七話 True End
第十九聖堂都市アリギエーリ。かつてインフェーノ国で最も栄えた宗教の総本山。
一時期、国民の七割が信仰し、国そのものが宗教によって左右される事もあった。
政府は信仰の自由を禁止し、武力を持って、その宗教を弾圧した。
第十九聖堂都市アリギエーリは宗教の名残のある唯一の都市で、都市から一生涯外に出ない事を条件に宗教家は信仰の自由を与えていた。
アリギエーリは宗教家にとって聖地であり、墓場であり、監獄だった。
三日前、ジョン・セイヴァーを筆頭とする反政府軍が組織され、政府に宣戦布告した。
反逆児に追われているジョン・セイヴァーが何故、政府に反逆したのか。国民の疑問は増幅し、政府は進む事も逃げる事も出来ない状態。
保身の為に魔道部隊を動かさなかったツケが一気に返ってきた。ジョン・セイヴァーの反乱に呼応する様に、各地で暴動やテロが多発。魔道部隊や軍部からもジョン・セイヴァーに着く者が多数現れ、たったの四日でジョン・セイヴァーの勢力は政府側と五分五分までに拡大した。
アリギエーリにはディーテの反乱でジョン・セイヴァーに着いた過激派の精鋭達が集まり、都市を制圧していた。
フィオナ達はアリギエーリから少し離れた場所で様子を伺っていた。
城壁の門は開いたまま。警備は通常と変わらない。
中の様子は伺えず、市民が殺されているのか、監禁されているのか、はたまた、反政府軍に協力しているのか、分からなかった。
フィオナ達がアリギエーリに到着したのは十二時間前。ジョン・セイヴァー率いる精鋭部隊もフィオナ達より数時間早く到着したばかり。
ジョン・セイヴァーが五つ目の封印を解いた時の様な現象はまだ起こっていない。『True End』はまだジョン・セイヴァーの手中に無いと考えて良いだろう。
封印の場所はトーマスが教えてくれた。アリギエーリ中央の大聖堂の地下。地下宮殿の最奥にあると。
侵入ルートも把握済み。後は時が来るのを待つだけ。
フィオナ達の怪我は全快とは至らなかった。激しく動けば身体に痛みは走り、傷が開いてしまう可能性もある。
だからと言って、フィオナ達に戦いを放棄する事は出来ない。
ジョン・セイヴァーを止められるのはフィオナ達以外に居ないのだから。
未だに政府側に着いている魔道部隊の半数は首都防衛に当たり、残りは各地の反乱制圧に駆り出され、その内の数部隊が旅団と共にアリギエーリに向かっている。
フィオナ達魔道白兵隊が動くのはその時。戦いの混乱に乗じて大聖堂を目指す。
アリギエーリは路地が複雑に絡み合い、さながら樹海の様。住民ですら迷う事がある言われる都市内部では精鋭とは言え来たばかりの反乱軍がまともに戦う事は至難の業。
フィオナ達は携帯端末で事前にアリギエーリの全体図を頭の中に叩き込み、大聖堂までの道順を覚えている。道順さえ間違えなければ大聖堂まで到達するのはさほど難しくない。
「来たぜ」
双眼鏡を覗いていた紀彦が呟いた。北の方角に政府軍の先頭隊が微かに見えた。距離は約一キロ。
フィオナ達の顔が一気に引き締まり、迫り来る戦いの音に耳を向けた。
「戦車部隊まで居るな。戦力は圧倒的に政府に軍配だ。反政府軍は何処まで持つか…」
精鋭部隊の数は約千人。対する政府側の数は三千人。
数で言えば政府軍が圧倒。兵の質で言えば反政府軍に軍配。
戦いは苛烈を極めるだろう。
と、大気を震わせる轟音が青空の下に響き渡った。
政府軍戦車部隊がアリギエーリに向けて砲撃を開始した。飛来した砲弾は外壁に命中。穴を空けるには至らなかったが先制攻撃としては十分な威力だ。
戦いの火蓋が切って落とされた。
「俺達も行くぞ」
家人の足元に人数分の霊獣が現れる。全員が霊獣に跨ると霊獣達は一斉に咆哮し、荒野を駆け出した。
車に匹敵する速度で疾走し、あっという間にアリギエーリの南門に到着する。
門を閉めようとしていた兵の横を一瞬で通過し、アリギエーリ内に無事侵入。
霊獣を降り、複雑な路地を走り出す。
複雑な路地を走るフィオナ達は妙な静寂の中に居た。
砲撃と自分達の靴音以外に音が無い。市民が逃げ惑う声も、反乱軍の兵士達の声を一切聞こえない。
そもそも人の気配が全く無い。生活の痕跡が無い。
その答えは直ぐに分かった。
複雑な路地は急に開け、代わりに別の光景が視界一杯に広がった。
先頭を走っていた家人は思わず足を止め、表情が凍りつく。
数百、数千、数万に及ぶ、墓標。
円を描く様に、均等に、同じ形の墓標が数え切れない程、終わりが見えない程立ち並んでいた。
「これは…一体?」
戸惑いを隠せない家人。
「これが、信仰の自由の正体でしょう」
フィオナは淡々とした口調で言い放った。
