シュガー&ミルク&ブラック 長編版一話 

 

 「うずうずさせてくれよ」

 二度と感じなくなったはずの感覚。

 それは生きている実感だった。

 前に進めば、それを感じた。地面を踏みしめる充足。

 失った両脚は今も存在する。形を変えて。

 「……うずうずさせてくれよ!!」

 疼く――機械の脚が。

 唸る――獣の咆哮で。

 睨む――紅い双眸で。

 奔る――疾風と共に。

 今宵も嵐が吹き荒れる。

 

 二〇一五年、日本。

 日々増加するテロ・犯罪の脅威に国民は晒され、怯えて生きる日々。

 武器・兵器の密輸、テロ組織構成員の密入国、青少年の犯罪率増加、新興宗教のマインドコントロールによる扇動犯罪、薬物抗争――脅威の原因は上げ出したらキリがない。

 テロ・犯罪の増加は警察組織の人員不足も招いた。殉職者の増加、新卒者の減少、汚職警官の逮捕、懲戒免職――様々な理由により警察官の数は二一世紀なってからもっとも少ない二十一万三千五百人。

 警察職員の減少に伴い、政府と防衛省は二〇一二年にテロ鎮圧あるいは治安維持の目的で自衛隊を国内各地方に常時展開を決断した。

 自衛隊の展開により犯罪行為による被害者数こそ減少したが、行為の数自体は減少するどころか増加を辿り、当年だけでも自衛隊隊員の死者は六十人。

 翌年には倍の百二十三人に跳ね上がり、警察職員の死者を足すと二百五十四人と言う二十一世紀最悪のどころか戦後最悪の殉職者数を記録した。

 政府はマスメディアを通して警察職員の確保や犯罪に対する危険意識あるいは嫌悪感を高め、モラルの向上や犯罪率の減少を図るも期待した程の効果はなかった。

 犯罪者相手に警察や自衛隊が日々奮闘し、治安維持に努める一方、秘密裏にテロ組織と戦う部隊も存在していた。

 公にされず、功績も一切報道されない影の組織――対テロ殲滅特務部隊。通称SMB。

 その身に機械の脳を宿し、物理法則無視の異能の力を持つ殲滅特化兵が所属する対テロ最強の少数精鋭部隊――それがSMBだ。

 

 首都・東京。超高層ビル群が群生するオフィス街の一画。

 

 空は昨今のテロ脅威の様に分厚い雲に覆われ、ビルの隙間を死の臭いが混じった強い風が吹き荒れる。

 その強風をものともしない軍用ヘリが衝突防止灯を点滅させ、この区画でもっとも高い二百五十メートルのビルの周りを、獲物を狙う狩人の様に周回していた。

 そのビルの屋上ヘリポートの真ん中に強風をものともしない堂々とした仁王立ちで一人の少女が立っていた。

うずうずする。高まる戦闘への緊張と高揚感。火の付いていない煙草をくわえた口がニヤリと笑う。

 黒と赤の斑模様のロングコート、その下には黒いタンクトップ。迷彩柄のパンツにアーミーブーツ。腰まである黒い長髪、表情は前髪に隠れて伺えず、くわえた火を付けていない煙草が少女の凶暴さを表している様だ。

 そして不可思議な事に、大人でさえ立っていられない強風が吹き荒れる屋上だというのに少女の黒い長髪とロングコートは一切風の影響を受けていなかった。

 まるで少女の周りだけ風が吹いていない様で、華奢な肉体で平然と立っている様子からも不可思議なその状況が奇妙な程リアリティを帯びていた。

 平然と立ち、広がるビル群を眺めていた少女は右手をコートのポケットに突っ込み、銀色に輝くオイルライターを取り出し、蓋を空けた。

 少女は未成年で煙草を吸っていい年齢ではなく、火を付けなければ問題無いと自己解釈の下、いつも煙草をくわえている。

 火の付いた煙草を吸った事はまだ無い。煙草はくわえるのに火を付けないと言う矛盾した行為。それは自分の置かれた状況を受け止めようとするプライドと、受け入れられない幼いままの心の二律背反。

 自分を子供扱いする大人の声が脳裏に蘇り、むっとなってフリントを回し、点火する。

 少女の闘争心の様に燃え上がる火を煙草に近づけ、息を吸おうとした瞬間、上司でありSMB実働隊隊長のミルクから、脳内に響く無線通信。

 『突入三十秒前だ。準備は良いか、シュガー』

 ライターを持つ手が煙草の数センチ手前で止まり、何故か安堵している自分に気づき、よりむっとなり、そのまま数秒沈黙。

 『シュガー?』

 再び名前を呼ばれて我に返り、ライターの蓋を閉じてポケットにしまい、

 『了解だ』

 短く返事をし、ヘリポートの真ん中からビルの縁へ移動する。

 猛烈な横風と上昇気流にも、シュガーと呼ばれた少女は一切屈せず、眼下に視線を向けた。地上にはビルを占拠するテロリスト達を包囲する仲間の部隊。

 トヨタマ自動車株式会社本社ビル。シュガーが立つビルであり、仲間が包囲するビルであり、日本でもっとも有名な車会社で社員六千人を抱える大企業――テロの標的としては最高の獲物。

 その本社ビルがテロリストに占拠されたのは二時間前。テロリストは先月この会社を解雇された外国人派遣社員二十五人とテロ支援組織の構成員十人。

 テロ支援組織とは世界中で発生しているテロを陰で操る数ある組織の総称。

社会不満を持つ人間を操り、武器や人員を派遣してテロを支援して目的を達成し、更に資金や情報を得る。その得た資金で新たに武器や麻薬、情報を買い、テロ組織ネットワークを蜘蛛の巣の様に広範囲に渡って展開していく。昨今のテロリズムの典型例だ。

 テロリズムの新たな形。支援と言う立場に立つ事で組織の実態を掴ませず、実行犯に組織外の人間を使う事によって戦力は自由自在となり、支援組織は広大で謎だらけのネットワークで繋がり、一つのテロに複数の組織が関わり、目的や武器の密売ルートの特定が困難になっている。

 テロを制圧しても、逮捕されるのは組織外人員ばかりで、彼等は計画と武器を与えられた存在に過ぎず、支援組織の事は一切知らない、つまり捨て駒。

 途方も無いイタチゴッコ。それでもシュガー達は戦わないといけない。自分達の戦いに意味があると信じて。

 突入開始十秒前を告げる無線通信。シュガーはさっきまでのすっきりしない気持ちを綺麗さっぱり吐息と共に吐き出し、再び好戦的な笑みを浮かべ、隣のビルで狙撃銃を構えている仲間を見た。

 『ブラック』

 自分より三つ年上の頼りになる狙撃手への無線通信。

戦闘に適していると思えない漆黒のワンピース姿、その上に軍のジャケットを着て、対物侵徹ライフルを撃てるとは思えない華奢な肉体と狙撃を可能にしている機械の手足を持ち、右側だけ長い奇抜な髪形をしてシュガーと同じ深紅の瞳を持つ女性――ブラック。彼女の一秒と待たせない返事。

 『何?』

 ぶっきらぼうかつ不機嫌で、集中の邪魔をするなとノイズ音を無線通信に混ぜて訴える。

 『援護は任せたよ』『突入開始!!』

 ブラックへの通信と同時に響く突入の号令。展開していた仲間が一斉にビルに向けて突入を開始した。

銃声が響き、白煙がビルの入り口を包み込む。

シュガー更に笑みを強め、空中に身を頭から投げ出した。

 地上二百五十メートルからの紐なしバンジージャンプ。そこで初めて前髪が風になびき、隠れていた十八歳とは思えない凶悪さと覚悟で固められた大人びた表情があらわになった。

 落下する速度は瞬く間に加速していき、地上まで六十メートルを切った所で、シュガーは身体を回転させ、地上二十メートルで落下がピタリと止まり、その場に浮遊した。

 シュガーが有する物理法則無視の異能の力。風を生み出す能力――風神。

 風の力による無挙動前進。機械の足でガラス張りのビルの壁を蹴破って内部に侵入し、飛び散るガラスで身体を傷つけない様に風でガラス片を四散させ、脚が地に着いたと同時に出力一〇〇〇馬力以上の戦闘用義足の脚力で大理石の床を蹴った。

 砕ける大理石、迫る自動小銃を構えたテロリストの一人がシュガーの出現に完全に動揺し、銃を構える暇無く、シュガーの蹴りで頭部を吹き飛ばされ、絶命する。

 止まる事なくシュガーは疾走する。彼女が侵入したのは人質が囚われている五階。人質が監禁されている部屋にテロリストは六人いるが既にブラックが全員撃ち殺している事が情報で伝わっていた。

 角を曲がり、目的の部屋が見えた。躊躇う事無く扉を開け、室内へ入ると頭を撃ち抜かれたテロリストの死体が六人分、カーペットに血の染みを作っていた。人質十五人は全員無事。

