一話 灰髪の殺戮人形


 死は恐ろしい―――
 如月フィオナは死の恐怖を何度も味わってきた。死にたくないとその度に抗い、生き残ってきた。
 戦いの中で生き残るだけの実力がフィオナにはあった。
 だが生きる上で最も大切なピースが、フィオナには欠けていた―――
 
闇夜に紛れ、フィオナは廃墟を疾走していた。
 インフェーノ国第八貿易都市カイーナの南西に位置する打ち捨てられた廃墟群。フィオナはその中心にある、かつて国で最も栄えた宗教の教会を目指していた。
 教会を目指しているのはフィオナ一人では無い。彼女の背後から一人…二人…三人。フィオナ同様、黒い服を纏い闇夜に紛れ、フィオナに追随している。
 暑さが残る九月の夜空は星一つ観えない曇り。今にも雨を降らせそうな積乱雲が頭上で、人の目には分からない速度でゆっくりと落下している。
 瓦礫が散乱する道を第七魔道白兵隊の四人は舗装された道を進むかの如く難なく走っていく。
 魔道白兵隊―――インフェーノ国の警察機構に属する非公式の魔道部隊だ。魔道部隊とは同じく警察機構に属する警察官・軍人・戦闘員の中で魔道術を扱える者でのみ構成された国防の要となる部隊。
 一言で言えばエリート部隊―――魔道白兵隊は真逆の存在。
 魔道白兵隊の構成員は全員、服役中の罪人のみで構成されている。
 魔道と言う力が世界中で当たり前に使用されている世界、フィムブール。
 だが魔道の力を先天的に扱える者―――総称して『ジーク』と言う―――は全人口の一割程度。
 それ故、例え犯罪者でもジークは貴重な戦力となる。
 ジークは一般人と比べて寿命が長く、最低でも三百年は生きる。戦闘能力・従軍年数を考えればジークは文字通り一騎当千の戦力となるのだ。
 しかし、魔道部隊はエリートが集まる崇高な部隊。犯罪者が一員になる事は許されない。
 その為の魔道白兵隊。入隊の報酬として全ての犯罪歴の抹消を約束されるが代わりに最低でも百年間以上、魔道白兵隊に属し、国の為に命を捧げなければならない。
 もし逃亡しようものなら身体に埋め込まれた魔道爆弾を起動させられ、人生に幕を引かれる。
 フィオナは公式には服役中の身だ、終身刑で。罪名は殺人。
 フィオナは実の父親を殺している。インフィーノ国では親殺しは最も重い罪とされ、如何なる理由があろうと終身刑は免れない。それが性的暴行から身を守る正当防衛だったとしても。
 
フィオナが教会に一番近い廃屋に到着した。残る三人も後を追う様に到着し、半壊した壁から教会の様子を伺う。
今宵、フィオナ達が何故、第八貿易都市カイーナの南西の廃墟群を訪れたか。勿論、非公式の任務だ。
任務の内容は魔道犯罪集団の壊滅。構成員の生死は問わない。三カ月程前から第八貿易都市カイーナでは魔道兵器を用いた強盗事件が多発していた。被害総額は一億バル。分かり易く円に換算するとおよそ二百億円。
魔道犯罪集団―――ジークが所属、或いは魔道兵器を扱っている犯罪集団の事を指す―――が起こした事件の中で歴代十位に入る被害総額。事態を重く見た警察機構は第七魔道白兵隊に事件の解決を指示し、第八貿易都市カイーナに派遣した。
第七隊のメンバーはフィオナを含め、此処に居る全員。
隊長である如月フィオナ。『人形の様な顔立ち』に『灰色の長髪』。人形の様な顔立ちと言うのは比喩では無い。フィオナの表情には感情の一切が無い。
いつも無表情で一切の感情が無いかの如く事務的に話し、人を殺す姿は機械仕掛けの殺戮人形の様。
 フィオナの一番近くに居る小柄の青年はマーク・トンプソン。第七隊最年少の十七歳。最年少と言ってもフィオナとは三つしか違わない。ボリュームのある金髪、発育途中の肉体、幼い顔つきながら幾多の修羅場を乗り越えてきた事実を感じさせる強い意志の宿った碧眼は自ら志願した勇敢な少年兵風情。
