 

十階に到着するとその階の警備を担当していた兵士達の死体が無数に転がっていた。

 

味方の死に耐え、シュガーは会議室の扉を乱暴に開けた。

 

ロケット弾を打ち込まれた会議室の壁には大きな穴が空き、瓦礫が散乱し、夜風が吹きこんでいた。

 

その中にロキの姿はない。

 

「いるんだろ、姿を見せろ!!」

 

シュガーの怒号に、会議室の中心に置かれた演説台の上にロキの姿が浮かび上がった。

 

満面の笑みを浮かべて立つロキの姿は不気味だった。

 

「初めまして、僕はロキ。君達の、敵だ」

 

愉悦を含んだ声が室内に響き、シュガー達を前にして余裕の浮かぶ表情に三人は警戒心と恐怖を込めて睨みつけた。

 

「何故、会議参加者達をすぐに狙わなかった?」

 

ロキの不可解な行動にミルクが探りを入れる。

 

「安心して。このビル内にいるテロリストは僕だけだ。彼らを殺すのは容易いけど、簡単にゲームクリアしたらつまらないだろ?」

 

「ふざけやがって」

 

人の命をゴミ程度にしか思っていない冷酷さと自分の方が強いという意志が言葉の端々に込められ、ミルク達のプライドを刺激する。

 

「さぁ、楽しもうよ。フォース覚醒者同士の戦いだ。今日のメインイベントになるよ」

 

ニッコリ笑うロキにシュガーが飛びかかる。

風と義足の力を最大に発揮し、数十メートルあった距離を一瞬で詰めた。

 

激震。ビル全体が揺れるほどの衝撃が走った。演説台は床もろとも粉々に破壊されるがそこにロキの姿はなかった。

 

「逃げ足の速い野郎だ」

 

舌打ちをし、奥歯を噛み締めるシュガーの視線の先に悠々と立つロキの姿があった。

 

「近くで見ると改めてその凄さを感じるよ」

 

「褒めても、何も出ないぜ!!」

 

シュガーが再び突撃した。顎への蹴り上げは半歩引いて避けられ、流れるように振り下ろした踵落としも軽く避けられた。

 

攻撃が当たらないことに苛立ち、シュガーは冷静さを失い、フォースを使って無茶な攻撃を繰り返す。

 

右、下、上、下、左、右、上。繰り出した必殺の足技は全て避けられ、無茶を戒めるように脳内で擬似脳出力低下の警告音が鳴り響く。

 

「シュガー!!」

 

ミルクの咆哮。シュガーは、はっと冷静さを取り戻し、風の道をロキの周囲に形成し、後ろに跳ぶ。

 

ロキの周囲に炎が渦巻いた。触れる者全てを焼きつく灼熱の炎がロキの動きを止め、すかさず、ブラックが引金を絞り発射された銃弾が炎の壁を突き破りロキに迫った。銃声の余韻と炎が猛る音だけが室内に響く。

 

「凄い連携だ」

 

教え子を褒めるようにロキが言い放った。轟々と猛っていた炎は一瞬で消え、風も勢いを失い、消滅した。

 

「てめぇ、私の風を!!」

 

自らが生み出した風をロキに操られ、シュガーは怒りをあらわにする。

 

「風や炎は簡単に操れるんだ」

 

挑発するようにロキが笑い、シュガーが抑えきれずに暴風を纏って飛びかかる。

 

「言ったでしょ、簡単に操れるって」

 

ロキが手を軽く振るうと、シュガーが纏っていた風が急に乱れた。

 

シュガーはバランスを崩し、頭から机に突っ込んだ。

 

派手な音を立て、椅子と机を巻き込んで転倒したシュガーは額から血を流し、しばし呆然と天井を見上げ、更なる怒りが湧き上がり、鬼の形相で立ち上がる。

 

「やってくれるな」

 

「シュガー、一人で立ち向かうな。悔しいが、実力は奴の方が上だ」

 

シュガーの隣に立ち、ミルクが冷静に言った。

 

「そんなもん、重々承知さ。一人が駄目なら、三人だろ?」

 

怒りながらも冷静に状況を判断したシュガーの顔にいつもの凶悪な笑みが浮かんだ。

 

「そうだ。数の利を活かし、戦うんだ」

 