 ふと近づく足音。連絡が付かなくなった仲間の様子を見に来たテロリストだ。

 シュガーが走り出すと同時にテロリストが開いたままの扉から室内へ入り、慌てた様子でシュガーに銃口を向け撃った。

 迫り来る銃弾にも怯まない怒涛の前進。銃弾は彼女を避ける様の軌道をずらし、床と壁を破壊。何が起こったか理解する前に蹴り飛ばされ、壁の染みとなった。

 『シュガー、パワードスーツがそっちに向かっている。人質を護れ』

 ミルクの無線通信、響く重厚な足音。

 うずうずする。機械である筈の脚が迫り来る激戦の予感に鳥肌が立つ感覚に襲われる。

 廊下を走り、エントランスに出ると流線型のボディを持つパワードスーツと対峙した。

 躊躇いなく突進するシュガーに軽機関銃による掃射。

 ゴウッとシュガーの前方で風が吹き荒れた。

 風の力による見えない防壁が前方に展開される。防壁に護られ銃弾は届かず、パワードスーツに急接近し、出力最大、破壊力抜群の回し蹴り。

 義足と生身との接続部に走る僅かな痛み、凹むパワードスーツの装甲――だが倒すまで至らず。

 パワードスーツが体勢を崩しながらも姿勢制御プログラムで体勢を維持し、至近距離で軽機関銃を掃射。

 引金が絞られる一瞬前にシュガーは後方に跳び、風の防壁を全力で展開。脳内で響く警告――擬似脳の出力が八十%まで低下。

 風の防壁が銃弾の軌道を逸らすも数発完全に逸らしきれずに腕と足を掠め、熱い痛みがシュガーを襲う。

 歯を食いしばり、くわえた煙草が曲がる。ダメージは軽微だが、義足が破損により出力が五%低下。

 「やってくれるね」

 シュガーは怒りをあらわにし、半眼で相手を睨みつけた。曲がった煙草をペッと吐き捨てて走り出し、敵が掃射で迎え撃つ。

風の防壁で銃弾の軌道を逸らしながら接近するも擬似脳の出力が更に低下し、近距離では銃弾を逸らす程強力な風の防壁を展開出来ず、攻撃が届く範囲に踏み込む事が出来ない――防戦一方だ。

パワードスーツの装甲を破るにはこれ以上ダメージを受ける訳にはいかない。

背後には人質がいて、引く事は出来ない。最大のピンチにもかかわらず、シュガーの表情には怒りと共に笑みが浮かんでいた。仲間の援護を確信した信じる事を知っている笑み。

突然、二人の戦いに水を差す銃声が響き、ガラス張りの外壁を破って、一発の銃弾が飛来し、パワードスーツの膝を撃ち抜いた。

ブラックによる精密で的確な援護射撃。シュガーは好機とばかりに風の力も義足の出力も全開。脳内で鳴り響く警告音など無視。

敵が銃口を向ける前に脚に風を纏わせ、渾身の力を込めて、蹴った。

ひしゃげる装甲、飛び散る機関銃の破片と人の肉片と血。

シュガーの一撃は見事装甲を破り、操縦者もろともパワードスーツを破壊した。

パワードスーツだった機械の塊は派手な音を立てて倒れ、動かなくなった。

「私の勝ちだ!! 見たかこのポンコツ野郎!!」

シュガーは女性の言葉使いとは思えない男勝りの勝利の雄叫びを上げ、ニヤリと笑う。

『私の援護がなければ負けていたくせに。もう少し後先考えて能力使いなよ、下手っぴ』

ブラックの毒舌全開の無線通信にもシュガーは笑みを崩さず、ブラックがいる方角を向き、手を振った。

『援護ありがとう!! 愛してるよ、ブラック!!』

毒舌を全く意に介していないシュガーにブラックはため息を漏らしつつも、シュガーが自分を頼りにしているという事実をちょっぴり嬉しく感じながらライフルのスコープを覗いた。

シュガーがいる階より下ではまだ戦闘が続いていた。仲間に負傷者及び死者はなし。敵側は残り六人で、彼等の統制の取れていない素人丸出しの動きからテロ支援組織の人間は既に逃走した事が伺えた。

支援組織の人間は失敗が濃厚か、目的を達すると事前に確保してあった退路から直ぐに逃走する。

テロリスト達は人質の解放を条件に身代金五億円と国外逃走用のジェット機を要求してきた。だがそれがブラフである事は既に発覚している。

今回のテロの真の目的はトヨタマ自動車が新たに開発した装甲技術のデータ入手。

防衛省や警察庁にも多大な技術提供をしているトヨタマ自動車の技術力は世界トップクラスで新たな装甲技術は既存の歩兵携行ミサイルの直撃や大型地雷でも容易に破壊されない強固さを持ち合わせ、対テロで大いに活躍が期待された技術だった。

本社が制圧された時点で技術の情報は防衛省のマザーサーバーに転送されたが、デジタル化されていない情報の七割は支援組織の手中に落ちてしまった。

おそらく支援組織の構成員は情報を手に入れた時点で逃亡していただろう。五億円などもとから眼中になかったに違いない。

恐るべき周到さと狡猾さ。警察や自衛隊も少しは見習えとぼやきつつ、ブラックは引金を絞った。

吹き荒れる風にも負けず、寸分の狂いもなく壁を突き破り、ブラックからは視えない位置にいたテロリストの一人に命中した。

「隠れたって無駄なんだから」

ブラックの深紅の双眸は全てを捉える。彼女の前ではコンクリートの壁も純度の高いガラス板。

透視眼――それがブラックに宿る異能の力。全てを見透し、暗闇の中でも、吹雪や嵐の中でも獲物を逃がさない狩人の瞳――サテライトアイ。

更に一発、ブラックの狙撃でテロリストが倒れ、最後の一人が仲間の手によって射殺された。

『正面、制圧完了。シュガーそっちに行ったパワードスーツはどうした?』

ミルクの全隊への無線通信。

『とっくに倒したよ。人質は全員無事。だけどちょっと刺激が強いからまだ目隠しは外してない。脳みそだらけだよ、この部屋』

ブラックの狙撃を褒めているのか、皮肉を込めて言っているのか分からないシュガーの台詞。自分の仕事をしただけなのに何故そんな風に言われないといけないのか――ブラックはむっとなり、怒りを込めてノイズ混じりの無線通信。

『三人しか倒していないシュガーに言われたくないよ。ミルクは五人、私は八人。シュガーがビリだよ』

どうだみたかと言わんばかりに自信を込めて言った。負けず嫌いのシュガーが怒ったのが手に取る様に分かり、ほくそ笑むブラックにシュガーの負け犬の遠吠え的無線通信。

『私はパワードスーツ倒したんだぞ!? あいつだけで十人分はある!!』

『私の援護なければ負けていたかもしれないくせに』

『私があんなポンコツ野郎に負けると思ってんのか』

『うん』

ブラックの即答にシュガーは絶句。ふふんと鼻を鳴らすブラックに、シュガーは更に噛みつこうとするが通信を一方的に切られ、怒りの矛先が空振り。納まらない怒りを何かにぶつけたい衝動に駆られる――人質が目に入るが駄目だと直ぐに邪な思考を排除。仕方なく新しい煙草を取り出してくわえ、救助班の到着を待った。

ライターを取り出そうとして、止めた。ポンコツ野郎を一人で倒せない自分は大人達が言う様にまだまだ子供なのだと、それを肯定する様に。

そしてまたむっとなり、感情の堂々巡りにため息を漏らし、割れたガラス壁から外を見た。

ビル群しか目に映らない閉鎖的な夜景。自分が護るべき都市――だが退屈。来る日も来る日もテロ支援組織に焼き付け刃程度に訓練されたテロリスト達の相手ばかり。

もっと刺激が欲しい。死と生が高速で行き交う戦いに身を投じたい。

「あ〜〜、もっとうずうずしたいなぁ」

満たされぬ声が虚しく響いた。

 

明朝――SMB本部ビルの三階、実働隊隊員の寮、その一室――北西の角部屋。日差しが一切入らず、お天道様に睡眠を邪魔されない最高の環境でシュガーは下着姿のまま爆睡していた。

 

時刻は八時半過ぎ。起床時刻はとっくに過ぎていたがそんなのお構いなしの見事な熟睡っぷり。

シュガーの至福のひと時を邪魔する者はいない――三秒前までは。

スライド式の扉が派手に開けられ、パンツルックで鬼の形相のブラックが部屋にズカズカと入ってくるなり、掛け布団を剥ぎ取り、戦闘用義手の右手をシュガーの鳩尾に容赦なく振り下ろした。

ブラックの怒りの鉄拳が寝心地最高のベッドにめり込む。

「あっぶないな!! 私を殺す気!?」

直撃の瞬間に野生動物の本能的直感で跳び起きたシュガーがベッドの脇にファインティングポーズで立ち、ブラックを睨んでいた。

「ぐちゃぐちゃにする気だった」

「一緒だよ!! どうしたのさ、いつもならもう少し優しく起こしてくれるじゃんか」

寝坊し、怒られる側の立場のシュガーが文句を垂れ、不満をあらわにする。

ブラックの額に青筋が立つ。毒舌の所為で常に不機嫌で怒っている様な印象のブラックだが、本気で怒る事はむしろ珍しく、今がその珍しい状態だ。

「どうしたの、生理?」

シュガーの一言が火に油どころか、ニトログリセリンを投下した。ブラックの手に握られていたプラスチックの容器がシュガーに向かって飛来し、虚しく背後の壁に当たった。

「何これ?」

シュガーは容器をひょいと拾い上げ、まじまじと見つめるも一体何なのか見当もつかず。

「最高級コスタリカ産の珈琲豆を使った無糖コーヒーゼリー……最後の一つをあんたが食べたのよ!」

ブラックの富士山大噴火の如き怒りでシュガーはようやく思い出す。

昨晩、就寝する前に小腹が空いてブラックの部屋を物色して手に入れた代物だが、あまりにも苦くて口に合わず、仕方なく食堂でシュガーシロップを大量投下して食したのだ。

空の容器はゴミ箱に捨てた筈だが、ブラックは透視眼の力を駆使して容器を発見し、一緒に捨てられていた大量のシュガーシロップの容器から犯人がシュガーである事を特定した。