 潜在能力が全魔道白兵隊の中で最も高いと言われ、多種多様の魔道術を扱える。
 マークの隣に立つのが第七隊最年長の紀彦・クリントン、二十五歳。オールバックにした黒髪、深紅の鋭い双眸、鍛え上げられ、服の下の数多の傷が刻まれた肉体は激戦を生き延びた戦車風情。
 最後の一人はジャック。フィオナと同じ二十歳。長めの茶髪に両耳には赤・青・黄―――三原色のピアスをし、誰よりも鋭い目つきは睨むだけで人を殺せそうだ。紀彦程ではないが、鍛えられた肉体は白兵戦で大いに活躍する。フィオナ同様、殆ど無表情であるが口は良く動く様は爆音轟かす戦闘機風情。
 「フィオナ、中の様子は?」
 ジャックが聞いた。
 フィオナは無言のまま。ジャックは咎める事もせず、フィオナが口を開くのをじっと待つ。
 「数三十、内二人がジーク。魔道兵器の数はおそらく情報通り、二十五」
 諜報員によりもたらされた事前情報通りの数だ。
 「この数で被害総額一億バルって事はそれなりの手練揃いって事か?」
 紀彦の独り言気味の質問。
 ジャックが答える。
 「此処は貿易都市。一年で金の流れが尤も多い都市だ。ジークが二人と運があれば後は雑魚でも三カ月で十分に稼げる値段だ。それに、それより上の被害総額は桁が二つ違う」
 「つまり雑魚の中で少しだけ突出しているだけか。で、その二人のジークの能力は分かっているのか?」
 再び紀彦の問い。ジャックの眉間に僅かに皺が寄り、フィオナが無表情で、マーク半信半疑の顔で紀彦を振り返った。
 「それも事前情報の中に含まれていたぞ」
 責める様なジャックの声色。それを今、初めて知った様な紀彦の驚いた顔。
 「またしっかりと情報確認しなかったのか!?」
 ジャックの良く動く口が棘の生えた言葉を吐き出す。
 「おいおい、こっちは運転手だぜ? 道中情報を確認する余裕なんてないだろ。それに…」
 「それに、なんだ?」
 紀彦は持っていた魔道兵器の安全装置を外し、視線をジャックから教会の前に居る見張りの人間に向けた。
 「どうせ殺す連中の事なんて覚えるだけ無駄だろ?」
 好戦的な声色、双眸、ニヤリと笑う口。それは獲物を捉えたジャッカルの凶暴な笑みに似て、早く暴れたくて仕方が無い様だ。
 呆れた様にため息を漏らしつつも、内心では紀彦の考えに賛同するジャック。腰のホルスターから同じ様に魔道兵器を抜き、安全装置を解除し、フィオナに目を向けた。
 「皆さん、準備は良いですか?」
 「いつでも」「いけるよ、フィオナ」「五分で片を付けようぜ」
 ジャック、マーク、紀彦が順番に答えた。フィオナは無言で頷き、右腰の鞘から魔道波ブレードを抜き、教会前の広場へと踊り出た。
 教会の入口には魔道兵器を持った魔道犯罪集団の構成人が三人それぞれ死角をカバーし合い、辺りを警戒していた。フィオナにはまだ気づいていない。
 広場の真ん中まで辿り着いたフィオナは魔道波ブレードに魔力を込め、横一文字に振るった。
 魔道波ブレードは魔力を込めて振るう事によって魔力で構築された刃を飛ばす事が出来る魔道兵器の一種。第七魔道白兵隊ではフィオナ一人が使っている。
 銃火器型の魔道兵器が一般化している中、剣型の魔道兵器をメインウェポンとして使用するのは物好きか、或いはフィオナの様に魔力を『肉体強化』に活用出来る者くらいだ。
 フィオナ達が隠れていた廃墟から教会広場の真ん中まで距離はおよそ百メートル。フィオナがその距離を駆け抜けた時間は僅か二秒弱。
 三人の構成員がフィオナの存在に気付き、銃口を向けた時には魔力の刃が三人の胴を斬り裂き、断末魔を上げる暇も無く血飛沫を上げ、瓦礫の上に転がった。