ミルクとシュガーがロキを左右から挟み込むように立ち、正面の離れた場所にブラックがシュメルツを構えて立った。

 

三人に囲まれてもなお、ロキは余裕を崩さず、現状を楽しむように不気味な笑みを浮かべた。

 

「さぁ、来なよ」

 

シュガーとミルクが同時に床を蹴り、ブラックが引金を絞った。

 

銃弾がロキの前で静止し、床の上に転がったが、続けてシュガーの攻撃。

 

足元への蹴りを横に跳んで回避したロキにミルクの拳が迫り、即座に次の攻撃に転じたシュガーの爪先が顔面に迫った。

 

ロキは身体を捻り、二人の攻撃を華麗に避けてみせた。

 

「くそ!!」

 

一歩踏み出せば届く距離にいるロキにシュガーは蹴りではなく、風を纏った拳で殴りかかる。

 

ロキは風を操り、シュガーの動きを乱すが、屈せず前へと足を踏み出した。

 

声に出さず叫ぶ――いくつもの修羅場や地獄を生き延びた私が、その程度の能力に屈するか!!

 

意地とプライドの宿った拳がロキの鳩尾にめり込む。笑みを浮かべたままだった表情がわずかに歪んだ。

 

だが、生身である腕の攻撃は非力で、ロキの動きを鈍らせるダメージは与えられなかった。ミルクの攻撃を避け、ロキは大きく、後ろに跳び退く。

 

「どうした? 顔が歪んでいるぜ」

 

ニヤリと笑うシュガーとは逆にロキは攻撃が当たったことが信じられないとでもいうように驚きに顔が歪み、殴られた箇所を押さえた。

 

「僕が、攻撃を受けた?」

 

掠れた声で漏らすロキは先程までとは打って変わって隙だらけだった。

 

それをミルクが見逃すはずはなかった。

 

灼熱の炎を拳に纏い、義手の出力を最大にして、殴りかかる。

 

「ふざけるな!!」

 

ロキが叫んだ。怒りに燃える紅い双眸がミルクを睨み、手を勢いよく振るった。拳の炎が拡散し、形を変え、ミルクに襲い掛かる。だが、止まらなかった。

 

右頬を焼かれながらも、ミルクの拳はロキの顎にクリーンヒット。脳を揺らし、意識がぐらついた所へ左手の拳が鳩尾を捉え、数メートル吹き飛んだ。

 

倒れたロキは動かない。最大出力の必殺のパンチを二発急所に食らっては身体能力の上がったフォース覚醒者でも無事では済まない。

 

だが、

 

「よくも殴ったな」

 

倒れたロキの口から怒気の籠もった声が漏れた。

 

ミルクの眉間に更に皺がより、シュガーもブラックも信じられない様子でロキを見た。

 

立ち上がったロキは平然としていた。

 

顎は脳震盪を起こしやすい部位であり、命に別状がなくとも、ミルクほどの強力なパンチを食らえば立つことが困難なダメージを受けるはずだ。

 

「もし、君の腕が機械じゃなかったら、僕の負けだったね」

 

怒りから一転、ロキの表情がニヤリと笑みに変化し、軽く腕を振るうとミルクが倒れた。

 

「がっ!? があああああああ!?」

 

ミルクの身体が海老反りになり、全身を駆け巡る痛みに痙攣し、大粒の汗が浮かんだ。

 

「ミルク!? 貴様、何をした!?」

 

声を荒げ、引金を絞ろうとしたブラックもミルクと同じように突然倒れ、悲鳴を上げる。

 

呆然とするシュガーにロキが笑いかける。

 

「次は君の番だ」

 

ロキの腕が振るわれた。

 

「っ!?」

 

足の感覚が喪失し、入れ替わるように激痛が全身を襲った。それは神経を抉られるようで、脳に直接響く痛みで抗いようのないものだった。

 

のたうち回る三人を前に、ロキは勝利を確信し、笑った。

 

「きっ、さま、いったい……なにを!?」

 

痛みに耐え、ミルクがロキを睨んだ。

 

「僕のフォースの名は『ストリーム』。あらゆるもの力場に干渉する能力。君は僕の能力にきづいたよね。本当、驚いたよ、逸らされた銃弾から答えに辿りつくなんて、その観察眼は称賛に値するよ」

