最終話 終わり無き意志

 

 

「俺達は、裏切られた、国に。忠誠を誓った国に!!」

血の臭いが充満し、爆発音と銃声が絶え間なく響き、怒号と悲鳴が飛び交う戦場。

一人の兵士が、自分の前に横たわる仲間の死体を前に叫んだ。

支援を断たれ、敵陣のど真ん中で孤立した小隊は成す術無く蹂躙され、今や叫んだ兵士と左腕を負傷したもう一人、二人だけとなっていた。

「俺達は此処で死ぬんだ」

兵士が力無く呟いた。

左腕を負傷した兵士の目がカッと見開かれ、項垂れた兵士の胸倉を掴み、無理矢理、顔を近づけ息と息が交わる距離で睨みつけた。

「まだ生きている!!」

凛とした女性の声。高い位置で纏めた黒い長髪が風に煽られ、靡く。

と、彼女の背後に突然、無数の兵士達が現れた。朱で統一された鎧を纏う、魂だけの兵士達。女兵士の鋭い眼光が気力を失った兵士の瞳をまっすぐ見つめる。生きる事をまだ諦めていない、戦う意志が瞳には宿っていた。

生きる事を諦め、死を受け入れようとしている兵士に女兵士は叫んだ。

「生きる事を放棄するな!! 絶望の中でも生きる事を望め!! 私に命令しなさい、戦えと!! 立ちなさい、トーマス!!」

 

薄雪が積もる丘の上で桜とトーマスは対峙していた。

 

「直接会うのは、何年ぶりかしら?」

「五年ぶりだ」

桜の問いかけに相変わらず淡々とした口調で応えるトーマス。

「驚かないのね、私が現れた事に」

桜は既に死んだ身。

にも関わらず、トーマスの前に立ち、声は発し、足も地面に着いている。

「禁忌魔道『英霊』の中でも特に禁忌とされる、死後自らが魔道術の一部となる『魔霊化』。昔、お前は俺に話した」

桜は確かに死んだ。

だが死の直前、桜は天照に自らの魂と魔力を宿し、自らを英霊と化し、天照の中に宿り続けた。

何故、そうする必要があったのか。

「トーマス。私は、貴方を斬らないといけない」

無言のトーマスに桜は一歩歩み寄る。

「ジョン・セイヴァーが禁忌魔道書を盗み出した事による始まった現政府崩壊まで一連の出来事の黒幕は貴方よね、トーマス?」

責めるでも無い、日常会話の中で相手に疑問をぶつける程度の軽い口調で桜は言い放った。

「何故そう思う」

トーマスも一歩前に出て、二人の距離は縮まる。

「貴方は全てを失った二十年前の戦い以来、政府に復讐を誓っていた。でも自分の手だけでは復讐を成功させる事は困難。そこで貴方は現代の大魔道師で国民が崇拝するジーク、ジョン・セイヴァーに目をつけた。特級禁忌魔道である『True End』の情報を少しずつ与え、魔道術に対する彼の欲望を増幅させ、同時に政府の悪行の数々も彼に教えていった。でも、一つだけ問題があった。ジョン・セイヴァーの反逆は政府の威信に泥を塗る。その事を国民に知られたくない政府は彼の反逆を包み隠し、秘密裏に彼を抹殺しようとするだろう。でもそれではいけない。ジョン・セイヴァーには国全体を巻き込む反乱を起こしてもらわないといけない。彼が反乱を起こすにはどうすればいい? 答えは簡単。彼を追う人間が必要だった。ジョン・セイヴァーが全力で戦う意志を見せる様な相手が。貴方は先の大戦の功績を盾に、魔道白兵隊を創設。部長に就任し、非公式で動かせる自分の部隊を手に入れた。部隊は危険な任務に従事し、弱い者は死に、強い者は生き残る。強い手駒だけが手元に残るシステムを貴方は完成させた。そして思惑通り、ジョン・セイヴァーは『True End』の事が記された、禁忌魔道書を盗み出して封印を解こうとした。貴方にとって最大の幸運は肉体強化魔道の才を持ったフィオナ隊長が配下に加わった事。彼女がいなければ、貴方の復讐は成功しなかったでしょうね。フィオナ隊長は貴方の思い描く様に行動してくれた。ジョン・セイヴァーの中にあった大和人への僅かな劣等感を刺激し、国を巻き込む反乱を起こさせた。『True End』まで辿り着いたジョン・セイヴァーは発動条件を知らずに彼の魔道術を使い、自滅する。唯一自分を超える邪魔者は消え、反乱軍と言う政府を倒す駒だけが残った。そして、復讐は達成された」