「あんたは何で私の部屋に入ってまで楽しみを奪うのよ」

「いやぁ、腹が減っては戦が出来んって言うじゃん?」

「寝る事の何が戦よ。夢の中でも戦っているの? 随分仕事熱心な事ね。夢の中でも機械の脚がうずうずしたのかしら?」

全く反省しないシュガーにブラックはうんざりした様に吐き捨て、踵を返した。

背中越しにシュガーが怒っているのがわかり、無意識に笑みが浮かんだ。

シュガーは何も言わず、ブラックの背中を睨みつけるだけだが、それは本気で怒っている証拠。

部屋を出る直前、ブラックは振り返ってニヒルな笑みを浮かべ、それが最大の仕返しと言わんばかりに颯爽と立ち去った。

シュガーは無言で立ち尽くし、握った拳を震わせていた。

勝手に楽しみを奪ったのは悪いと思っている。だからと言って子供扱いと同じくらい言われるのを嫌がっている機械の脚の疼きを出してまで挑発する事はないじゃないか。

ブラックの馬鹿、貧乳、味音痴、毒舌、変な髪型。

考えられる全ての悪口を思い浮かべてブラックを罵り、手の中で変形したコーヒーゼリーの容器を視線の高さまで持ってくる。甘い匂いに混じる微かな珈琲の香り。胃の奥から苦いものが込み上げてくる感覚――ブラックと喧嘩した事への悲壮感。

「そんなに大事なら、金庫に入れとけばいんだ」

ふん、と鼻を鳴らし、それが責任転嫁だと分かっていてもそうする以外怒りを納める術が見つからなかった。

眠気は怒りですっかり失せ、二度寝する気になれず、仕方がないので朝食を取りに行く事に。下着姿からタンクトップと迷彩柄のパンツ姿に着替えて六階にある食堂に向かった。

もっとも賑わう時間はとっくに過ぎ、今は遅めの朝食を取る隊員が数名いるだけ。

非公式の部隊であるSMBだが隊員の総数は六十名とそれなりの規模を持ち、ピークの時間帯の食堂は戦場と化す。SMBは実働部隊、情報解析課、技術開発課、諜報課、医療課、人事課の六つの部署に別れ、その上にSMBの総隊長と副長が威風堂々と座している。

シュガーやブラック、ミルクが所属するのは実働部隊で隊員数は最多の二十名。その全員が対テロの特別訓練を受けた精鋭で、シュガーはその中でも擬似脳と異能の力を駆使して戦う殲滅特化兵。

シュガーの風を生み出す力、ブラックの透視眼は科学的な根拠で全人類が潜在的に持つと実証されている非科学的な力であり、ほとんどの人間が目覚める事のない力でバイタリティフォースと呼ばれている。

バイタリティフォースは脳を極度に酷似し、訓練せずに能力を使うと脳細胞が一気に破壊されて廃人化は免れず、発見当初は何人もの廃人を生み出した。

やがて、植物状態の患者や脳死の患者の覚醒、脳障害の患者の健常化目的で開発されていた擬似脳の技術がバイタリティフォースの研究機関に注目され、十数人に及ぶ犠牲者を出しながらも、擬似脳によるバイタリティフォースの発動可能が実証され、実用化に至った。

擬似脳は現代科学の粋を結集して造られた人の脳に限りなく近い人工的な脳。人の身体に移植する場合は特別な技術を必要とし、手術の成功確率は二十%未満で臓器移植以上に強烈な拒絶反応を示す事があり、一年後の生存確率は五十%未満。

異能の力を持っていて、擬似脳に適合するのは百万人に一人とされ、現在日本政府に所属する殲滅特化兵はシュガー達を含め、公表されない記録では十五人とされている。

シュガー達の様に非公式の部隊に所属する者もいれば、自衛隊の海外派遣チームに所属し、紛争地帯における治安活動に従事する者もいる。

シュガーは国内のテロ活動鎮圧以外に政界のパーティー等の警備活動もやらされたりする。それはうずうずしたい彼女にとって途轍もない程のストレスであり、数日間は機嫌が最高に悪い。

今のシュガーはその機嫌の悪さにかなり近い心理状態であり、それを解消する為に大量の朝食と糖分を摂取している最中である。

シリアルにはミルクと同量のシュガーシロップが投入され、紅茶にも砂糖が大量に投下されているがサラダやベーコンエッグは至って普通の味付けである。

シリアルを頬張り、サラダを咀嚼し、それらを紅茶で流し込み、ベーコンエッグに食らいつく姿はまるで猛獣で、一日でサトウキビ畑を荒らし回れる勢いだ。

三人前はあった朝食をぺろりと平らげ、最後にシリアルの欠片が浮いたシュガーシロップ過投入のミルクをぐいと飲み干し、会社員が仕事終わりのビールを飲み干す豪快な吐息を漏らし、満足そうに微笑んだ。

ブラックと喧嘩した時の不快さは消え、機嫌もかなり良く、今日も一日元気に働けそうな気分になる。

シュガーは今日の予定を、擬似脳を介してSMBのマザーサーバーから確認する。午前中は自由行動。午後からは爆発テロの予告がされている区画での警備活動。

かったるい――サボりたい気分に襲われるが後々、副長に怒られる事を考えれば素直に警備活動に参加しといたほうが良いに決まっている。

が、過去の警備活動の内容から考えると戦闘になる事は稀で、仮に戦闘が起きても警察や自衛隊が対処に回り、自分達は待機のまま終わる事が多い。

折角解消されたストレスがまた溜まると思うと、憂鬱になる。

はぁ、とため息を漏らしてどうにかして警備活動をサボれないか考えていると背後で人の気配がした。

シュガーが振り向くとニコニコと笑みを浮かべた一人の青年が朝食の載ったトレーを手に立っていた。

「おはよう、シュガー。隣良い?」

「おう」

シュガーのぶっきらぼうな返事にも青年は笑みを崩さず隣の席に腰を降ろし、朝食を食べずにシュガーに話しかけた。

「ミルク隊長から聞いたよ。最新型のパワードスーツを倒したんだって?」

「別にたいしたことじゃねぇよ。……ブラックの援護が無かったら私がやられていたかもしれないし」

昨日のブラックとの会話が蘇る。あの時は認めなかったが、実際ブラックの援護がなければパワードスーツに敗北していた可能性は高かった。

しかし、シュガーも何の考えも無しに戦っている訳ではない。ブラックが絶対に援護してくれると信じていたからこそ、最初から全力で戦ったのだ。それを頭ごなしに否定され、腹が立ち、悲しい気持ちになり、仕返しの思いでブラックが楽しみにしていたコーヒーゼリーを盗み食いしたのだ。

シュガーとブラックは五年以上の付き合いがあるがシュガーは未だにブラックの事が良く分からなくなる時が多々ある。

それは二人の性格の所為であった。シュガーは何事も口にしないと気が済まない性質で、ブラックは多くは語らない性質であり、真逆の性格と言っていい。それゆえ今でも度々衝突し、くだらない事で喧嘩をしたりする。

(シュ)(ガー)(ブラ)(ック)――自分達は相容れない存在なのかもしれないとシュガーは時々思う。

しかし隣に座った青年はシュガーの心情などお構いなしで表情を変えない。

「ブラックさんの援護がなくてもシュガーなら絶対に勝てたよ。僕が断言する」

「お前に断言されてもあまり嬉しくないぜ、如月」

如月と呼ばれた青年はそれでも笑みを崩さず、まるでシュガーの全てを肯定するかのように次々に称賛の言葉を口にした。

一体何処からそんな恥ずかしくなるような言葉が出てくるんだと思う一方でシュガーは自分の事を褒めてくれる如月の存在に安心感を抱いていた。

如月晶――SMBの技術開発課に所属する若きエンジニア。

目に掛かる程度の黒髪、人畜無害の微笑み、クリーニングされたつなぎの上半身部分を腰で巻き、黒いタンクトップの下はエンジニアとは思えないくらい華奢で、白い腕と胸板はドリルの回転に負けて如月自身が回るんじゃないかと心配になるか弱さを醸し出している。

だが見た目とは裏腹にエンジニアとしての腕は優秀で、シュガーの機械義足やブラックの義手は彼が開発した代物で百年に一度の天才とSMBの副長に称される程だ。

「私とのお喋りも良いが、飯食っちまえよ。どうせまた徹夜だったんだろ? 飯食わないと身体がもたないぜ」

三分以上もずっと喋り続けている如月を見兼ねて、シュガーはため息混じりに催促した。自分は食後の紅茶を飲む為に一度席を立ち、紅茶と大量の角砂糖と持って席に戻ってきた。

席に座る直前、横目に如月の顔を見ると目の下に大きな隈が出来ている事に気付いた。おそらくシュガーが破損させた自身の戦闘用義足を朝方まで修理していたのだろう。感謝の念と共に申し訳ない気持ちが生まれ、またもやブラックの言葉が蘇り、むっとなる。