アリギエーリはインフェーノ国で唯一信仰の自由が保障された都市。そう、都市から一生出ない事を条件に。
信仰に対する政府の答えが目の前に広がる墓標だった。宗教家を誘導し、一人残らず闇に葬る。
立ち並ぶ墓標はジョン・セイヴァーに呼応する人々の掲げた手にも見えた。だがそれは錯覚。政府の罪の証。あまりに人非道的な行いに吐き気すら覚える。
「…行きましょう。ジョン・セイヴァーを止めなければ、国中が墓標で埋め尽くされる事になります」
ジョン・セイヴァーの目的は腐敗した現政府の打倒等と綺麗な目的では無い。自らの欲を満たし、破壊の上に理想国家を築く事。
フィオナ達は歩みを再開し、墓標の中を駆け抜けた。
墓標地帯を抜け、再び樹海の様な路地に戻った時、急に人の気配が生まれた。
反政府軍の兵士達だ。気配は左右と背後から。
「ジャックさん」
「任せろ」
ジャックの右手に魔力が集まり、リボルバーから土の色を帯びた魔力弾が放たれる。
三発の銃弾が背後の道、左右の壁に当たり、派手な音を立てて崩壊し始めた。
土塵魔道の使い手であるジャックに掛かれば加工されていようが石や土を操る事は造作も無い事。
崩れる音の向こうで人の悲鳴が響き、崩壊に巻き込まれるのを免れた兵士の怒号が鼓膜を震わせる。
ジャックの援護のお陰で兵士達とは一度も遭遇せず、目的地である大聖堂に到着した。
大聖堂の大門前には一個小隊に相当する人数の兵士達がフィオナ達を待ち構えていた。
「私に任せて」
路地の陰から狙撃銃を大門前の兵士達に向け、マリアは引金を引いた。
一発の銃弾が大門に命中。同時に高熱に圧縮された魔力が爆ぜる。
大門を溶かし、兵士達を断末魔すら上げる暇さえ与えず消滅させる。
唯一残ったのは二人のジーク。
マリアの『イフリート』を難なく防ぐと言う事は、熟練の使い手である事は間違いない。
「私が行きます」
返事を待たず、フィオナが路地から飛び出した。
百メートルの距離を一瞬で駆け抜け、魔道術を放とうとしている二人のジークの懐に飛び込み、
「え?」
素っ頓狂な声もろとも、斬り伏せた。熟練のジークでも肉体強化魔道の神髄に達したフィオナの前では幼子同然だった。
大量の血を吐き、二人のジークはドッと倒れ、動かなくなった。フィオナは熱で溶けた大門の穴から大聖堂の様子を伺った。
静寂に包まれた荘厳な大聖堂の中身は信仰する者の居ない現在において、とても無意味なものに感じられた。
中に兵士の姿は無く、祭壇の前に不自然な下り階段がぽつりと存在していた。奥から人の気配は無い。
家人を先頭にフィオナ達は階段を駆け降りる。外の光が届かなくなるまで螺旋階段を降りると、人工物だった壁は自然の、ごつごつとした壁に変わり、階段も終わりを告げた。
大聖堂の地下にある宮殿は自然が創り出した空洞をそのまま利用した宮殿だ。手は殆ど加えられておらず、魔力の照明が設置されているだけだった。
空洞全体を照らす強い光は奈落へと続く縦穴をこれでもかと強調していた。階段を降り切った先は人が五人並べば身動きが取れなくなる程、細い道。
左右は縦穴。落ちればどうなるか、想像は容易い。
「どうやら、簡単には通してくれないみたいだ」
ジャックの双眸が道の真ん中に立つ一人の男を捉えた。声色がいつもより低い事に誰も気づかない。
男は軍服に身を包み、遠目でも分かる程がっしりとした肉体を持っていた。
モンスター・ジョイ。第五防衛都市ディーテに駐屯していた国防軍の過激派筆頭で今はジョン・セイヴァーに味方する、敵だ。
「来たな、ジョン・セイヴァー様の命を狙う政府の犬共!!」
太く、威圧感のある声が地下宮殿に響き渡った。
全員が一斉に武器を構える中、ジャックが数歩前に出て、右手を上げ、フィオナ達を制した。
「皆、此処は任せてくれ」
「馬鹿言ってんじゃねぇ、相手は腐っても魔道部隊の隊長だ。お前一人で敵う相手じゃない」
「わかっているさ。だけど、あいつだけは俺が殺さないといけないんだ」
憎しみと殺意に満ちた声に思わず気圧される紀彦。
鈍い彼もジャックと、モンスター・ジョイの間にある、因縁を察した。
しかし、だからと言って仲間を一人置いてく様な真似は出来ない。
だが、
「行けよ!! 此処で全員が立ち止まってどうする!? 事態は一刻を争うんだ!!」
「任せて、良いんだな?」
家人の最後の問いに、ジャックは無言で頷いた。
「分かった…」
家人も頷き返し、彼の周りに五体の飛行型の霊獣が姿を現した。
「ジャックさん」
「んな、面するな、フィオナ。大丈夫だ。また会える」
ニッと笑うジャックをフィオナは抱き締め、
「必ず」
「……あぁ」
抱擁を解き、フィオナは飛行型の霊獣に飛び乗った。