「大した妄想だ」

「事実よ」

桜の鋭い眼光がトーマスを捉えて離さない。桜が言った事に確たる証拠は無い。

妄想と言われても反論は出来ない。しかし、彼女には自分の考えは間違っていないと言う自信があった。

「そもそも『True End』の事を知らなかったジョン・セイヴァーがどうしてその事を知り得たか。『True End』の事を記した書物は公式上、禁忌魔道書第百二十八巻以外に無い。禁忌魔道書第百二十八巻はジークの閲覧が禁止され、記録上、最後に閲覧されたのは三百年以上前。貴方は私に幼少期に大図書館の館長だった父親に目を瞑って貰い、禁忌魔道書を読み漁ったと、言ったわよね。ジョン・セイヴァーに『True End』の事が漏れる可能性のある経路は貴方しかいないのよ」

「いつから俺を疑った?」

「ジョン・セイヴァーが禁忌魔道書を奪い、逃亡したと、貴方から連絡を受けた時から」

肯定と取れる、トーマスの言葉に桜の表情が一瞬だけ悲しみを帯びた。出来る事なら全部自分の妄想であって欲しかった。

心の何処かで、トーマスはそんなことする筈が無いと、信じていた。

「結局、ジョン・セイヴァーは貴方に利用されただけ。私も、フィオナ隊長達も、ベアトリーチェも」

「現政府に対する国民の不信感は以前からあった。ジョン・セイヴァーの反乱はきっかけに過ぎなかった。現にジョン・セイヴァーを失っても反乱は続き、現政府は崩壊した」

「結果論よ。反乱軍がジョン・セイヴァーの死で勢いを失っていたら、もっと多くの国民が死に、国は混乱した。貴方のした事は許される事では無いわ」

「ではどうする? 俺を斬るのか?」

トーマスの視線が桜の手に握られた天照に注がれた。

桜は無言でもう一歩前に出る。大きく一歩踏み込めばトーマスを斬れる所まで二人の距離は縮まった。

桜は天照を正眼に構え、敵を見る目でトーマスを睨んだ。

「ジョン・セイヴァーに勝てなかったお前が、俺に勝てるのか?」

トーマスの手に魔力で構成された長剣が握られる。

「忘れたの? 貴方は私に剣術だけは敵わなかった事を」

「……邪魔をするな、桜。これは殺された仲間の為の戦いだ」

「……皆の為と言えば復讐に正当性が生まれるとでも? 他人の為に、大義を掲げる者に正義を名乗る資格は、無いわ」

桜の頬を涙が伝った。

飛び散る雪、煌めく剣閃、剣が交わる音、震える大気。

かつて仲間だった者同士。深い絆で結ばれた者同士。男を愛した女と、愛する女を失った男。

地獄から生還した二人の、最後の戦いが始まった。

どちらかが道を間違えた訳ではない。お互いが、自分の信じる道を進み、衝突しただけだ。

正義も悪も、勝ちも負けも無い戦い。

幾重の剣撃。目にも止まらない斬撃全てを双方が完全に防ぎ切っていた。

その光景はさながら演劇の様。用意された台本の上で戦っているかのように二人の動きは華麗で無駄が無く、観る者がいれば呼吸をするのも忘れて、魅入っただろう。

何十回に及ぶ斬り合いの後、距離を取り、睨み合う。

呼吸一つ乱れた様子は無く、土と雪が混じり合って濡れた地面を駆け巡ったにも関わらず、靴には泥一つ付いていない。

「どうした? 剣術では俺に負けないんじゃなかったか?」

ニヤリと笑うトーマスの視界の隅で桜の着物の袖が地面に落ちた。

「貴方こそ、血が流れているわよ?」

柔らかな微笑みを湛える桜はトーマスの足元が赤く染まっているのをしっかり捉えていた。

距離を取る前の最後の斬り合いで、桜はトーマスの右脇腹を斬り裂いた。

服の切れ目から流れる血は勢いを弱めず、トーマスから確実に体力を奪っていく。

トーマスが地面を蹴る。応える様に桜も疾走し、剣が交わり、甲高い音が響く。

傷口から血が舞い、雪を赤く染め、墓石に紅化粧を施していく。