「……いつもありがとな」

「え、何か言った?」

「なんでもねぇよ」

如月はシュガーの小さな声が聞き取れずきょとんとし、シュガーは紅潮した顔を見られまいと手を振ってそっぽを向き、紅茶をわざと音を立てて飲んだ。

如月の食事も終わり、午前中自由行動で暇を持て余したシュガーは如月と食堂で雑談を繰り広げていると突如、館内放送が入った。

『実働部隊隊員は直ちに作戦会議室に集合せよ。繰り返す。実働部隊は会議室に集合!』

声色には些かの緊張を帯びている様に聞こえた。

シュガーが戦いの気配にニヤリと笑い、脚がうずうずと昂った。

 「呼ばれたから行くわ」

 「うん。そうだ、シュガーの戦闘用義足の調整終わっているから出撃前に交換に来てね」

 ニッコリ笑う如月にシュガーは礼を言い、走り出そうとして脚を止める。

 「そうだ、如月。一つ頼まれてくれないか?」

 「シュガーのお願いなら喜んで」

 「頼もしい限りだ。それで、頼みたい事なんだが――」

 

 シュガーが会議室に到着した時には既に殆どの隊員が集まり、SMBトップ二人の姿もあった。

 

 壁の一角を占める巨大モニターの前にSMBの制服と高級ブランドのネクタイ、ベルト、革靴を着こなしたSMBの副長である漣が惚れ惚れするほど完璧な姿勢で直立し、その脇のデスクに総隊長である島原楓子が同じくSMBの制服と肩に年季モノのロングコートを羽織った出で立ちで座っていた。

 「十分前、諜報課の隊員から本日十五時に予告されている爆破テロの実行犯と思われるテログループの拠点を特定したと連絡があった。情報解析課で分析した結果、八十%の確率で情報が正しいと結論され、爆破テロを阻止する為に我々SMBがテログループの拠点を制圧する事が決定した。αチーム・βチームともに出撃し、なんとしても拠点を制圧しろ」

 昂る気持ちを抑えきれずにシュガーはニヤリと笑い、同時に他の隊員達も闘志を燃やし、部屋全隊の士気が高まるのを感じた。

 「なお、このテログループは世界で最大手と呼ばれる三つのテロ支援組織の一角、キュクロプスの電霆の配下グループの一つで武器密輸密売に大きく関与していると思われるグループだ。拠点を制圧すれば密輸ルートを押さえる事が出来るだろう。なんとしても拠点を制圧、構成員を一人残らず拘束ないし殺害しろ」

 いつもより気合の入った漣に呼応する様に隊員達の表情が引き締まった。

 漣は二歩横にずれ、背後にあった巨大モニターを指差すと画面がSMBのロゴから衛星撮影された地図へと変わった。

 都心部から少し外れた工業地区の一画。外国資本の株式会社の工場の一つが件のテログループの拠点だ。東京湾に近く、水路や下水道とも繋がり、正に密輸には最適の場所。

 「ツバメ株式会社。精密部品の製造を主とした会社であり株の四十%をアメリカ系とフランス系の外国投資家が所有している。なお、ツバメの製造している部品が数十点、トヨタマの車に使われ、このテログループが密売した武器が昨日のトヨタマ本社ビル占拠事件に使われた可能性は高く、更に今日の爆破テロの予告区画にはトヨタマグループが経営する高級ホテルがあり、双方のテロは関連していると情報解析課は断言した」

 「何がどう関連しているか、さっぱりわかりません、副長」

 煙草をくわえ、話の内容に全くついていけないシュガーは挙手も無しに聞いた。漣は一瞬だけシュガーを睨んだが、仕方がないと言った様子で詳細を説明する。

 「テロ被害が増大する一方で今の日本では奇妙な現象が起きている。テロ被害に遭った会社の業績が上がると言う現象だ」

 業績の上昇率は数%から高い場合は数十%にもなり、テロと言う悪の象徴とも言える被害に遭いながらも屈せず企業としての役割を果たそうとする姿勢が英雄視に近い称賛を浴び、結果その会社の商品が爆発的に売れる経済現象の一つだ。

「その現象が多発する一方、此処二年で起こったテロの中には自作自演によるテロを起こした疑いのある企業が十数に及ぶ」

「つまり、業績を伸ばす為にトヨタマが自作自演をしたって事?」

「ツバメの自作自演よ。トヨタマは新しい装甲技術の情報を奪われているのよ。仮に業績が上がっても損の方が大きいわよ」

シュガーの理解力の低さを見兼ねたブラックが間違いを指摘し、そのくらい分かりなさいとあからさまなため息を漏らす。

「えっと……つまり、トヨタマの業績が上がれば部品を売っているツバメの業績も同じ様に上がるって事?」

「その通りだ。関連企業が自作自演のテロ行為を起こす事は稀だがない訳ではない」

「でも待ってよ。ツバメが昨日のテロを自作自演で起こしたんなら、テログループと繋がっているって事じゃん!」

「アメリカ系資本家がマフィアを通してテログループと繋がっている可能性は前々から指摘されてきた。密輸ルートが分かればその裏付けになるかもしれない、と言う事だ」

「なるほど、つまり絶対に失敗できない訳だ」

漣の言葉を模倣してシュガーは納得した様に頷き、再び笑みを浮かべたが直後、彼女の顔に影が走る。他の隊員は誰ひとりシュガーの異変に気付かず、漣も話を続ける。

「爆破予告のあった区画の警備は既に全権を警察と自衛隊に回した。我々は拠点の制圧にだけ頭にいれればいい。出発は三十分後だ。以上、解散」

解散の号令と共に隊員達は一斉に敬礼をし、部屋を出て各々戦いの準備に向かった。

「どうした、シュガー。お前が一番に部屋を出ると思ったが」

漣が意外そうに部屋の中央に立つシュガーを見つめた。

シュガーは柄にもなく難しい顔で立ち、何かを考えている様だった。

「どうしてアメリカの資本家はテロリストと繋がっているんですか?」

彼女にしては少し弱々しく恐怖を感じている口調。右手で左腕を抱き締め、漣の返答を待った。返ってくる答えが、胸糞悪い屑の所業である事を願って。

「今の時代、利益さえ一致すれば思想や宗教など関係無しに手を組む者がいる」

「利益の為なら、人をも殺すって事ですか?」

自身の生唾を飲む音が嫌な程大きく聞こえた。身体が僅かに震えているのが分かる。恐怖に飲まれない様に右手の力を強める。

「二〇〇一年、アメリカ同時多発テロ事件は軍事産業の利益を生む為にアメリカが自作自演で行ったと当時から騒がれていた」

「知っています。授業で習いました」

爪先が左腕に食い込む。痛みが恐怖を和らげる。

「あの事件から十四年が立ち、今でも有識者間に置いて議論され続けているが真相は分からない。だが、あの事件はテロとは無縁だった国家を含め、世界中にテロの脅威を知らしめたもっとも有名な事件であり、テロリスト達にとってはイコン的な事件だ。一時期、世界中のテロリスト達の間で911の再現が叫ばれ、ハイジャックが相次ぎ、多くの一般市民が犠牲になった」

違う、そんな事を聞きたいんじゃない。シュガーの深紅の双眸が漣を睨みつけるが前髪に隠れ相手には伝わらず、漣はシュガーが聞き出そうとしている事とは関係の無い話を続ける。

「〇〇年代から続くテロの脅威に各国では対テロ部隊の新設や再編がなされ、我が国でも我々SMBが新設され、SAT以外にも自衛隊で対テロ特殊部隊が編成されるに至った」

「私が聞きたいのは!! 私が聞きたいのは……私が両足を失ったあの事件も利益の為に起こされた事件だったんですか?」

堪え切れず、叫んだ。爪先の食い込んだ左腕からは血が滲み、目尻には涙が浮かんだ。

シュガーが両足を失い、風を生み出す力を手に入れた事件――新宿同時爆破テロ事件。

新宿駅から始まり、都庁、大型デパート等、十数カ所にも及ぶ場所で爆破テロが起こった。死者負傷者合わせて八千五百人を出した地下鉄サリン事件を上回る日本史上最悪のテロ事件として今も人々の記憶に茨の如く絡みついている。その事件を起こしたのは今回の爆破テロの実行犯グループの背後にいるテロ支援組織キュクロプスの電霆であり、規模を考えれば国家との繋がりがあってもおかしくない組織だ。

テロと言うのはずっと悪人が世界を恐怖に陥れる為に行っている行為だと思っていた。だがそれは違うとシュガーは知ってしまった。

今やテロリズムは経済の一部となり、国家が利益の為にテロリストを利用し、テロリストもまた目的の為に国家を利用する。

相互利益による善も悪もない行為。自分がそんなくだらない事の為に脚を失ったのだとしたら、もし自分に復讐の機会を与えてくれた日本政府もテロリストと繋がっていたら、自分は何を信じればいいのか。

「あの事件に政府や投資家等の第三者が関わっていた証拠は一つも出ていない。事件後、利益を上げた企業もなく、誰も損も得をしていない」

「そんな言い方しないで下さい!!」

「言い方が悪かったな。……キュクロプスの電霆は白人で構成された白人至上主義のテロ組織だ。あの事件の半年前、日本は国連会議で人種差別撤廃の新たな国際法を提案し、レイシズムの批判を浴びた」

「その所為で日本はテロの標的になった。それがあの事件の真相ですか?」

「真相は未だに分からないが一つだけ言えるのは、日本政府は絶対に関わっていないと言う事だけだ。日本政府は利益が一致しても、如何なる理由があろうと、テロ組織と組む事は一切ない」

そう言い切れる根拠は漣には一切なかった。彼もシュガーと同じ、政府の駒であり、彼の意志が民意に反映される事はなく、断言したのもそうあって欲しいと言う彼の願いが込められているからだ。