 走る速度を緩める事無く広場を駆け抜け、自身が斬った三つの死体には目もくれず教会の前に辿り着くと大きな扉を蹴破った。
 同時に魔道波ブレードを二回振るった。魔力の刃がフィオナの乱入に驚いた構成員を五人、死体へと変える。
 「敵だ!!」「うぎゃああああああ!! 俺の手が!!」「ぶっ殺せ!!」「逃がすな!!」
 悲鳴と怒号が入り乱れ、魔道兵器の銃口が一斉にフィオナに向けられ、引金が引かれた。
 亜音速で飛来している筈の銃弾は一発もフィオナに当たる事は無かった。引金が引かれた時には既にフィオナは教会の中を疾走していた。一番手間に居た構成員の男を脳天から真っ二つに斬り倒し、血飛沫を僅かに浴びながら次の獲物へと足を向ける。
 「くそっ!こいつ警察のもん、ぎゃあっ!!」
 「相手は一人じゃないぜ?」
 フィオナに意識が集中し、彼女が蹴破った扉から我が物顔で教会内に入ってくる紀彦達に、構成員は誰ひとり気付かなかった。
 紀彦の手には魔道犯罪集団の構成員が持っている物と同じアサルトライフルタイプの魔道兵器が握られ、フィオナが居るにも関わらず、何の躊躇いも無く引金を引き、フルオートで、魔力で構成された銃弾―――魔力弾が犯罪集団の構成員を、教会の壁を、床を無慈悲に破壊していく。
 銃口が紀彦達にも向けられる。三人は散開し、それぞれ物陰に隠れる。
 柱の陰から様子を伺うジャックの手にはリボルバー式の魔道兵器が握られていた。四十五口径の魔力弾を発射する凶悪な兵器。自分に向けられている銃声が止んだのを見計らってジャックは柱から飛び出し、三回続けて引金を引いた。一発は拝礼者用の椅子を粉々に破壊し、二発目と三発目は二人の構成員の脳味噌を四散させる。
 飛び交う銃弾の中を、フィオナは颯爽と駆け抜け、敵を一人、また一人を斬り伏せていく。銃弾は一切彼女に当たらず、銃弾が意志を持ってフィオナを避けていると錯覚する程だ。
 攻撃がフィオナとジャック、紀彦の三人に集中するのを見計らってマークが動いた。手には魔道と聞いて一般的にイメージする黒いローブを纏った魔法使いが持つ様な一尺五寸程の短い杖。
 先端には長細く、紅蓮に輝く魔力の水晶が埋め込まれ、マークの魔力を最大限に引き出し、魔力を吸い取る能力を有する杖だ。
 「フィオナ下がって!!」
 マークが言い終わる前にフィオナはマークの隣に移動した。マークは驚きもせず、ただ微笑すると、軽く杖を振った。
 水晶が強い光を放った。教会内を太陽が現れた様な強い光が包み込み、一瞬後、杖の先から白い炎が出現、魔道犯罪集団の構成員に襲い掛かった。
 『無慈悲なる者』。マークのもっとも得意とする魔道術の一つ。
 純白の劫火が教会の中を駆け巡る。悲鳴と銃声が教会の高い天井に響き、木霊する。
炎は無慈悲な神の如く男達を包み込み、一瞬で骨まで灰にしていく。
その光景は神が神聖なる教会を拠点にした無法者達を裁いている様にも観えた。
普通の人間にこの炎を防ぐ術は一切無い。ただ受け入れるしかない。
 人のみを焼く炎、『無慈悲なる者』。瓦礫の上に人が居た痕跡があるとすれば魔道兵器と不自然に放置された衣服だけだ。
 「終わったか?」
 紀彦が銃を肩に担ぎ、呑気な声で言った。すかさずフィオナがそれを否定する。
 「ジークの二人が無傷です」
 フィオナは教会の中央に躍り出て、憤怒に満ちた顔のジーク二人と対峙した。
 マークの『無慈悲なる者』はジーク以外の人間に対しては絶対防御不可能の魔道術と言えるが、ジークに対しては魔道防壁一つで防がれてしまう程度の魔道術だ。
 「薄汚い犬共が…」