何十回に及ぶ攻防で息一つ乱さなかったトーマスは次第に息を乱し、肩を上下させる。

一つ、また一つと傷が増え、舞う血の量が増える。人間ならとっくに失血死してもおかしくない量の血を流しながらも、トーマスは剣を振るい続けた。

そうする事が彼の正義だった。多くを失った男の、信じた道。

生きる意味が、欲しかった。最愛の女性を失った世界で、生きていい理由が、欲しかった。

一際大きい音。桜の一撃がトーマスの長剣を弾き、空高く舞った。

完全に無防備になったトーマスの胸に、桜は天照を突き立てた。

――ポタリ――ポタリ。

トーマスの胸を貫いた天照の切っ先から、血の雫が一滴、また一滴雪の上に落ちていく。

トーマスは両手を大きく広げ、桜の最後の一撃を黙って受け入れた。

口から血が流れ、顎の先から垂れ、桜の服を染めていく。より、深い青に。

「……これで、終わりよ。私達の二十年前から続いた戦いは」

トーマスの身体からゆっくりと天照が抜かれ、傷口から真っ赤な血が噴き出し、大量の血を吐いた。

墓石に背を預ける形で倒れたトーマスは悲痛な表情の桜を見上げた。

「勝ったのに、なんて面しているんだ、お前は」

「私達の戦いに勝敗は無いわ。終わりが来ただけよ」

「……そうだったな」

フッと微笑を湛えるトーマスの足元に宙を舞っていた長剣が突き刺さった。長剣は消滅し、それはトーマスの命が残り僅かである事を示していた。

桜はトーマスに歩み寄り、服が汚れるのも構わず身を屈め、彼を抱き締めた。

「トーマス、もういいのよ。貴方は十分戦い、苦しみ、耐えた。もういいの。先に、サフィーリィ達の所へ逝って。私も、成すべき事をしたら直ぐに追うから」

「待つのか?」

こくりと無言で桜は頷いた。

「俺が天照を取りに行った時、誰も動かなかった。生死の確認はしていない。生きている確率は限りなくゼロだ。それでも待つのか?」

桜はもう一度、無言で頷いた。

トーマスの顔に穏やかな笑みが浮かんだ。

瞼がゆっくりと閉じられ、トーマスの鼓動の音は聞こえなくなった。

桜は声を殺して泣き、愛した男の亡骸を強く抱きしめた。

涙を拭い、立ち上がった桜は右手に握った天照を見た。

生き方を見失った一人の少女に託した刀。その少女は今此処には居ない。だが生きていると信じている。

桜は天照を地面に突き立て、空を見上げる。

「例え、限り無くゼロに近い可能性でも、私は信じます。貴方を、如月フィオナ」

桜の身体が透き通り始め、本来自分がいるべき場所へと向かおうとする。

「約束の地で貴方を、いえ、貴方達を待ちます、いつまでも」

その言葉を最後に桜の身体は消えた。

残されたのは天照と、トーマスの亡骸と、戦いの跡と、『主無き』墓標達。

冷たい風が吹く。

桜の言葉は届いただろうか。

答えは、いずれ分かる時が来るだろう。

 

静寂の冬が終わりを告げ、命の新芽が息吹き出す初春。

 

「見つけた」

『灰色の短髪』と『人形の様な美しい顔立ち』を持ち、『黒い服』を身に纏った一人のジークが探し続けた忘れ物を見つけた。

七つの墓石の脇に刺さった一振りの刀。

一人のジークは地面から刀を抜くと、途端に刀が淡い光を放ち始めた。

冬の間、ずっと外気に晒されていた筈の刀は一切の輝きを失わず、一人のジークの手の中で輝きを増していく。

一人のジークは微笑む。優しく、力強い微笑み。

空を見上げる。疎らに漂う雲と、蒼い空。

心地良い風は吹き、灰色の髪を揺らす。

一人のジークは歩き出す。ゆっくりと、しかし確実に、力強い足取りで。

己の信じる、生きる道を。

 

 

 

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