 

倒れるブラックにロキは拍手を送った。

 

「僕の能力は強力な半面、制限も多い。生物に対しては効果ないし、消耗も激しい。でも、機械の手足の電流に干渉して流れを弄るのなら実に簡単さ」

 

如月が造り出した機械義肢は人口筋肉や皮膚を使い、人のそれとほとんど変わりない外見をしているが、神経回路と身体との接続部には超高度な精密機器が使われている。その部分の電流の向きを変えれば、回路はショートし、回路と直接繋がれた神経は著しいダメージを受けるのは必至。

 

「君達の仲間が造ったその機械の手足は優秀だ。でも僕の前では大きすぎる急所だ。手足が動かなければ、何も出来ない」

 

「くっそ、だれが、ふざけんな……!!」

唯一、生身の腕を持っているシュガーが、腕の力だけでロキに這い寄る。足が動かなくなってなお、戦う意志が瞳に宿っていた。

 

ロキはため息を漏らし、自ら近寄るとシュガーの手を踏み潰した。

 

「ああああああああ!!」

骨が砕けた。

 

「醜い姿を僕に見せないでくれ。君達は選定者たる僕が認めた人間だ。あまり失望させないでくれ」

 

「せん、てい、しゃ?」

 

痛みに屈せず、シュガーがロキを睨み、聞き返した。

 

ロキの表情に再び笑みが戻り、シュガーに破壊された演説台の場所に立つと、その姿を見せつけるようにその場で回った。

 

「見えるか? 僕のこの姿が。実に醜いだろ!?」

 

笑みの質が変わり、自嘲めいたように叫んだ。

 

「僕の身体には、何十という血が流れている。アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、日本人、中国人、アラブ人、ユダヤ人、キプロス人、アフリカ人、エジプト人、ブラジル人、ロシア、イタリア、ネパール、ガーナ、ベトナム、ネイティブアメリカン!! まだある!! 僕は、くだらない平和のために造られた存在だ」

 

ロキは独白のように語る。

 

第二次世界大戦後、戦勝国間で恒久平和達成のために、解決すべき大きな課題の一つであった人種問題解決と称し、新人類計画が発足された。

 

世界中から人種の違う約四十人の肉体的、精神的に優秀な男女が集められた。

 

身体を交え、子を産ませ、英才教育を施し、出来の良い者同士をまた交わらせ子を産ませる。

 

優秀な人間同士からなら優秀な子が生まれ、それを繰り返せば天才が人工的に量産可能となり、やがて人類全てが天才となる。

 

狂人の思考でしか辿りつけないような邪悪な考えの末に生まれたのがロキだった。

 

数多の人種の血を引くことから、北欧神話に登場する巨人とヨトゥンの血を引くロキの名を授かったが、天才とはほど遠く、身体能力も知性も少し良い程度だった。

 

ロキが六歳になった時、計画は破棄され、ロキも処分されるはずだった。

 

しかし偶然にも処分当日、施設がテロリストに襲撃され、ロキはテロリストだったジョセフに拾われ、少年兵として育てられた。

 

「さぁ、よく見てよ!! 褐色の肌に似合わない金髪。背格好に不釣り合いなアジア人の顔!! 醜いだろ!? 醜悪だろ!?」

 

狂ったように叫び、笑い、ロキは続ける。

 

「だが僕は、フォースに覚醒した時、選ばれたんだと悟った。世界中の血を宿す僕は神に選ばれた選定者なんだ」

 

「はっ、くだらねぇ、こと、言ってんじゃねぇよ」

 

侮蔑を込めて笑うシュガーのもう片方の手をロキは踏み潰した。

 

シュガーの悲鳴をうっとりした表情で聞くと、また叫ぶ。

 

「わからないのか? 世界は限界を迎えているんだ。人は増えすぎた。愚かな人間を誰かが間引かなければいけない。そうしなければ、世界は近く、死んでしまう」

 

「それが、貴様だと?」

 

ミルクが怒りを込めて、ロキを睨んだ。

 

「そうさ、僕が愚かな人間を間引くんだ。テロは間引く行為の中でもっとも効率が良い。ただ破壊するだけが目的の馬鹿共が勝手に駄目な人間を殺してくれる。運良く生き残った奴は、権利を得るんだ。僕に選定して貰える権利をね」