同時に銃声が響き、それを合図に五体の霊獣が飛んだ。
放たれた銃弾はモンスター・ジョイに飛来。一発は魔道防壁に防がれ、二発目は地面に着弾。足元から石の剣が襲い掛かるがモンスター・ジョイは軽い身のこなしで後方に跳んで避けた。
その間にフィオナ達はモンスター・ジョイの上空を突破し、闇の向こうへと消えていった。
「良いのか? あいつら行っちまうぜ」
「烏合の衆であるお前等が何人束になろうとジョン・セイヴァー様には敵わない」
「フィオナを、俺の仲間を甘く見るなよ」
豪快な笑い声が響いた。モンスター・ジョイは腹を抱えて笑い、ジャックは彼を鋭い眼差しで見据える。
「親殺しの小娘を頼るとは、弱くなったな、ジャック」
「フィオナは、罪の償い方を見つけた。自分の妻を殺し、娘を殺して裁かれていない貴様に彼女を侮辱する権利は無い」
「お前には、わしを侮辱する権利があると? 母親を救えず、妹すら救えなかったお前に!!」
「無いさ。俺にある権利はあんたを殺す権利だけだ」
リボルバーの銃口をモンスター・ジョイに向け、ジャックは言い放った。
「殺せるのか? お前に、父親が」
「罪の償い方は、決まっている」
銃声、閃光。二人が同時に疾走する。
モンスター・ジョイの手にはコンバットナイフが。ジャックの手には、魔力で成形した鉄製のナイフが握られていた。
ぶつかり合うナイフ、甲高い耳障りな音。飛び散る火花、閃光。
「いいぞ、ジャック!! 昔のお前なら最初の一発で勝負は決していた」
満面の笑みを浮かべ、モンスター・ジョイは一瞬の隙も無く、ナイフを振るう。
一方、ジャックは無表情のまま、機械的な無駄の無い動きでナイフを避ける。攻撃はしようとしない。
「どうした!? 隙が無くて攻撃が出来ないか」
「いや、違う」
遅過ぎて反吐が出る。その言葉は飲み込んだ。フィオナの動きに比べればモンスター・ジョイの動きは止まって見える。
それに気付かず、モンスター・ジョイは笑みを強め、嬉々としてナイフを振るう。
ジャックの心を虚しさが支配する。こんな男の策略に嵌り、親殺しと兄妹殺しの汚名を着せられたのかと、未熟な自分を恥じた。
同時に、胸の内にあった決意がジャックの全てを支配した。
鮮血が舞う。
ニヤリと笑う、モンスター・ジョイ。
ジャックの左胸に突き刺さったナイフ。滴る血。
「終わりだ、ジャック」
「あぁ、終わりだ…父さん」
ジャックの手がモンスター・ジョイの腕を掴み、鉄製のナイフが胸に吸い込まれた。
驚愕に目を見開き、大量の血を吐き出すモンスター・ジョイ。
「父さん、一緒に謝りに行こう。母さんとジェーンに謝ろう」
ジャックの足が魔力を帯びる。
モンスター・ジョイは全身で死の予感を感じ取り、必死にジャックから離れようとするが胸に刺さったナイフは抜けない。ジャックの手を振りほどけない。
断末魔に等しい叫び声が響いた。同時に、二人が立っていた細い道が崩落する。
足場を失った二人の身体は奈落の底へと吸い込まれていく。
「嫌だ!! 嫌だああああああ!!!」
無様に叫び続けるモンスター・ジョイの横でジャックはゆっくりと目を閉じる。
ジャックはフィオナを救いたいと願った。同じ偽りの罪を背負うものとして。
ジャックの選択は本当の罪を背負う事。自分から全てを奪い去った父親と共に死ぬ事。
死して、フィオナ達の道となる事――フィオナ達が前に進み続けられる様に。
「さようなら…フィオナ」
地下宮殿の最奥。細い道が突如として開らき、岩肌に埋まる様に一枚の門が出現した。
門自体が淡い光を放ち、人ひとりが通れる程の隙間からもより強い光が漏れていた。
肌に突き刺さる威圧感と桁外れな魔力の波動。
この場に居るだけで、汗が滴り、身体が震えた。
誰かの生唾を飲む音が嫌に大きく聞こえた。
「行きましょう」
一人、平然としていたフィオナが毅然とした口調で言い、門に足を向けた。
光が身体を包み込むのも構わず、フィオナ達は僅かな隙間を通って、門の向こう側に立った。
壁も天井も床も真っ白な空間。旧カイーナの地下と似ているその場所の中央にジョン・セイヴァーは立っていた。
背を向けている状態でもフィオナには分かった、彼は今、笑っていると。
空間の一番奥、門の正面の壁は一面巨大な壁画。その中央が紅い輝きを放っていた。
フィオナは無言で進み、ジョン・セイヴァーの数十メートル手前で足を止めた。
視線を一度ジョン・セイヴァーから壁画の紅い輝きへと移し、輝きが放つ魔力を全身で感じ取る。
禍々しくも、強く、全てのジークを魅了する魔力。
それこそがジョン・セイヴァーが求めた最強の魔道術、『True End』だった。
「手に取らないのですか?」