だが漣の揺るぎない言葉はシュガーに戦う気力を取り戻させるには十分な一言だった。信頼する上司の迷い無き一言がどれ程心強いかをシュガーは改めて実感し、呼応する様に表情に確固たる意志と好戦的な眼差しが呼び戻された。

「さぁ、行けシュガー。爆破テロを阻止し、敵の尻尾を掴み取れ」

「了解!!」

覇気の籠もった返事をし、敬礼もせずにシュガーは会議室を跳び出した。

沈黙が訪れる会議室には漣と総隊長である楓子の二人だけとなり、漣が楓子に顔を向ける。それまで感情の読めない仮面の様な表情だった楓子が柔らかい笑みを浮かべた。

「部下の士気を上げるのがお上手ね」

「子供みたいに褒めないで下さい。俺は副長として成すべき事をし、事実を口にしたまでです」

「そうね。あの事件は未だに謎が多いままで、シュガーには忘れられない過去であり、貴方にとっても忘れられない過去よね」

「我々にとってでしょう、総隊長」

「そうね、あの事件がなければ私達は出会う事なく、貴方は今でも警備会社に勤めていたでしょうね……いえ、あの子がいなければこの部隊は存在していなかったかもしれないわね」

過去を懐かしみ、拭えない痛みをそっと受け入れる様に楓子はゆっくりと語り、眼を閉じる。

「願うなら、あの子達が過去を乗り越えられる事を願うわ」

 

出撃まで残り二十分を切った。シュガーはエレベータを使わず、階段を駆け降り、技術開発課のオフィスがある地下一階まで一気に降り、ノックも無しにオフィスに入ると一直線に如月のデスクに向かった。

 

「待たせたな、如月」

「出撃の話は聞いているよ。来て、準備は出来ているから」

如月は作業の手を止めて立ち上がり、機械義足が保管してある個室に移動し、取り換えの準備を始めた。

シュガーはアーミーパンツとブーツを脱ぎ捨て、下着姿で診察台に横たわった。あらわになるすらりと長いシュガーの脚は、とても機械の脚とは思えない外見だ。

機械義足や義手は機械の骨格を人工皮膚で覆い、筋肉繊維にも人工筋肉を用いて、限り無く人間のそれに近い様に造られている。

それを造り出したのが如月であり、彼の右足もまた機械義足である。

「それじゃ、取り返るね」

「おう、優しくしろよ」

シュガーはにししと笑い、頬を紅潮させる如月を見て更に笑みを強め、義足を取り返る時に伴う痛みに耐えようとする。

通常の義足が外され、隠れていた接続部があらわになった。太股の真ん中辺りから生える、接続端子の群れは慣れない者が見ると必ず吐き気を催す程グロテスクだ。

如月は外した義足を素早く片付け、戦闘用の義足を準備し、台にセッティングする。

「接続するよ」

「ん……くっ、かはっ!!」

シュガーの顔が歪み、上半身が反り返る。脚の痛覚だけでなく、脳を直接刺激する痛みは擬似脳ですら負担しきれない激痛で、痛みと共に酷い虚脱感に襲われる。

診察台に完全に身を預け、ぐったりとするシュガーを尻目に如月は最終調整を行い、動きに支障がないか確認する。二人の間に会話は一切ない。

如月自身も接続に伴う痛みと虚脱感を知っているからこそ、あえて話しかけず、自分がやるべき事をやる。

シュガーは如月の気遣いを言葉にせず感謝し、必死に虚脱感からの脱却を試み、最終調整が完了してから三分後、漸くやる気が湧き上がった。

「動きに支障はない?」

「あぁ、問題なさそうだ。いつもありがとな」

ニッと笑うシュガーに如月も笑い返した。

「そんじゃ、いっちょ行ってくるぜ」

「いってらっしゃい。頼まれていた物、今日中には手に入りそうだから」

「そうか、何から何まで悪いな。これは貸しだ。可能は範囲でお願い事を一つ聞いてやるよ」

「考えておく」

最後にもう一度二人は笑い合い、シュガーはアーミーパンツとブーツを履いて本来の戦闘用義足で勢い良く駆け出した。寮のある三階まで階段で一気に駆け上がり、自室に入るとSMB正式採用自動拳銃ベレッタM92Fをホルダーごと左腿に装備し、愛用の黒と赤の斑模様のロングコートを羽織って、煙草を一本取り出してくわえ、一階の車輌庫に向かった。

「遅い」

到着するなり不機嫌全開のブラックの鋭い一言を浴びた。シュガーは悪びれるでもなく時計を指差し、

「集合時間には間に合った。問題ないだろ?」

「一分前に来て偉そうに言わないの。さっさと乗りなさい、テロリスト達は待ってはくれないわ」

催促するブラックに従いシュガーは装甲軽輸送車に乗り込み、実働部隊員を乗せた四台の輸送車が本部ビルから出発し、件の工場区画へと向かった。

シュガー、ブラックが搭乗する現場作戦室を兼任する装甲車内では作戦会議を他の三台と無線を通じてミルクが進行役を担い、進んでいる。

短く切り揃えられた金髪、刃物で刻みこんだ様な眉間の深い皺、シュガーやブラックと同じ深紅の瞳、胸元には古く汚れたドッグタグ、黒い軍服とその下の鍛えられた肉体はミルクというコードネームには不釣り合いな程、屈強な姿だ。

「トヨタマでのテロを考えれば相手はパワードスーツを数体は所有していると考えられる。よって突撃はβチームが担当し、αチームは後方支援及び敵の退路を断つ事に専念しろ。シュガーは俺と一緒にβチームと突撃。ブラックはいつも通り後方支援に回れ」

「任せな」「了解」

シュガー、ブラックが同時に返事をし、互いに戦いへの意欲を見せつけ競争心に火を付ける。湧き上がるうずうず感にシュガーは笑みを強め、再調整したばかりの義足を愛おしそうに撫で、昂る感情を抑えた。

「なお、諜報課の情報によると百キロクラスのプラスチック爆弾を所有していると報告を受けています」

同伴していた情報解析課の課員が少々青ざめた表情で告げ、車輌内に緊張が走る。

「よくもそれだけの量を用意したな」

呆れ口調でため息を漏らすミルクにブラックの質問。

「敵が我々の強襲を受け、道連れにプラスチック爆弾を使用する可能性は?」

「ゼロとは言えんな。奴らもキュクロプスの電霆の配下に過ぎない捨て駒だ。最悪のケースにはどう行動すべきか叩き込まれている筈だ。もし奴らが自決しようとしたらお前が仲間を護れ、ブラック」

「はい」

使命感を刺激されたブラックの力強い言葉に張り詰めていた緊張が僅かに和らぎ、ブラックに対する仲間達からの信頼の厚さが伺えた。

負けず嫌いなシュガーは一人だけむっとしたが、下手に騒いで信頼関係にヒビを入れるのを恐れ、言葉を飲み込んだ。

 工場区画の入口に到着した輸送車からブラックが真っ先に降り、透視眼の力を駆使して斥候を行う。

 「どうだ、ブラック?」

 「ツバメの工場と敵を確認。数は六十六、パワードスーツ五体に大量の銃火器。予告の爆破テロで使われると思われるプラスチック爆弾も確認」

 「よし。βチーム、パワードスーツに搭乗し、北と東から挟撃する」

 四台の輸送車の内、大きな二台の後部ハッチが開き、中からSMBのロゴが描かれた流線型のボディを持つパワードスーツ――毘沙門天が合計八体、一斉に現れた。

 四天王の一尊に数えられ、日本では七福神の一尊とされ、勝負事に利益があるとされる毘沙門天の名を冠し、自衛隊や警察でも多数導入されているパワードスーツだ。

 SMBの毘沙門天は独自のカスタマイズがなされ、パワースピード共に同型のそれを凌駕する性能を保持している。

 実働部隊は殲滅特化兵を含めた歩兵で構成される歩兵部隊・αチームとパワードスーツのみで構成されたの機甲部隊・βチームに別れる。

 αチームを指揮するのは実働部隊隊長であるミルクでβチームを指揮するのは実働部隊副隊長である紅咲家人。

 「北側は俺が指揮する。東側は紅咲が指揮し、シュガーもその指示に従え」

 「あいよ、よろしく頼むよ、紅っち」

 装甲の奥に隠れた紅咲をあだ名で呼び、ニカッと笑うシュガーに紅咲はパワードスーツの右腕を上げて応える。

 「ツバメの工場から半径三キロ圏内の工場には避難勧告を出した。戦闘による施設への損害も国が負担してくれる。存分に暴れろ……SMB出撃!!」

 ミルクの号令と同時に全員が走り出した。先導するパワードスーツに負けない脚力で駆け出すシュガーとミルク。ブラックは跳躍を繰り返し、工場の屋根の上に登ると狙撃ポイントまで移動を開始。歩兵部隊は半数が輸送車と退路を確保し、半数はβチームに追随する。