 

「狂ってる……!!」

 

ブラックが吐き捨て、侮蔑を込めた目でロキを睨んだ。

 

「狂っているのが僕以外の人間さ。僕だけが正常で、世界の悲鳴を聴くことが出来るんだ。世界は叫んでいる。助けて、助けてと」

 

「そんなもん、お前の妄想だ!!」

 

シュガーが吠えたが、今の状況では虚勢だった。ロキはシュガーの顔を蹴り、黙らせる。

 

「世界は僕にお礼を言っている。人を減らしてくれてありがとうと。テロに参加し始めてから数百万人は殺してきた。でも足りない。まだ、死ぬ人間より、生まれてくる人間が多い。僕だけじゃ、足りないんだ。僕と同じ選定者の資質を持つ仲間が必要だ。フォース覚醒者がね」

 

「死んでも、お断りよ」

 

ブラックが即座に答えた。

 

「君達に拒否権はないよ。もし拒否すれば、上の階で怯えている会議参加者を一人ずつ嬲り殺す。仲間になるなら今回だけ彼らを見逃そう」

 

「外道が……!!」

 

「口だけ動かしたところで、僕には勝てないよ。ほら、ご自慢の機械の手足で僕に挑みなよ。壊れた玩具は動かないけどね」

 

ロキは可笑しそうに笑った。

 

――いま、なんて言った?

 

シュガーの中で、静かに怒りが湧き上がった。

 

――壊れた玩具?

 

「所詮、それは出来そこないの道具だ」

 

――出来そこないの道具?

 

「ほら、僕の手足は全部本物だ。血が通い、皮膚も筋肉も骨も全部躍動している。そんな偽物とは違う」

 

――偽物?

 

何がわかる。何がわかるというんだ。

 

「お前に、何がわかる?」

 

静かに、だが覇気が溢れる声でシュガーは言った。ロキが笑うのを止める。

 

「身体を失ったことのないお前に何がわかる? 機械でも、もう一度手足を得る幸せを、喜びを理解出来るか?」

 

砕けた両手で上半身を起こした。痛みなど耐えればいい。痛みが霞むほどの強い意志がシュガーを突き動かした。

 

「機械でも、出来そこないでも、偽物でも。……これは私の足だ!! 失って、もう一度手に入れた私の足なんだ!! お前如きに奪えるもんじゃねぇんだよ!!」

 

壊れたはずの、動かないはずの足でシュガーは立った。その姿をロキが、ブラックが、ミルクが、言葉を失って見つめた。

 

額と口から血を流し、両手を砕かれ、機械の足を壊された満身創痍の姿でも、シュガーは力強く立っていた。

 

「そんな馬鹿な」

 

震えた声で漏らし、ロキはシュガーの足に干渉する。だが、何も起きない。

 

感じたことのない恐怖が湧き上がり、シュガーから逃げるように一歩あとずさる。

 

それに合わせるようにシュガーが覚束無い足取りで一歩前に出た。

 

ロキがまた下がる。シュガーが一歩前に出る。さっきより確かな足取りで。

 

シュガーの歩みは一歩ごとに強さを増し、十歩を越えた時、力強い歩みとなり、ロキに迫った。

 

「来るな!!」

 

喚くロキにシュガーは大胆不敵に笑い、煙草をくわえた。

 

「決着をつけようぜ」

 

ニヤリと笑った拍子に曲がった煙草がシュガーの凶悪さを体現し、より強い恐怖をロキに抱かせた。

 

シュガーは床を蹴って疾走。怯えるロキの側頭部に一切容赦のない上段蹴りが直撃し、床をバウンドしながら数メートル吹き飛んだ。

 

「今さっきまでの威勢はどうした!!」

 

鬼気迫る咆哮にロキは悲鳴を漏らし、逃走を図るが足がもつれ、膝をつく。

 

そこへシュガーが迫り、鳩尾に爪先がめり込む。

 

「ぐげっ」

 

奇妙な悲鳴を漏らし、嘔吐するロキへシュガーは攻撃の手を止めない。

 

足、腕、顔に連続で攻撃がヒットし、鼻が折れ、鼻血が口の周りを汚す。

 

「逃げないでかかってこいよ!! 神に選ばれた選定者なんだろ!?」

 