疑問。ジョン・セイヴァーは何時間も前に此処に到着している筈。なにより求めた魔道術を前にして自分のものにしないのは何故か。
「僕は完璧主義者だ。『True End』を手中に納めるより前にやらなければいけない事がある」
静かに言い放ったジョン・セイヴァーはゆっくりと振り向き、真っ直ぐにフィオナを見据えた。
我欲に溺れながらも高貴さを失わない瞳と、自らの生き方を見つけた瞳が交わる。
「良い目になった。今の君は殺すに値する、フィオナ隊長」
ジョン・セイヴァーの挑発にフィオナは天照を構えて、応える。
「決着をつけましょう、ジョン・セイヴァー。私達の戦いに」
フィオナに呼応する様に全員が一斉に武器を構え、最前列に三体の霊獣と『咆哮する者』が現れる。
四体の霊獣が咆哮を上げ、空気が震える。
「行け」
家人は今までにないくらい低く、感情の無い声で言い放った。
それが終わりの合図だった。
『咆哮する者』を除く三体の霊獣が床を蹴り、紀彦、マリア、そしてマークに襲い掛かった。
鋭利な牙と爪がマリアの身体にめり込む。
「かっ!?」
首を噛まれ、長い爪が肺に突き刺さり、マリアは声を上げる事も出来ず、血を吐き出し、押し倒される形で床に倒れ、白目を剥いて、動かなくなった。
鋭利な爪が腹部を斬り裂かれ、アサルトライフルの引金を引くより早く内臓が飛び出し、紀彦の表情から一気に血の気が引く。噴き出した自らの血の上に倒れ、紀彦の身体は不規則な痙攣を見せた。
牙がマークの右腕に食い込み、爪が胸から腹部を斬り裂く。傷口から鮮血が噴き出し、噛まれた右腕では骨がミシミシと軋む。
マークは痛みに絶叫を漏らしつつも、魔力杖に魔力を込める。
――家人の裏切り。誰もが予想していなかった状況ににフィオナの反応は一瞬遅れ、判断力を鈍られた。
マークを助けようと駆け寄り、霊獣を斬り伏せる。
が、その行動が仇となった。『咆哮する者』がフィオナの背中に鋭利な爪を振り下ろした。
服が裂け、肉が裂け、血が舞う。
全身を貫く、激痛。表情が歪み、意識が飛びそうになる。
「フィオナ……」
飛びそうになる意識をマークの消え入りそうな声が繋ぎ止めた。倒れ掛かっているマークの身体を抱き締め、フィオナはジョン・セイヴァーと家人から距離を取った。
「驚いた。あれを食らってまだ動けるなんて」
知的な雰囲気は消え去り、醜悪な笑みを浮かべる家人がフィオナに拍手を送った。
「家人隊長……いつからですか?」
荒い息遣いのままフィオナは家人を睨んだ。
「最初からだよ」
「ジョン・セイヴァー抹殺が決まった時からですか?」
「鈍いな、フィオナ隊長。最初からと言った筈だ。俺は魔道白兵隊に所属する前からジョン・セイヴァー様の配下だった。『霊獣』もジョン・セイヴァー様に頂いた力だ。創設が決まった魔道白兵隊に所属する為にわざと犯罪に走ったのも全部ジョン・セイヴァー様のご判断だ」
嘘だと思いたかった。旧カイーナで見せた怒りの表情も仲間に対する気遣いも、全部演技だったと言うのか。
フィオナの内心を読み取った家人は醜悪な笑みを強め、倒れて動かないマリアの頭を蹴った。
「この女もライオットも弱いくせに偉そうな口を叩いて、胸糞悪かったぜ、魔道白兵隊に居た長い年月ずっと!!」
もう一度、マリアの頭を蹴る。
怒りが沸き起こった
「貴方に大和の誇りは無いのですか!?」
家人も大和の血を引いている身。フィオナの知っている大和人はもっと誇り高い民族の筈だ。
家人の顔から表情が消えた。侮蔑の色を瞳に宿し、フィオナを見下ろす。
「大和の誇り? 貴様こそ大和の誇りがあるのか!! 政府の犬と成り下がったお前に!! あの女もそうだ。力がありながら市長と言う座に満足して、大和の威信を衰退させ続ける。貴様らこそが大和の恥だ!!」
「貴方に…桜陛下の何が分かると言うのですか!!」
今までにない怒りに駆られ、声を荒げた。
桜はインフェーノ国との戦いに敗れた後、大和の血を引く全ての者を護る為に、人柱となる茨の道を選んだ。
もし、桜を筆頭に反旗を翻せば、次こそ、大和の血は滅びる。
例え、全ての大和の血を引く者に虐げられようと、政府の犬と呼ばれようと、誇りを失おうと、自分が愛した者全てを護る決意。それが桜の選んだ生き方だった。
ディーテを発った後、トーマスから聞いた桜の決意。それを知らずして桜を侮辱する権利など、家人には無い。
天照を握り締め、立ち上がろうとするも激痛が走り、それすらままならない。
「フィオナ…」
「マーク?」
消えそうな程小さな声でマークはフィオナを呼んだ。左手が宙を彷徨い、フィオナは慌ててマークの左手を握る。
目は既に閉じられ、呼吸も弱々しい。
「ごめん…フィオナ、約束、守れそうにない」