 いち早く狙撃ポイントに到着したブラックは片膝立ちの狙撃体勢を取り、テロリスト達の様子を伺う。

 雑談する者、武器の手入れをする者、神に祈りを捧げる者――全員が白人、アメリカ系とユダヤ系。

 内、一人の顔を識別し、擬似脳を介してSMBのマザーサーバーにツバメの工場の外国人派遣社員の名簿に照会を依頼――二秒後、一致を知らせるアラームが鳴り響く。

 テロリスト達の正体は工場で働く外国人派遣社員で確定。ツバメを隠れ蓑とし、様々なテロ行為を行っていたに違いない。

 『こちら紅咲。突入ポイントに到着。いつでも行けるぜ』

 『こちらミルク。突入ポイントに到着した。ブラック、中の様子は?』

 『いつでも行けます』

 通信越しにミルクとシュガーが笑ったのをブラックは直感的に悟り、呼応する様に胸が高鳴るのを感じた。

 『ブラック、やれ』

 戦闘開始の合図を任された重荷が一気に両肩に圧し掛かり、相棒の対物侵徹ライフルが重く感じられた。

 だがそれは誰かがやらなければならない事。それを今やるのは自分。自分が痛みを背負う事で、誰かが痛みから逃れられるなら、自分は痛みを受け入れよう。

 ブラックの瞳が狩人の眼差しに変貌し、神に祈る男の額に照準を合わせ、引金を絞った。

 一発の銃弾は真っ直ぐに男に飛来し、頭を撃ち抜き、同時にシュガー達が搬入口と併設された天井クレーン区画から突入を開始した。完全に意表を突かれたテロリスト達は混乱し、武器を構える暇なく、銃弾の餌食になっていく。

 シュガーは風の防壁を全方向に展開し、仲間の銃弾が飛び交う場所に一瞬の躊躇いなく踏み込み、目前に迫ったテロリストの肋骨を内臓ごと蹴り砕き、口角を釣り上げる。

 突入の掃射から逃れたテロリスト達が体勢を整え、反撃を開始し、敵のパワードスーツも起動する。

 SMBの毘沙門天と同型の流線型のボディのパワードスーツは両手に軽機関銃を装備し、銃口をシュガーに向け撃ったが風の防壁が銃弾を逸らし、一発も届かない。

 『シュガー!!』

 ミルクの無線通信。それが何を意味するか、シュガーは一瞬で理解し、離れた位置で対峙するミルクとパワードスーツの方を一瞥し、右手を軽く振るった。

 夏に吹けば心地良く感じる程度の風がミルクの位置から発生し、真っ直ぐにパワードスーツに向かうがダメージ等与えられる筈もなく、パワードスーツは掃射を続ける。だが、シュガーの起こした風は通り道に過ぎなかった。

 刹那――シュガー達がいるエリアがカッと明るくなり、紅蓮の炎が風の通り道を瞬く間に侵食し、パワードスーツを包み込んだ。

 強固な装甲をも溶かし尽くす数千度の炎に飲まれ、装甲は数秒と耐え切れずに崩れ、中の操縦者を焼き殺し、生身のテロリストも数人灰燼と化した。

 「うっひょぉ、相変わらずすげー威力!!」

 シュガーが子供の様に喜び、炎の発生源であるミルクを見た――機械の両腕を包み込む紅蓮の炎がシュガーの闘争心を駆り立てる様に轟々と揺らめいている。

 カグツチ――ミルクの異能の力にして、炎を生み出す能力。

 シュガーの風神が防御と移動、ブラックのサテライトアイが空間認識と狙撃、それぞれに特化した能力とするならば、ミルクのカグツチは超攻撃特化の能力にしてシュガーの風神と相性抜群の能力。

 強過ぎる火力は仲間にも被害を与えかねず、チームで動く場合は仲間の位置を考慮して使わねばならない能力だが、シュガーの風神で炎の通り道を作ってくれれば、狙った場所だけを焼き尽くせる。

 シュガーは更に通り道を二つ形成し、ミルクの炎が一瞬で侵食し、テロリストを焼く炎の弾丸と化す。

 「ほらほらぁ!! 反撃してみろよ!!」

 自身も風の弾丸と化したシュガーはテロリスト達を次々と蹴り殺し、アメリカ流のファックサインで挑発する。

 それに応えるテロリストの銃撃もシュガーには届かず、物陰から頭を出した瞬間、毘沙門天の掃射の直撃を食らい、ボロ雑巾と化した。

残った四体のパワードスーツが反撃の一斉射撃を行うも、毘沙門天の装甲には傷一つ付かない。

 型こそ同じパワードスーツだが、使われている装甲素材や武器、駆動モーターは雲泥の差で敵のパワードスーツは蚊に刺された程度のダメージも与えられない。

 逆に毘沙門天の12.7×99mm徹甲弾の掃射で装甲の破片と血肉の派遣を撒き散らし、動きを止めた。

 突入から十五分、テロリストの数は半数以下になったが地の利を活かした防御態勢を取った為、粘り強く耐えていた。工場内は防火シャッターにより通路を分断されて迷路の様に複雑化し、隠れたテロリスト達を見つけ出す事は容易ではなく、ミルクの命令を押し切って単独行動を取ったシュガーは、完全に道に迷っていた。

 「ちきしょー……腰抜けテロリストめ。股間の松茸は飾りかよ」

 下品な悪態を吐きながらトラップと伏兵に注意しながら前進するシュガーにミルクからの無線通信が入る。

 『シュガー!! 単独行動は危険だ。早く戻れ』

 『それがさ、戻りたくても道が分かんないんだよね。何処もシャッターが降りているし……ブラック、道案内頼める?』

ブラックに援護を頼んだ瞬間、背後で気配――機械の駆動音。

 『シュガー逃げて!!』

 ブラックの無線通信に反射的に目の前のガラスドアを破って部屋に飛び込み、パワードスーツの掃射から逃れる。

 「やってくれるじゃんか!!」

 臨戦態勢を取り、風の防壁を全方向に展開するシュガーに再び無線通信。

 『駄目!! シュガー早くその部屋から出てっ』

 脳内で響くブラックの声が爆音によって遮断される。シュガーの背後で突如爆発が起こり、シュガーは自分が破ったガラスドアから再び廊下に戻され、抵抗出来ずに数メートル転がって壁に激突し、苦悶の声を漏らすシュガーに再度パワードスーツの掃射が襲い掛かる。

 激痛で能力を上手く扱えないシュガーは物陰に隠れ、銃撃を防ぎつつ、爆発による怪我はない事を確認する。

 爆発の瞬間、動物の本能的反射力で風の防壁を背後に全力展開し爆風から身を守ったのだが、完全には流し切れず、部屋の外まで吹き飛ばされてしまった。

 「まずったかな……今の状況でパワードスーツの相手はきついな」

 一向に聞こえてこないブラックの援護射撃の音に現在位置がブラックの援護が届かない位置である事を知り、急激な孤独感に襲われる。

 『シュガー!! 返事して、シュガー!!』

 『生きているよ。只、ちょっと不味い状態』

 ブラックの悲痛な呼び声に極力明るい声で応えるがそんな事で状況が好転する事も無く、パワードスーツとの距離はどんどん縮まって行く。

 『紅咲副隊長が向かったから後少し耐えて!! 私も行くから』

 『馬鹿!! お前の役割を放棄するな!! お前の援護を必要としている奴の為に戦え。爆発は私の所だけじゃないんだろ。紅っちが来るなら、それまで耐えてみせるさ』

 背後での爆発と同時に感じた数か所での空気の急激な震え――爆発の衝撃。風を生み出す能力の付加能力として空気の流れに敏感なシュガーはテロリスト達の思いもよらぬ反撃が同時に起こったのを知り、仲間も被害を受けた事を察した。

 『紅っちが来るまでどのくらいかかる?』

 『……一分は』

 『十分だ!!』

 苦しみを顔から一瞬で消し飛ばす好戦的な笑みに、シュガーの凶悪さを表す様にくわえた煙草が曲がった。

 脳内で響く警告を無視し、風の防壁と殺人的加速を生み出す風を両脚に纏い、物陰から飛び出し、パワードスーツに超加速の突進。

 予想された反撃を防壁で防いで更に加速し、右脚の渾身の跳び蹴り。脚の形にくっきりと凹んで亀裂が装甲に生じるが操縦者にダメージを与えるには至らず、慌てて空中で無挙動の後退――防壁を展開、脳内の警告は鳴りっぱなし。

 反撃の掃射がシュガーの腕を掠め、激痛と衝撃で意識が薄れかけ、慌てて擬似脳に覚醒物質を放出させて意識を繋ぎ止め、物陰に隠れて歯を食いしばる。

 「くそったれ」

 鳴りやまない警告への悪態――単独行動をとった自分への悪態を吐き出すのが精一杯で脳裏に死が過る。

 「ふざけんな、私。こんな所で死ぬ為にSMBに入った訳じゃないだろ」

 脳裏に蘇る、過去の情景。血臭と腐臭と闇に支配された小さな箱の中。新宿同時爆破テロ事件――あの日、一番の親友と買い物に出掛けたシュガーは事件に巻き込まれ、真っ暗なエレベータの中に二日間、親友の死体と共に閉じ込められた。

 爆発の衝撃で半壊したエレベータの天井の下敷きになり親友は即死、シュガーも両脚を瓦礫に挟まれ、身動きが取れず、身体を駆け巡る激痛と恐怖と戦った。

 二日目、流し過ぎた血により意識を失い掛けたシュガーは声にならない声で必死に叫んだ。死にたくない、と。

 だがシュガーの声は誰にも届かず、死が意識を支配した瞬間、彼女の中で生命を護る為に本能的に掛けているリミッターが砕けた――命を護る為に。

 途切れそうな意識の中、シュガーは初めて風を生み出す能力を行使し、ハリケーン並の突風で瓦礫を吹き飛ばした。

 シュガーがバイタリティフォースに目覚めた瞬間だったが、目覚めたばかりで行使すれば脳は酷使されて廃人化のリスクが高く、事実、シュガーは意識を殆ど失い、廃人一歩手前状態だった。