シュガーの挑発がロキの瞳に闘志を呼び戻した。血と嘔吐物を拭い、折れた鼻を直し、恐怖を飲み込んでロキはシュガーと対峙する。

 

ロキの鋭い蹴りが顔面に迫る。シュガーは折れた手で軽く受け止め、懐に潜り込んで膝蹴りを鳩尾にくらわせる。

 

痛みに耐え、ロキはシュガーの顔面を殴った。

 

血と共に飛びそうになる意識を自力で繋ぎ止め、至近距離にあるロキの顔面へヘッドバット。鼻がもう一度折れ曲がり、追撃の回し蹴りが左腕を砕いた。

 

「くそっ……!!」

 

ロキはフォースで光の向きに干渉し姿を消す。シュガーの視界からロキの姿は消え、音にも干渉したのか、歩く音も消えた。

 

「隠れても、無駄だよ」

 

だがシュガーはニヤリと笑った。

 

消えたロキを捉えることはシュガーには不可能だろう。だが、彼女には頼りになる仲間がいる。

 

手足が動かなくても、出来ることはある。ブラックは熱源を感知し、ロキの位置をシュガーに伝える。

 

『三時の方向、五歩走ったら、遠慮なくやりなさい』

 

『ありがとう、ブラック。愛しているよ』

 

シュガーが走り出し、五歩目を軸足にして勢い良く蹴った。見えないロキを捉えた確かな感触が足から全身に伝わった。

 

シュガーの蹴りをまともに食らったロキは姿を現しながら吹き飛んだ。

 

「隠れたって無駄だ。ブラックからは逃れられない」

 

シュガーが笑うとブラックも凶悪な笑みを浮かべた。

 

ロキは抑え込んだ恐怖に再び襲われ、腰からマグナムを抜き、シュガーにむけた。

 

「動くな。防ごうとしても無駄だ。風の防壁なんて操って消してやる。ほら、出してみなよ」

 

勝ち誇ったように笑うロキにシュガーは風の防壁を纏うが、ロキの干渉により風は霧散する。

 

「無駄だと言っただろ!!」

 

「バーカ。考えなしにお前の挑発に乗るかよ」

 

シュガーがニヤリと笑い、ロキの恐怖を煽り、もう一度風の防壁を纏うが、すぐに霧散する。

 

「何度やったって無駄だ!! 僕の前で君のフォースは無力なんだよ!!」

 

痺れを切らしたロキが引き金に指をかけた瞬間、死角からミルクの炎が右手とマグナムを飲み込んだ。

皮膚を灼熱に焼かれ、手からマグナムが落ちた。すかさずシュガーが接近してガードした腕ごとロキを蹴り飛ばした。

 

「熱い……痛い!! なんてことをするんだ!?」

 

遂に涙を流し、皮膚が爛れた右手を左手で包み、子供のように喚いてロキは三人を睨みつけた。

 

「痛いか? 痛いよな。知っているよ、その痛み。自分の一部を失う痛みを私達は誰より知っている」

 

「黙れ!! 殺してやる!!」

 

同情するシュガーにロキは強い怒りを覚え、痛みに耐え、殴りかかった。

 

ロキの攻撃を軽くかわし、シュガーは焼かれた右手を容赦なく蹴り上げた。

ロキの悲痛な絶叫が響いた。それでもシュガーは攻撃の手を緩めない。

 

左腕が砕け、肋骨も折れ、右手は骨が剥き出しになり、顔面には大きな痣がふたつ。

 

「あっ……うわあああぁぁ、痛い!! 痛いよ!! 助けて、ジョセフ。助けてよ!! いつも助けてくれたじゃないか!! どうして助けに来てくれないんだよ!?」

 

ロキは震える左手で携帯電話を掴み、ボタンを何度も押すが、シュガーの攻撃で壊れたそれは一切反応しない。

 

ロキが戦意を失ったのを感じたシュガーは攻撃の手を止め、泣きじゃくるロキを見つめる。

 

「助けはこねぇよ、観念しな」

 

空いた穴を背に立つロキにシュガーは一歩近づく。

 

情けない悲鳴をあげ、あとずさるロキの足が穴の縁にかかる。

 

地上数十メートルの高さ。落ちれば、人は容易く肉塊になるだろう。

 