「マーク……」
涙が頬を伝った。失いたくないものばかり、指の隙間から流れていってしまう。手の上に残るのはいつも虚無だけ。
「フィオナ…負けるな。フィオナなら勝てる」
マークが笑った様な気がした。左手がフィオナの手から滑り落ちる。フィオナの手に残ったのはマークが流した真っ赤な虚無であり、希望。
フィオナの鼓動が高鳴る。自分が成すべき事への意志が、彼女に戦う気力を取り戻させた。
フィオナは涙を拭い、ゆっくり立ち上がり、真っ直ぐにジョン・セイヴァーを見据えた。
「その傷でジョン・セイヴァー様に敵うとでも!? 貴様はこいつで十分だ」
嘲笑を含んだ言葉を吐き捨て、家人は『咆哮する者』をフィオナに嗾けた。空気を震わせる雄叫びを上げ、巨躯が駆ける。
「マーク、ありがとう」
フィオナの顔から一切の感情が消え去った。
『咆哮する者』の爪が再びフィオナに襲い掛かる。
だが、爪は空を切り、『咆哮する者』が動きを止め、身体に一筋の線が入った。
「さぁ、ジョン・セイヴァー。始めましょう」
フィオナはジョン・セイヴァーの前に立った。
ジョン・セイヴァーがニヤリと笑う。彼の視界の隅で『咆哮する者』と家人が同時に身体を斬り裂かれ、床の上に崩れ落ちた。
その速度はジョン・セイヴァーが知っているフィオナの速度を凌駕していた。
「それが、肉体強化魔道の神髄かい?」
フィオナの両手両足からは輝く帯状の魔力が視認出来た。
「そうです、これが肉体強化魔道の奥義、『神風』です」
体内に魔力を巡回させ、身体能力を向上させる肉体強化魔道。
その最終形態は魔力との一体化―――融合。
魔力と一体化する事により、肉体の限界を突破する。
『疾風』から『神風』への最後の道のりも、また生きる意志だった。
大切な人を護り、自分自身も戦いに勝ち、生きてもう一度大切な人に逢う為に創造された力。
「素晴らしい。人と魔力の融合とは、そんな事が可能だったのか。ふふふっ、研究する項目が一つ増えた」
「研究なら、あの世でやって下さい」
ジョン・セイヴァーの視界からフィオナが文字通り消えた。
消えた事に身体が反応する頃には右手に激痛が走り、鮮血が舞っていた。
「ちっ!!」
ジョン・セイヴァーは自分の全方位に魔道防壁を全力で展開させた。
一瞬の内に一回、二回、三回…計五回、防壁がフィオナの斬撃を防いだ。その一度もジョン・セイヴァーは反応出来なかった。
フィオナが離れた場所で動きを止める。息は全く乱れていない上に、背中の傷が既に治りつつある。
「治癒能力も高めるのか…!!」
「言いたい事があるなら早い方が良いですよ」
ジョン・セイヴァーは息を呑む。フィオナの右手、天照に魔力が集中する。
圧倒的な魔力の波動にジョン・セイヴァーは初めて恐怖を覚えた。
閃光と同時に衝撃が走った。
全力で展開された防壁と圧倒的な魔力を帯びた天照の斬撃がぶつかり合い、地下宮殿全体を震わせた。
「くっ!!」
防壁に亀裂が走る。ジョン・セイヴァーは慌てて防壁を暴発させた。魔力の衝撃波がフィオナに襲い掛かる。宙を舞うフィオナの身体。
空中で華麗に回転し、数十メートル先に難なく着地するフィオナ。
表情は無表情のまま汗一つ流していない。
一方、ジョン・セイヴァーは大量の汗を流し、肩で息をし、表情は恐怖と焦りで歪んでいた。
立場が完全に逆転したフィオナとジョン・セイヴァー。となれば結末も……ジョン・セイヴァーの脳裏に最悪の結末が浮かぶ。
「僕がこんな所で負けるか!!」
両手に魔力が帯び、超圧縮された魔力の塊がフィオナに何十、何百と飛来した。
一発目は斬った。
両断された魔力の塊はフィオナの背後で爆ぜ、暴風を巻き起こす。
二発目以降は可能な限り避けた。宙を舞い、地上を疾走し、魔力の塊の隙間を掻い潜り、ジョン・セイヴァーの懐に到着し、右下から天照を振るった。
直後、ジョン・セイヴァーが絞り出した魔力の塊を斬り、同時に爆発が起こり、二人の身体は吹き飛んだ。
ジョン・セイヴァーは壁画に激突し、フィオナも床の上を転がる。
「ふふっ、楽しいぞ、フィオナ隊長。僕は今、満ち足りている。自分の力を余す事無く引き出せるのだから!!」
「戦う事が楽しいのですか?」
立ち上がりながらフィオナは聞いた。一時期、戦う事が存在意義と考えていたフィオナだが、戦う事が楽しいと感じた事は一度も無かった。
「楽しいさ!! ジークとして手に入れた力を発揮する事が楽しくない訳無いだろ? 君も同じ筈だ、フィオナ隊長。力を望む者は皆、戦いを欲しているのだよ」
フィオナは力が欲しかった。ジョン・セイヴァーに打ち勝つだけの力が。
その想いの根源にあるのは闘争本能だと言うのか?