 まどろむ意識の中、シュガーは脚の痛みが失せ、誰かに優しく包み込まれた。

 顔は思い出せない。だが自分に向けられる優しい言葉と煙草をくわえた横顔のシルエットだけは今でもはっきり思い出せた。

 名も顔も知らない誰かに助けられ、シュガーは一命を取り留め、自身がバイタリティフォースに目覚めた事を知ると、迷いなく戦う道を選んだ。

 自分の両脚を奪ったテロリストへの復讐と、自分を助けてくれた誰かの様になりたくて――自分も誰かを助けたくて。

 胸に秘められた想いに呼応する様に機械の脚がうずうずした。一度は失った筈の感覚、もう二度と感じる事はないと思った人としての感覚が、シュガーの闘争本能に火を付け、現状を打開する妙案をもたらした。

 『……紅っち。今こっち来たら危ないよ』

 『何?』

 紅咲への無線通信をしながらシュガーは右手を軽く振るい、風の流れを作った――パワードスーツの背後で燃える一室へと。廊下の空気が一斉に部屋へと流れ込み、燻ぶっていた炎が急激に大量の酸素を得て瞬く間に勢いを増してバックドラフト的猛火を巻き起こし、風の通り道にいたパワードスーツ目がけて侵略した。

 パワードスーツは炎に包まれながらもがき、必死に逃げ出そうとするが狭い廊下に逃げ場はなく、やがてシュガーが作った亀裂により灼熱地獄と化した操縦席の熱さに耐え切れなくなった操縦者が装甲を空けて外に飛び出し、炎の餌食になった。

 「ざまぁみやがれ」

 アメリカ流のファックサインを焼死体に向け、勝利の笑みを浮かべるシュガーの脳内に紅咲からの無線通信が響く。

 『シュガー、一体何をした!? 警告がなかったら俺も炎に飲まれていたぞ』

 『遅いよ紅っち。丁度倒した所さ』

 ニシシと笑い、悪びれた様子もなく返事をし、ついでに自分を心配してくれたブラックにも声を聞かせてやる事にした。

 『ブラック、私は無事だ』

 『……』

 『ブラック?』

 返事のないブラックに、今度は彼女がピンチなのではないかと不安に駆られ、思わず走り出そうとしたシュガーだが微かにブラックの声が聞こえ、脚を止めた。

 『シュガーのバカバカバカバカバカバカバカバカバカ。こんなに心配させて……謝っても許さないんだから』

 呪詛の様なブラックの無線通信に思わず寒気を感じ、身体を抱き締めるシュガーだが、直ぐに破顔し、堪え切れずに声に出して笑い出し、ブラックが顔をしかめたのが手に取る様に分かった。

 『本気で心配してくれたんだ。ブラックは優しいね』

 『……撃ってやる。今から撃ってやる!! その頭撃ち抜いてやる!!』

 冗談の一切含まれないマジギレ状態のブラックの声にもシュガーは笑みを消さず、感謝の念を込めていつもの台詞を言った。

 『愛してるよ、ブラック』

 『っ!! あんたね!!』

 更なる毒の籠もった言葉を吐き散らそうとした時、ブラックの深紅の双眸が想定されていた中で最悪も事態を捉え、一瞬の後に全隊へ無線通信。

 『敵がプラスチック爆弾の起爆の準備を開始!! 私のポイントから狙撃出来ません!! 全隊退避!!』

 恐怖の混じったブラックの声にシュガー自身も戦慄したが逃げようとは思わず、ブラックに無線通信。

 『ブラック!! プラスチック爆弾は何処だ!?』

 『シュガー何言ってるの!! 早く逃げて!!』

 『馬鹿! プラスチック爆弾百キロクラスだぞ! この工場が木端微塵に吹き飛んでもお釣りがくる威力だよ、逃げたって間にあわない、阻止するしかない!!』

 シュガーの迷いのない真っ直ぐな言葉にブラックはシュガーの位置とプラスチック爆弾がある位置を確認し、擬似脳を介して3D地図をシュガーに転送。

 『シュガーが一番近い、急いで!!』

 『任せな!!』

 ニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、シュガーは義足の出力を最大にし、走り出した。

 『おっと、シュガー一人で行かせる訳にはいかないな』

 背後から機械の足音――紅咲の毘沙門天がぬっと現れ、シュガーに追随する。

 『援護はお任せあれ』

 『頼りにしているよ、紅っち』

 一人と一体が全速力で廊下を進み、毘沙門天の掃射で防火シャッターを突破し、ブラックの可能な限りの援護射撃が迫る敵を的確に排除していく。

 「この先だ!!」

 分厚い扉を蹴破り、室内に跳び込んだシュガーの双眸が数名のテロリストと一体のパワードスーツを捉え、相手も同時にシュガーを捉え、銃口を向けてきた。

 シュガーは物陰に隠れ、紅咲は銃弾をものともせず、機関銃を掃射するが別の扉から最後のパワードスーツが現れ、紅咲の毘沙門天に掴みかかり、もう一体のパワードスーツも掴みかかった。

 「そういう趣味はないんでね!」

 強烈な蹴りが一体のパワードスーツを捉えたがもう一体に邪魔され、威力は激減し、破壊に至らなかった。装甲や駆動モーターの差があると言え、相手も最新型のパワードスーツであり、苦戦は免れない。

 『シュガー!! 起爆を阻止しろ!!』

 『任せて!!』

 銃撃の合間を縫ってシュガーは物陰から跳び出し、鳴り止まぬ警告を無視して防壁を展開して突進し、一人目を蹴り倒し、更に前進。

 「ぶっとべえええええええ!!」

 腕と脚に数発被弾しながらも残りの三人を同時に蹴り飛ばした。

 爆破は阻止出来た――そう思った瞬間、背後に殺気を感じ、振り返る間もなく吹き飛ばされ、床の上を転がった。

 『シュガー!!』

 脳裏に響くブラックの声で意識だけは繋ぎ止めるも、腹部を殴られた痛みで立つ事が出来ない。視界の遠くで自分を殴り飛ばした一体のパワードスーツが起爆の準備を進めるのが虚しい程、鮮明に認識出来た。

 身体は動かず、頭の中の警告音も鳴り止まず、ブラックの声が絶え間なく響き、視界の隅で紅咲の毘沙門天が敵のパワードスーツに馬乗りにされているのが見えた。

 「……動けよ、くそったれ」

 自分がやらなければならない。もし自分が此処で痛みと恐怖に負け、戦う事を放棄したら自分だけではなく、仲間も爆発に巻き込まれて死ぬ。

 それだけは嫌だった。シュガーにとって、仲間が全てだった、親友が心の拠り所だった。

 両親はどうしようもない屑で酒、煙草、ギャンブル、性欲に溺れ、ストレス解消の為にシュガーに暴行を加えた。家庭に安らぎはなかった、シュガーは友達を頼った――自分を受け入れてくれる誰かを。

 心から信頼出来る親友が出来て、痛みだけの毎日に光が射し、親からの暴力にも耐える事が出来た。しかし、その友は名も知らぬ屑野郎――テロリストに奪われた。

 シュガーは手に入れた力で復讐すると誓った。この世のテロリスト全員に。そして、これ以上仲間を、友を失わないと心に誓った。

 「失って、たまるか」

 人差し指だけ伸ばした右手を、起爆装置をセットするパワードスーツに向け、風を生み出す。

 シュガーの周りに風が発生し、彼女の長い前髪を乱暴に掻き乱し、深紅の双眸があらわになり、瞳は真っ直ぐに倒すべき敵を捉えていた。

 風はシュガーの指先に集中し、途方もなく圧縮されたキャンディー大の風の塊が出来上がる。

 微々たる風も長い月日で硬い岩をも侵食する力を秘め、未曾有の暴風を前にした人間は成す術もなく呑みこまれるのみ。

 それが風の力――大地を削り、炎を猛らせ、脅威を拒絶し、空を駆ける力。シュガーが目覚めた仲間を護る為の力。

 「くらえ」

 シュガーは超圧縮された風の塊を放った。文字通り弾丸となった風の塊はパワードスーツの装甲を突き破り、寸分の狂いなく操縦者の頭部を撃ち抜いた。

 ドッと前のめりに倒れるパワードスーツを見て、シュガーはニヤリと笑い、アメリカ流のファックサインを向けた。

 「ざまぁ……みやがれ」

 頭が砕けそうな激痛がシュガーを襲う。擬似脳の限界を越えたバイタリティフォースの行使により生身の脳がダメージを受けたのだ。

 シュガーの瞳が濁り、笑みが消え、口から煙草が床の上に落ちた。

 「シュガー!!」

 誰かの声が鼓膜を震わせた。誰かは分からず、まどろんだ意識ではろくに反応する事も出来ない。

 「しっかりしろ、シュガー!!」

 誰かに抱きあげられるのが分かった。ゴツゴツした硬い腕――しかし優しさが感じられた。

 誰かはシュガーを抱えたまま走り出し、ひっきりなしにシュガーの名前を呼び続け、シュガーも本能的に声に反応し意識を保とうとする。

 シュガーは気力を振り絞って、自分を抱える誰かの顔を見た。重なる面影――自分を助けてくれた煙草をくわえる横顔。

 ――あぁ、私はまた助けられたのか。

 そう思った瞬間、嬉しさよりも悔しさが込み上げ、涙が頬を伝った。

 自分は弱い――仲間をまともに護る事すら出来ず、助けられてばかりで、強くなった気でいても少ししか成長していない。

 自分の未熟さが悔しかった。今よりもっと、もっと強くなりたいと願った。仲間を護る力が。

 まどろんだ意識の中でどうしてそこまで強く想えたのか、シュガー自身にも分からなかった。

 そしてシュガーは眠る様に意識を失った。

 