「僕は間違ってない!! だってそうだろ? 発展途上国では沢山の子供が餓死しているのに、アメリカや日本、先進国は毎日のように食べ物を沢山捨てる!! お腹を痛めて産んだ自分の子を金で売る親がいる!! 違う神を崇めただけで、虐殺を繰り返す狂信者がいる!! 他人を騙して金を貪り、死者を笑う屑がいる!! こんな世界狂っている!! 誰かが変えなければいけないんだ!! それが僕達だ、フォース覚醒者だ!! 何故わからない!?」

 

シュガーは応えず更に一歩前に出る。

 

「……お前の言っていることは多分、間違っていない」

 

「じゃあどうして理解してくれない!?」

 

「確かに、世の中にはどうしようもない屑はいる。でもそれ以上に強く誇り高い人達を私は沢山知っている。ブラックは誰よりも優しい。ミルクは誰よりも真っ直ぐだ。如月は誰よりも頑張り屋だ。総隊長は誰よりも強く思慮深い。副長は誰よりも勇敢だ。紅っちは誰よりも仲間の大切を知っている。聖さんは誰よりも人を気遣える。東屋首相は誰よりも多くの命を背負っている。カール氏は誰よりも世界の未来を考えている。皆、強い意志を持っている。狂った世界で迷わず、前に進んでいる」

 

シュガーの足が一歩前に出た。力強く、自らも強い意志を持っていると示すように。

 

「お前は多分、正しい。でも、やり方を間違えた。私の仲間を、この国を傷つけた。それだけは絶対に許さねぇ!!」

 

シュガーの咆哮にロキは呆然とし、立ち尽くした。

 

何故、絶望しないのか。人間の汚さを知っているのに、何故人間を信じようとするのか、ロキにはそれが理解出来なかった。

 

「さぁ、そろそろ終わりにしようぜ」

 

シュガーはロキを間合いに捉え、構える。逃げ道を完全に失ったロキは吐息を漏らし、表情から恐怖が消え、狂ったように笑った。

 

「……いずれ、君達にも聴こえるよ。世界の悲鳴が。その時、僕と同じ選択をする、絶対に!!」

 

「私は、お前ら下衆野郎からこの国を守り続ける。てめぇのようにはならないさ」

 

「精々、そうやって足掻くがいいさ」

 

最後に背筋が冷たくなる不気味な表情を浮かべ、ロキは空中に身を投げた。

 

シュガーの視界からロキが消え、数秒後、肉が潰れる音がかすかに届いた。

 

「……私は何があっても真っ直ぐ進み続ける。仲間と一緒に」

 

 

「はい、ロキは負けました」

 

電話口でジョセフは淡々と事実のみを告げる。

 

「いえ、おそらく生きています。はい、回収します。ロキも、例の実験に? いえ、不服はありません」

 

ジョセフの鋭い瞳に国際ビルがうつる。

 

「了解しました、ではまた」

 

通話を終えると、部下にロキの回収を指示し、闇の中に姿を消した。

 

 

戦いは収束にに向かっていた。劣勢を極めたテロリスト達は蜘蛛の子のように四散し、兵士達は勝利に歓喜し、残党狩りを開始する。

 

その光景をカールは携帯電話を片手に悲痛な思いで見つめていた。

 

『此処にいたのか』

 

背後から声が掛かった。

 

振り向くと、険しい表情の東屋が立っていた。

 

『誰に連絡を取っていた?』

 

東屋の視線がカールの携帯電話に突き刺さる。

 

『……部下から、報告を受けた。戦死者は数百に及ぶそうだ』

 

『……自衛隊も数十の犠牲者を出した。また多くの家族を悲しませてしまった』

 

手に持った携帯を握り潰してしまいそうなほど手を強く握り、悔しさを滲ませる。

 

『なぁ、カール。我々はいつまで無益な血を流さなければならない?』

 

どれだけ進んでも光はない。出口のないトンネルを延々と彷徨い歩いているようだった。

 

今回の会議もテロさえなければ平和への大きな一歩となる筈だった。

 

『我々の戦いに終わりはあるのか?』

 

『我々の役目は希望を次の世代に遺すことだ。ただ、それだけだ』

 

達観した想いでカールが漏らし、東屋は黙って頷いた。

 
 
 
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