誰かを護りたいと思う事は戦いを求める事と同義だと言うのか?
それが、どうした。
「貴方の言う通り、力を求める者は戦いを求めているのでしょう」
フィオナは天照の切っ先をジョン・セイヴァーに向ける。
「私は力を、生きる為に、誰かを護る為に使う」
「それが、君の正義か、フィオナ隊長?」
「そうです、私のエゴです。貴方と同じ」
正義なんてものは所詮、エゴイズム。絶対の正義など存在しない。
それで良い。自分の意志を貫ければそれで良いと、フィオナは心に決めていた。
「貴方を殺せばまだ戦争を止められる。多くの人を護れる」
「一番護りたかった仲間は誰も護れていないのに?」
「……マークが私に言いました。負けるな、と。勝てる、と。皆の意志はまだ私と共にある」
フィオナは床を蹴った。これ以上ジョン・セイヴァーと口で争う気にはならなかった。
どれだけ綺麗事を並べても、仲間を護れなかったのは事実。自分が一番良く分かっている。
今、出来る事はジョン・セイヴァーを倒す事、それだけだ。
フィオナの動きに辛うじて反応したジョン・セイヴァーは魔道防壁を展開。
閃光と衝撃がジョン・セイヴァーを包む。
圧倒的な攻撃力と速力にジョン・セイヴァーは防戦一方。
ジョン・セイヴァーの攻撃は全て斬られ、避けられ、壁や床を破壊するだけ。
扱える殆どの魔道術を駆使してもフィオナには一発も届かない。
逆にフィオナも初撃以降、ジョン・セイヴァーにダメージを与えていない。
フィオナの『疾風』が破られた時と同じく、ジョン・セイヴァーの膨大な戦いの経験がフィオナの攻撃に反応し、尽く防いでみせた。
「このままでは埒が明きませんね」
ボソリとフィオナが呟く。果たしてその声はジョン・セイヴァーに届いただろうか。
天照が纏う魔力に変化が生じた。刀身全体を包んでいた魔力は切っ先に集中し始めた。
それをはっきりと視認したジョン・セイヴァーは生きてきた中で最も強い死の予感を感じた。
右手を突き出す。
遅かった。神速の突きが防壁を突き破り、ジョン・セイヴァーの左腕を貫き、肘から先を斬り落とした。
左腕だけで済んだのは、ジョン・セイヴァーだからこそ成せる技だろう。フィオナは心臓を狙っていたのだから。
肘から先を失った左腕が夥しい量の血を垂れ流す。ジョン・セイヴァーにフィオナは休む隙を与えない。
二撃目で胸を浅く斬り、三撃目で右太腿をざっくりと斬った。
全身から血を流し、ジョン・セイヴァーが遂に膝をつく。
血は絶え間なく流れ、顔から血の気が失せていく。
「僕が、負ける事なんて、あってはならない!!」
「貴方の負けです、ジョン・セイヴァー」
最後の一撃を与えるべく、フィオナは床を蹴った。
決着の時が訪れる。長い戦いに終わりが。
フィオナは視た。ジョン・セイヴァーの邪悪な笑みを。
負ける直前だと言うのに何故笑っていられるのか。
本能が警告を出した。離れろと。逃げろと。
だがフィオナは退かずに前へと進んだ。もう逃げる事はしたくなかった。ジョン・セイヴァーが行動に移るより先に斬り伏せればいいだけ。
果たしてフィオナが速いか、ジョン・セイヴァーが速いか。
「…『ゼロ』」
天照の切っ先がジョン・セイヴァーの首筋に届く刹那の瞬間、背筋が寒くなる程綺麗な声がフィオナの耳に届き、彼女の身体は呆気無く床の上に倒れた。
帯状の魔力は消え、天照も輝きを失っている。
「ごはっ!!」
大量の血を吐いた。身体に力が入らない。全身に激痛が走る。
一体、何をされたのか。
「ふっ、ふふふっ。僕の勝ちだ、フィオナ隊長」
倒れるフィオナの前にジョン・セイヴァーが立った。最後の一撃が僅かに届いたのだろう、首筋からは血が流れているが決定打にはならず、満身創痍の身であるが表情には勝利を確信した笑みを湛えていた。
「一体…何を…」
「肉体が一定以上損傷した状態でしか使えない禁忌魔道『ゼロ』。相手の魔力を一時的に枯渇させる禁忌魔道術のひとつだ」
「魔力を、枯渇…!?」
『神風』は肉体と魔力が融合し、一体化する魔道術。その状態で魔力が枯渇すればどうなるか。フィオナはたった今、身を持って知った。手足は一切動かない。その姿は皮肉な事に糸の切れた操り人形の様だった。
肉体強化魔道の奥義『神風』にとって最大の脅威となる魔道術をジョン・セイヴァーは隠し持っていたのだ。
「正直、負けも覚悟していたよ。肉体の損傷前に首を飛ばされていたら僕は負けていた」
「私は、自ら貴方に勝機を、与えたと?」
ジョン・セイヴァーは頷いた。
魔力が枯渇したフィオナに戦う術は無い―――フィオナの、負けだ。