 肉団子かと疑ってしまう程身体の肥えたジークが豚の様にダミった声を漏らした。
 手には無反動砲型の魔道兵器―――通称魔道砲―――が一丁ずつ握られ、発射口がフィオナに向けられていた。
 だがフィオナは眉間一つ動かさず、二人のジークを冷めた瞳で見つめていた。その瞳が肥えたジークの怒りに油を注いだ。
 「小娘が、コケにしおって!! 焼け死ぬが良い!!」
 肥えたジークは二丁の魔道砲の引金を引いた。轟音と共に砲身からフィオナを粉々に粉砕できる威力を持つロケット弾が発射され、瓦礫に命中し、爆炎を上げた。
 「え?」
 肥えたジークは素っ頓狂な声を上げた。それが最期の言葉となるとは肥えたジークは思っていなかったに違いない。
 引金が引かれる瞬間、既に床を蹴っていたフィオナはロケット弾が発射された時には肥えたジークの隣に立ち、素っ頓狂な声を上げると同時に魔道波ブレードを振り下ろしていた。
 刀身は項から臍に掛けて身体を両断した。肥えたジークの上半分が人の身体とは思えない鈍重な音を立てて、床の上に落ちた。
 残るは一人。長身で色白のジークだけ。血飛沫を浴びる事も構わず、フィオナは長身のジークに魔道波ブレードを突き出した。
 切っ先が身体を突き刺す感覚が柄から全身に伝わった。
 だが、肉を裂く感覚は一瞬で消失。長身のジークの姿も消えた。
 長身のジークは教会の真ん中に立っていた。不気味な笑顔を浮かべて。
 「…幻影魔道」
 フィオナが誰にも聞き取れない小さな声で呟いた。幻影魔道とは名前の通り、幻影を操る魔道術。
 フィオナの一撃を避けた術は幻影魔道のもっともポピュラーな術、『ミスト』。
 魔力で自分の分身を構成し、術者本人は不可視の魔道防壁で姿を隠す。
 奇襲にも使える多様性のある術だが、分身はあまり遠くに構成出来ず、逃走には不向き。更に分身を構成する時は集中力を必要とし、事前に分身を構成する以外、戦闘では役に立たない。
 だからと言って侮ってはいけない。幻影魔道は中級魔道術の中でも上位の魔道術。長身のジークが他にどの様な魔道術を扱えるか分からない以上、優勢とは言え、油断すれば返り討ちに遭うのは必至。
 長身のジークを真正面に捉え、フィオナは隙無く魔道波ブレードを構える。
 「…来い」
 長身のジークが手招いて挑発する。だがフィオナは動かない。長身のジークは不気味な笑顔を湛えたまま動こうとしない。
 沈黙が瓦礫の山を支配する。だが長くは続かなかった。
 先に動いたのはフィオナだった。床を蹴り、超高速で間合いを詰め、長身のジークに魔道波ブレードを一閃―――しなかった。
 長身のジークを間合いに捉えた瞬間、フィオナは跳んだ。長身のジークの頭上を越え、彼の三メートル後ろ、何も無い空間で魔道波ブレードを一閃した。
 勝負は決まった。フィオナの背後に居た筈の長身のジークは消滅し、フィオナが魔道波ブレードを振るった何も無い場所に長身のジークが驚愕に顔を強張らせ、立ったまま絶命していた。
 『ファウスト』―――『ミスト』に二重詠唱する事で発動できる二体の分身を連続で構成出来る術だ。フィオナが見破れたのは幻影魔道に耐性があるからではない。肉体強化魔道で超人の域まで強化された鋭敏な聴覚が、長身のジークの呼吸音を捉え、戦いの中で培われた勘―――第六感が大まかな位置を特定した。
 長身のジークと初めて対峙した時、フィオナは彼の臆病で狡賢い性格を見抜いていた。
 魔道波ブレードの血を払い、鞘に納め、相変わらず無表情のまま、淡々とした口調でフィオナは言い放った。
 「任務完了です。帰還しましょう」

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