 「以上が報告になります」

 SMB本部ビル――八階、総隊長の執務室。席に座る楓子とその脇に立つ漣を前に、ミルクは昨日のツバメ工場制圧作戦の結果報告を済ませた。

 シュガーの働きにより、爆破は阻止されたが当の本人はバイタリティフォースによる脳の酷使により昏睡状態に陥った。現在はベッドの上で横になっている。

 医師によると脳へのダメージは軽微で直ぐに目覚めるとの事だった。

 「報告ご苦労様、ミルク。これでテロリストと繋がったツバメのアメリカ系資本家を逮捕する事が出来そうだわ」

 ツバメの工場に残された情報を解析した結果、テロリストと資本家の間で武器と麻薬のやり取りがあった証拠が見つかり、国際法に則り、今日の午後には資本家はアメリカ政府の手によって逮捕されるだろう。

 この資本家は日本国内最大のテロ支援組織のひとつ、キュクロプスの電霆の出資者である事は明白で、少なからず彼等に打撃を与えた事になり、今回の作戦はそれだけ考えても大成功と言えた。

 「しかし、最新のパワードスーツは国際法によって売買が厳重に管理されています。恐らく資本家はパワードスーツの売買には関わっていないでしょう」

 「そうね。プラスチック爆弾の件を含め、キュクロプスの電霆の武器兵器量は異常だわ、露骨過ぎるくらいに。これはバックに国がいると叫んでいる様なものだわ」

 「そう思わせる為にフェイクの可能性もある?」

 「現時点での情報だけでは判断出来ないわ。情報を更に解析し、武器密売ルートの解明を急いで」

 「了解しました」

 ミルクは敬礼し、きびきびとした動きで退室し、そのまま五階の医療フロアに向かった。

 エレベータを降り、シュガーが眠る病室へと向かう。

 ミルクは昨日の作戦でシュガーが倒れた事に少なからず責任を感じていた。部下の負傷は上司である自分の責任。シュガーの単独行動を許したのは自分であり、直ぐに援護を向けなかったのは自分の判断ミス。

 自身に対する怒りが込み上げ、眉間の皺がより深くなり、表情が一層険しくなる。

 「入るぞ」

 シュガーの病室にノックをしてから入室し、まずベッドの横に座るブラックと如月が目に入った。二人はミルクを見ようともせず、ずっとシュガーを心配そうに見つめていた。

 ミルクはベッドの脇に立ち、まだ寝たままのシュガーを見下ろした。年相応の安らかな寝顔。太股の真ん中辺りから下に膨らみはなく、義足が外された状態である事が分かった。

 誰も喋ろうとせず、誰もシュガーから目を放さない。

 ブラックに至っては帰還してからずっとシュガーの傍にいて、食事も睡眠もとっていない。目の下には隈が出来、頬は気持ちやつれている。

 如月もシュガーの義足の整備が終わってからはずっと傍にいて、ブラックと同じく一睡もしていない。

 シュガーが仲間を想う様に、仲間もまたシュガーを想っているのだ。シュガーが知ったらきっと照れながらもニヤリとした笑みを浮かべるに違いない。

 医師は直ぐに目覚めると言ったが既に丸一日近く目覚めない。

 「……ブラック、如月、少し休め。お前達まで倒れたら元も子もない」

 「シュガーが起きるまで寝ない」

 ブラックがミルクの言葉を拒絶する様に早口に言い、それっきり黙ってしまい、如月に至っては一言も発せず、じっとシュガーを見つめていた。

 二人の強情さにミルクはため息を漏らし、妥協案を提示する。

 「だったらせめて、なにか飲め。ブラックは珈琲で良いな。如月は?」

 「……お茶でお願いします」

 渋々と言った感じで如月は返事をし、ミルクは同階にある医療課オフィスに向かう。

 「あら、ミルク。こんにちは」

 オフィスに入るなり、隙のない艶めかしい声がミルクの鼓膜を擽った。

 二十畳程のオフィスの一番奥の席に白衣を纏った女性が我が家の様にくつろいだ体勢でミルクを出迎えた。

 ブラインドカーテンの隙間から差し込む午前の日差しが膝まである長い黒髪を妖艶に魅せ、化粧が程良くのった小顔を強調し、色香に満ちたサキュバスの瞳が見る者を捕らえて離さない。

 SMB医療課責任者にして、世界で十人しかいない擬似脳移植手術のライセンスを持つ妙齢の淑女、白田聖。

 「飲み物を貰いに来ました。給湯室を借りても?」

 「良いわよ。紙コップは戸棚の一番下。珈琲とお茶は一番上。牛乳は冷蔵庫の中でお鍋は流しの下よ。お湯は魔法瓶を使うといいわ」

 聖はシュガーの病室での会話を全て聞いていたかのようにミルクが必要とする物全てを言い当てニコリと笑った。

 「……お借りします」

 背中に流れる冷たいものを感じながらミルクは給湯室に入り、紙コップを出して、無言で作業を進めていく。その背中を聖は笑みを浮かべたまま見つめ、ふいに一言。

 「安心しなさい。シュガーはもうじき眼を覚ますわ」

 肩の重荷をそっと退けるような聖の優しい声に、ミルクの眉間の皺が僅かに緩むが額を冷たい汗が流れ、わざとらしくため息を漏らし、顔を聖に向ける。

 「貴方は何でもお見通しだ。時々怖くなる」

 デスクの上でそびえ立つ本の摩天楼の向こうからクスリと聖の楽しそうな声がした。

 「だって貴方達の擬似脳には私専用の盗聴器が内蔵されているのよ。私に隠し事は不可能よ」

 ミルクの表情が凍りつき、聖の艶やかな口の角が悪戯につり上がる。

 「冗談よ。幾ら私でもそこまでしないわ」

 「全く冗談に聞こえません」

 「主治医の言葉を信じなさい」

 聖はもう一度笑みを浮かべ、ウフフと笑いを漏らした。

 妖艶な外見とは裏腹に悪戯好きの子供の様な性格の聖だが十代で世界各国の医療資格の九割を取得し、成功確率二十%以下の擬似脳移植手術で現在百%の成功率を誇る天才だ。

 ミルクやシュガー達も聖の手によって擬似脳を移植され、心身共に世話になっている人物で頭が上がらない。

 医療の天才であると同時に心理学にも精通していて、ミルクがオフィスを訪れた時間、状況、眉間の皺や普段と違う雰囲気からミルクがシュガーの病室を訪れ、一睡もしないブラックと如月を見兼ねて飲み物を取りに来たと推測したのだ。盗聴器が無くても聖に隠しごとや嘘は一切通用しないとミルクは彼女の恐ろしさと共に改めて実感した。

 飲み物の準備を終え、器用に三つの紙コップを持ち、礼を言ってオフィスを出て、病室に向かう。

 空いている左手でスライドドアを開けると、長い前髪の隙間から覗く深紅の瞳と目があった。

 「おう、おはようミルク」

 火の付いていない煙草をくわえたシュガーはいつものニヤリとした笑顔で遅めの挨拶をし、その傍らで頑なに寝る事も食事をとる事も拒んでいたブラックと如月がベッドに突っ伏して寝ていた。

 「目が覚めたのか」

 「丁度さっきな。お、気が利くね」

 シュガーの分はなかったがミルクは仕方なく自分用のホットミルクを渡し、自分はブラック用の珈琲を飲む事にした。

 「そういえば、作戦はどうなった?」

 「お前のお陰で一人の負傷で成功に終わった。アメリカの資本家とテロリストの関係が明るみになり、今日の午後には逮捕されるそうだ」

 「そっか……」

 シュガーは嬉しさと悔しさと怒りの入り混じった複雑な表情で頷き、ホットミルクを一口飲んだ。

 作戦が成功した喜び、自分が唯一の負傷者になった情けなさ、利益の為にテロリストと手を組んだアメリカの資本家に対する憤り。甘い筈のホットミルクが少し苦く感じた。

 「ブラックから聞いたよ。倒れた私を助け出してくれたのはミルクだったんだってな。ありがとな」

 ニッコリ笑って感謝を表情で表現するシュガーにミルクは首を横に振り、申し訳なさに満ちた瞳でシュガーをみつめた。

 「俺の判断ミスでお前に無理をさせたんだ。責められる事はあっても感謝される事はない」

 「素直に感謝を受け取ってくれよ。でもミルクのそういう所が好きだよ」

 呆れつつも、ミルクという男の真面目な真っ直ぐさがくすぐったい程に心地良く、シュガーは心が暖かくなるのを感じた。

 もう一口ホットミルクを飲み、自分が目覚めて一言二言言葉を交えた瞬間、糸の切れたマリオネットの様に眠りに落ちた仲間二人を愛おしい目で見つめ、ブラックのサラサラした髪をそっと撫でた。

 「ブラックの捻くれた真っ直ぐさも好きだ。如月の善意だらけの真っ直ぐさも好きだ」

 「お前の仲間を想う真っ直ぐさも評価するに値する」

 「そこは好きって言ってくれよ」

 堪え切れずシュガーは声に出して笑い、ミルクも渋い笑みを浮かべた。

 戦いの傷を癒し、次なる戦いへ真っ直ぐに歩んでいけるように。

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