「貴女は、仲間の意志すら護れない、フィオナ隊長」
ジョン・セイヴァーの右手がフィオナに向けられる。
衝撃、激痛。魔力弾を食らったフィオナは床の上を転がりマークの隣で身体を横たえる。
マークの安らかな顔が視界を占めた。
「……マーク」
フィオナは気力を振り絞り、マークの手に腕を伸ばす。指先がマークの手に触れた。
壊れ物を扱う様な繊細な動きでマークの手に自分の指を絡めていく。
ごめんなさい、私は勝てませんでした。
音にならない言葉が口から空気と共に漏れた。
涙が溢れ、悔しさが心を支配した。
勝利を勝ち取れなかった悔しさ、仲間を護れなかった悔しさ、想いを告げられなかった悔しさ。
「マーク」
フィオナは小さな笑みを浮かべ、瞼をゆっくりと閉じた―――
ジョン・セイヴァー以外に動く者がいなくなった空間で彼は笑っていた。
「勝った!! 僕は勝った!! 僕こそが最強のジークだ!! 僕にこそ、『True End』は相応しい!!」
怪我を感じさせない確かな足取りで壁画の前まで歩いていく。
紅い輝きを放つ『True End』に手を伸ばすと輝きは凝縮され、ジョン・セイヴァーの右手に吸い込まれる様に飛来し、輝きがジョン・セイヴァーを包み込んだ。
途端にジョン・セイヴァーの斬られた傷口が治り、斬り落とされた左腕まで再生するではないか。
「素晴らしい、これが『True End』!! 僕は最強の力を手に入れた!!」
ジョン・セイヴァーの魔力は何倍にも膨れ上がり、彼を包み込んでいた紅い輝きが右手に集まる。
「さて、手始めにこの都市を滅ぼそうじゃないか。死者の都市を!!」
右手を頭上に掲げた。
「……」
何も、起こらない。
右手から輝きは消え去り、もう一度手を掲げても結果は同じだった。
戸惑いがジョン・セイヴァーを支配する。
「何故だ!? どうして何もおこ…ら…な…い?」
ジョン・セイヴァーの身体に異変が起きた。
完成したパズルのピースが一枚ずつ外れる様に、ジョン・セイヴァーの身体が少しずつ消滅を始めた。
全く予想していなかった出来事。禁忌魔道書に記されていなかった現象。
「なんだ、これは!? 一体、何なんだ!!」
困惑、恐怖。自らの身に起こった不可解な現象に、ジョン・セイヴァーは成す術を持たない。
「代償ですよ」
誰かの声が響いた。直接脳に響くその声の主はいつの間にかジョン・セイヴァーの前に立っていた。
白銀の長髪、紅い瞳、黒いローブを纏ったしなやかな四肢。
「誰だ、貴様…!!」
「ベアトリーチェ・インフェーノ。貴方が求めた『True End』を創り出した張本人です」
ジョン・セイヴァーの双眸がカッと見開かれる。憎悪に満ちた瞳。
『True End』の事が記された禁忌魔道書に彼女の記述もあった。
ベアトリーチェ・インフェーノ。
インフェーノ国の名前の由来にもなった古の大魔道師。魔道術を創造した賢者の一人で現代における魔道術の基礎の殆どを創り上げた人物。
美しく、聡明で、人間、ジーク分け隔てなく愛する女神の様な女性。
魔道書には千年前、『True End』を創り出した後に死亡したと記されていた。
が、彼女はジョン・セイヴァーの目の前に立っている。
唾を吐き散らす勢いでジョン・セイヴァーはベアトリーチェに聞いた。
「これは一体何だ!? 何故僕の身体は崩壊していく!?」
「『True End』は大陸全土を一瞬で焼き払う力を持つ最悪の魔道術です。それ故、発動にはジーク一万人分の命を条件としました。貴方の身に起きているのはそれを破った者への罰です」
「ジーク一万人分の命!? 僕は大魔道師だ。一万人分の命の価値を持っている!!」
「命の価値は誰であろうと等しく一なのです。大魔道師であろうと関係ありません」
ベアトリーチェが淡々とした口調でジョン・セイヴァーの問いに答えている間にもジョン・セイヴァーの身体の消滅は止まらない。
既に両手が肘まで消滅していた。
死が、ジョン・セイヴァーの頭の中を支配した。
「何故だ!! 何故その事を魔道書に記さなかった!?」
「発動条件を記してしまえば、『True End』が発動してしまうからですよ」
「……どういう、意味だ?」
ベアトリーチェはジョン・セイヴァーの背後にある壁画に顔を向ける。そして自分に言い聞かせる様に喋り始めた。
「私は、誰よりも強いジークでした。強過ぎるジークでした。百年、五百年、千年、二千年。生きるにはあまりにも長い年月を生きました。その間に何万回と愛した人達との別れを経験しました。三千年生きた時、私の心をある想いが支配しました。死にたいと。ですが強過ぎる魔力が私を死なせてくれませんでした。心臓をナイフで刺しても、頭部を吹き飛ばしても、私は死ねなかった。そして死ぬ為に行き着いた答えが、『True End』でした」
壁画には黒いローブを纏った女性が描かれていた。
女性の周りは多くの人が描かれ、女性を囲んでいる。しかし、奥に行くに連れて女性の周りの人々は少なくなり、壁画の最後では、女性は独りで立っているだけ。
「『True End』と言う、強大な魔道術を創造する為に私は全ての魔力と命を捧げました。儀式は成功した、私は漸く死ねると思いました。しかし、私の精神は肉体を離れ『True End』の一部となってしまった。私は死ぬ事を許されないまま、この地に封印され、長い月日を孤独に過ごしました。ですが、今日、それも終わります。不完全な発動により『True End』は消滅し、私も漸く解放されるでしょう」
ジョン・セイヴァーは以前言った。魔道術の中で唯一、終焉の名を持つのが『True End』。
終焉の意味はその破壊力を現したものではなく、ベアトリーチェが自らの終焉を望むが故の意味だった。
「僕は、利用されたのか?」
ベアトリーチェは無言で頷き、
「貴方は所詮、駒だった」
「ふざけるな!! 僕が駒だと!? 認めない、認めないぞ!!」
幾ら抗おうと、消滅を止める事は出来ない。腕も足も消滅し、身体も消滅を始めている。
「嫌だ、死にたくない。僕にはまだやらなければいけない事があるんだ!!」
「貴方は今まで何人もの命を弄んできた。これはその報いです」
ジョン・セイヴァーが何かを叫んだ。だがそれは声にならず、ベアトリーチェには届かなかった。
ジョン・セイヴァーの身体が完全に消滅した。
沈黙が空間を支配し、やがてベアトリーチェの身体も消滅を始めた。
ベアトリーチェはフィオナ達に目を向ける。
目的を果たせなかった戦士達。
死の隣り合わせの戦いに身を投じ、戦い続けた英雄達。
「貴方達もジョン・セイヴァーと同じ、駒だった」
ベアトリーチェは瞼を閉じる。
「そして私も、『彼』に利用された、駒。世界は彼が望んだ結末を迎えるか、それとも……」
ベアトリーチェの身体が消滅し、四千年待ち望んだ終焉が彼女に訪れた。
ジョン・セイヴァーは死んだ。『True End』も消滅した。
地下宮殿に残されたのはベアトリーチェが言い残した『彼』の壊れた駒だけだった。
十二月の終わり。
ジョン・セイヴァーの反逆から三カ月が過ぎた。
ジョン・セイヴァーを失った反乱軍は勢いを弱めると思われたが、勢力をより拡大し、政府軍を各地で次々と撃破。
あっと言う間に首都である第一政府都市ベアトリーチェ以外が反乱軍の手に落ちた。
二週間の戦いの末、十二月の初め、インフェーノ国政府は崩壊した。
大統領を含め、政府の高官は殆どが公開処刑により、人生に幕を降ろした。
今は反乱軍の幹部によって設立された臨時政府の手によってインフェーノ国の復興作業が各都市で進められていた。
ジョン・セイヴァーの真意を知る者は一人を除いて全員が闇に葬られた。
反逆児ジョン・セイヴァーは歴史に英雄として永遠と名前を刻む事になるだろう。葬られた事実の上で。
空は雲一つ無い晴天。気温は氷点下。
薄雪が積もる第一政府都市ベアトリーチェ。人が全く近寄らない森の中の小さな丘の上。立ち並ぶ七つの墓石と一振りの刀の前に手向けの花を持った一人の男性が立っていた。
トーマス・ハンター。フィオナ達の上司であり、ジョン・セイヴァーの真意を知る唯一の人物。
手向けの花束を墓石の前に置くと、白い息を吐き、七つの墓石を順に見ていく。
墓石に名前は無い。
『名も無き英雄達』。そう彫られていた。
「お前達は英雄だ。お前達の行動が、インフェーノ国を変えたんだ」
事務的な淡々とした感情の籠もらない声でトーマスは言い放った。
少しの間、墓石の前に立っていたトーマスは墓石に背を向け、その場を立ち去ろうとした。ゆっくりした足取りで、墓石から離れていくトーマスの背中を、一人の女性が見つめていた。
青い生地に銀糸で花や蝶が刺繍された着物を纏った女性。彼女の手には墓石の前に刺さっていた大和の神剣、天照が握られていた。
「ピリオドを打つにはまだ早いわ、トーマス」
トーマスの歩みが止まった。彼は特に驚いた素振りも無く振り返り、女性の姿をその目で捉えた。
感情の籠もらない双眸と表情。それはフィオナ達に見せていた親しみのある顔とは懸け離れた姿だった。
「さぁ、トーマス、決着をつけましょう」
「……桜」